3.それぞれの立場
レーヌの部屋から出て、少し歩けばテオドールの執務室がある。
執務室に入り、テオドールが椅子に座り、書類を手にしたところで、リアムは執務室の中を見回し、他に人がいないことを確認してから机に近寄り声を掛ける。
「殿下、恐れながら」
テオドールは書類に目を向けたまま、
「許す」
とひとこと話す。
「それでは。レーヌ嬢のことなのですが」
その言葉にテオドールはわずかに反応する。
「レーヌ嬢が近くにいて嬉しい気持ちはわかりますが、今のままでは嫌われるだけです」
顔は書類を見ているが肩だけがびく、と動き動揺しているテオドール。
「レーヌ嬢は殿下の気持ちなど知らないのです。警護団のために偽の婚約者となるだけだと思っているのですから」
手に持っていた書類を握ったまま固まっている。
「それと、思いが通じ合っていたとしても、女性には見られたくないものがあるのです。それを殿下の欲望だけで無理やり見るのは嫌がられます」
「……だって、寝顔がかわいいんだもん。毎日見たいんだもん」
ここまで言葉が砕けるのはリアムの前だけで、わかりやすく拗ねている。
「今、我慢しなければ、将来、妃として迎えることができなくなりますよ?今の段階であらぬ噂を流され、レーヌ嬢との婚約が白紙に戻り傷つくのはレーヌ嬢なのです。少し考えてください」
テオドールはわかりやすくしゅん、としている。
うっすらと金色の目に涙を浮かべているが、あれは演技だろうな。
テオドールにつかえ10年経つが、リアムが小言を始めると内容に関わらずテオドールが涙を浮かべる時があって、不思議に思っていたら、テオドールの目に浮かぶ涙を見ると、リアムが何も言えなくなり小言から開放されるのを経験で覚えているためだとわかった。
今、涙を浮かべているのは小言をこれ以上聞きたくないという気持ちのあらわれだが、今日はそれを無視して言葉を続ける。
「ただでさえ、突然、王族と婚約したのですから、心の準備など何もできていないのです」
リアムは淡々と話す。
「そして、王族と貴族の顕著な違いは始終警護がいるかいないかです。貴族は始終警護がいる環境ではありません。その環境に慣れずに体調を崩すこともありえるのです。まして、これから、レーヌ嬢は妃教育も始まります。どのような教育になったとしても日々精神的に疲れ、追い込まれていくこともありえるでしょう。その時に、殿下が一方的な態度ばかり取っていれば、レーヌ嬢もどんどん疲れていき、殿下に心を開かなくなるでしょう」
うう、と困ったような声をあげ、リアムを見上げるテオドール。
「レーヌ嬢の本当の心の支えとなってあげることこそ殿下が今やるべき役割なのです。レーヌ嬢が愚痴をこぼしやすい環境、なんでも話し合える環境を作り、受け止め、寄り添ってあげてください」
「はい……」
肩をがっくりと落としながら、書類を確認する作業にはいるテオドール。
「明日から、レーヌ嬢は侍女に起こしてもらい、用意ができたところで殿下を呼んでもらうように手配します。よろしいですね?」
「……わかりました」
半分泣き声になって、頷くのを確認したリアムは
(これで、俺も気がらくになる)
とほっと一息吐くと、頭をさげ、待機場所のドア近くに戻る。
リアム自身、未婚女性の、それもまだ眠っているのがわかっている部屋に行くことが気恥ずかしかった。
仕事だからと割り切れるものではない。
(これで明日からレーヌも恥ずかしい思いをしなくてすむだろう)
警護団のリーダーとして、常日頃、団員たちの精神面がくずれないよう気をつけている。
テオドールに確認したところ、王家に嫁いだ後もレーヌは警護団の団員でいいだろう、と話している。
魔物との対応がいつまで続くがわからないが、続く限りは団員みな、健康で活躍してほしいと願っている。
それにしても、とふと思う。
(最近魔物の出現情報がないな)
一番最近で、治療会前の時だった。
その前までは、週に2、3度は出現していたのだから、いつ出現してもおかしくない。
(魔物が出なくなることが一番いいことだ。このまま出現しない日々がつづくように)
執務室の窓から外をみて、リアムは静かに祈った。
「レーヌ様、起きてください」
はっとして目を開けると、この部屋にきた時からいる侍女の1人が心配そうな顔をして、こちらを見ていることに気づいた。
目を開けたことを確認した侍女はほっとしたような表情になり、
「体調は悪くありませんか?」
「あ、大丈夫です」
レーヌの一言に安堵の笑みを浮かべ、
「ようございました。これから侍女長のところにいきますので、お召替えをいたします」
「あ、はい」
と慌ててベッドから起きて、部屋のソファーに座り、侍女が衣装を出してくるのを待つ。
(そうか、あのまま眠ってしまったのね)
レーヌはリュカのことを思い出しながら、いつの間にか眠っていたようで、まだ寝間着のままだった。
部屋の窓から外を見ると、だいぶ明るくなっていて、相当眠りこんでいたのがわかる。
「お待たせいたしました」
侍女がクローゼットから薄いグリーンの1着のドレスを手に持って近づいてくる。
「本日は、こちらにお召替えになります」
「はい」
レーヌはソファーから立ち上がり、3人の侍女に身を任せ選んだドレスを着ていく。
グリーン一色のドレスかと思ったが、よく見ると金色の糸で刺繍を施してあり、華やかな雰囲気になっている。
ドレスの着替えが終わると、ドレッサーの前に座り、手際よく髪をまとめあげ、化粧を施して完成した。
「それでは、まいりましょうか」
侍女の言葉に頷き、部屋のドアを開ける。
(あっ、そういえば2日も滞在していて、初めて部屋から出たわ)
ちょっと苦笑いを浮かべ、部屋から出た途端、騎士3人に囲まれた。
びっくりしていると、騎士の1人が、
「驚かせてすみません。王族に連なる方は移動するときにこのように騎士を近くに侍らせます」
その言葉に、偽とはいえ、王族と婚約したのだ、と改めて実感する。
「はい、宜しくお願いします」
と伝え、一路、侍女長の待つ部屋へと歩いていく。
5分程歩いたところで目的の部屋に到着する。
そばにいる騎士がドアをノックし、レーヌが到着したことを伝えると、中に入る許可が出た。
ドアを開けてもらい、部屋の中に入ると正面の机に、プラチナブロンドの女性が背筋を伸ばし、凛と座っていた。
レーヌを見ると、立ち上がり、頭を下げると、
「レーヌ様、ようこそおいでくださいました。わたくしはこの王城で侍女長を務めております、エリーズと申します」
「レーヌ・アストリです。今日は宜しくお願い致します」
「ご丁寧にありがとうございます。それではこちらのソファーにお座りいただけますか?」
エリーズは部屋の真ん中にあるソファーを勧める。
レーヌが座るのを確認したエリーズは真向かいに座ると、
「実はこのあとですが、急遽アナイス王妃とのお茶会が入りました」
レーヌは突然のことに驚き、目を見開いたまま固まる。
「それまでは少し時間がありますので、レーヌ様の専属侍女を紹介いたします。まずはリーダ―のセレストから」
初日からいる3人の侍女の中で一番年上と思われる、亜麻色の髪の、きりっとした雰囲気の女性が1歩前に出て、
「セレストと申します。何なりと申しつけください」
「はい、宜しくお願い致します」
エリーズは次の侍女の名前を呼ぶ。
1歩前に出た侍女はプラチナブロンドの可愛らしい感じの女性で、
「エステルと申します」
と名乗る。
最後は赤髪で一番幼い感じのする女性が前に出てきて、
「リゼットと申します」
と少し幼さの残る声で名乗り出た。
「リゼットは16歳でレーヌ様と年齢の近さを考えて専属に致しました」
とエリーズは注釈し、3人の侍女の説明を終える。
「では、そろそろ、王妃様の元にまいりましょう」
とエリーズはソファーから立ち上がり、机の上の書類を片手に持つ。
レーヌはソファーから立ち上がり、ドアに向かって歩いていく。
(疲れた)
レーヌは王妃とのお茶会を終えたあと、騎士に見守られ、3人の侍女と共に部屋に戻ってきた。
3人の侍女にドレスを脱がしてもらい、部屋着に着替え終わるとソファーに座る。
侍女たちはドレスをクローゼットに収納した後、湯あみの準備を始めた。
その様子を眺めながらレーヌは先ほどの王妃とのお茶会を思い出していた。
アナイス王妃は華やかな雰囲気のある女性ながら、屈託なく笑う顔がとても可愛らしい人だった。
(成人した息子がいると思えないほど、若々しい方だったわ)
王妃になる前、なったあとの失敗談をたくさん語ってくれて、笑ってはいけないかもと思いつつ、たくさん笑ったお茶会だった。
(そういえば、ここにきてから、殿下以外と長く話したわ)
この王城の部屋にきて2日経っていたが、とても長く感じられる2日間だった。
(そういえば、魔物は大丈夫なのかしら)
と考えているときにリゼットから声がかかり、湯あみをするために浴室へと向かう。
(そういえば、魔物が出現したら、私どうやって行けばいいのかしら?明日、リアムに確認しないと)
髪を梳かれながら、とりとめなく考え、侍女たちに体を拭かれ、寝間着へと着替え終わると3人は部屋を出ていく。
それを見送り、レーヌは長い1日を終えた疲労感であっという間に眠りの世界へと誘われていった。