5.少しずつ……
静かな部屋にレーヌの嗚咽が響いていたが、静寂の中でリアムが、
「殿下」
と静かに声を掛ける。
その声にレーヌは我に返ると、
「あ、あの、すみません。突然泣いてしまいまして……あの、大丈夫です」
と言って、テオドールから離れようとしたが、力強く抱きしめられていて、体を離すことができない。
「あ、あの、殿下?」
レーヌは戸惑い、テオドールに声を掛けるが、一向に離そうとしない。
少ししてから、テオドールは力を緩めて、
「レーヌ嬢、いつでも貴方のそばにいて支えています」
それだけ言うと、体を離し、そのまま部屋を出て行ってしまった。
その行動にリアムもあっけにとられたのか、少し遅れて、テオドールのもとへと向かっていった。
リゼットとセレストは呆然と立っているレーヌの近くに寄ると、何も言わずに寄り添い窓際まで連れていくと椅子に座らせた。
「レーヌ様」
セレストが少し遠慮がちに声を掛ける。
レーヌははっとして、
「ごめんなさい、少し呆けてしまいました。もう大丈夫です」
無理やり明るい声でセレストとリゼットに話しかける。
2人はレーヌの様子をうかがいながら、今日の予定を話し始める。
「このあとですが、侍女長より今日からの妃教育に携わる方を連れてこちらの部屋にいらっしゃいます。そのあとは昼食のマナーと、午後のティータイムのマナーのおさらいを挟みながら夕方まで勉強の時間となります」
レーヌは涙が乾いていない顔を2人に向けて、しっかりと頷く。
その時に、ドアからノックが聞こえた。
リゼットがドアの近くに行き、確認したところ侍女長が教育係を伴いドアの前にいると伝えた。
その言葉にレーヌは立ち上がり、セレストに、
「涙を拭くタオルはあるかしら?」
と伝える。
セレストは頷き、クローゼットからタオルを持ってくるとレーヌに手渡す。
受け取ったタオルで、顔を軽くおさえ、リゼットに頷いた。
「レーヌ様、おはようございます」
エリーズは頭をさげると、挨拶をする。
「おはよう、エリーズ」
その言葉に頷くと、後ろで本を2冊ほど抱えている女性を呼び寄せ、
「今日から妃教育として携わるヨランドです」
紹介された女性は薄茶色の髪を1つにまとめ、知性的な雰囲気をまとっている。
エリーズの横に立つと、腰をおり、深い礼をすると、
「ヨランドと申します。今日から宜しくお願い致します」
と涼やかな声で微かな笑みを浮かべて挨拶をした。
「部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
とエリーズに言われたので、後ろを振り返る。
朝食後にちょっとした出来事があって、テーブルの上が片付いていないと思ったのだが、エリーズとヨランドと挨拶をしている間に2人の侍女がきれいに片付けていて、テーブルのそばに2人とも立っている。
それを確認して、前を向くと、
「はい、どうぞ」
とエリーズとヨランドを部屋に招き入れた。
窓際にあるテーブルに座ると、さっそく本題に入る。
「レーヌ様はこれから王妃殿下として殿下の横に立たれます。その時に注意して頂きたいことがあります」
エリーズの威厳を含んだ声に思わず背筋がピンと伸びる。
「レーヌ様はとても喜怒哀楽のはっきりとした方と見受けられます。ただ、王妃殿下として殿下のそばにいる時は一切喜怒哀楽を見せないでください」
レーヌは意味が分からず、首を傾げる。
「殿下の近くにいる方みなさまが味方ではありません。レーヌ様の感情を読み取り、殿下の弱みを握ろうとする方も出てくるでしょう。それがもとになり争いごとが起きるかもしれません。そうならないために、一切の感情をなくし、殿下の近くに立ち、支えてください」
エリーズの言葉にテオドールの婚約者がいかに重要な立場なのか、思い知らされる。
「ただ、それはあくまでも執務としてそばにいる時だけです。執務から離れたあと、殿下と一緒の時だけは感情を出してかまいません」
エリーズはそういうと、立ち上がると、
「それでは、私はここで失礼致します。ヨランド、あとをお願いします」
「はい」
ヨランドの返事を聞くと、エリーズを見送ることなくあっという間に部屋から出て行く。
「それでは、レーヌ様、始めましょうか?」
その一言から妃教育が始まった。
レーヌは覚悟を決め頷き、本に向き合う。
緊張の1日が終わり、椅子に座り込み動けなくなったレーヌをエステルとセレストは湯あみへと誘い、体をマッサージする。
レーヌは緊張がほぐれていくことを感じながら、
「王妃殿下になるって大変なのね」
とぼそっと呟く。
「勉強を通して、王妃としての心構えができますから」
とセレストは優しく話す。
「そうなのね」
レーヌは返答をするが、あまりの気持ちよさに眠りそうなので、早めに湯あみを終えてもらうと、食事もとらずにすぐにベッドに入った。
次に目を覚ましたのは、空が明るくなり、太陽が見え始めている頃だった。
(随分と眠ったのね)
とひとり苦笑いをしていると、セレストから声がかかる。
「お目覚めでしょうか、レーヌ様」
「はい、ずいぶんと眠っていたようだわ」
苦笑いを浮かべセレストに返答する。
「もう少しお眠りになりますか?」
「いいえ、起きるわ」
「わかりました。殿下からご伝言と贈り物があります」
セレストは部屋の入口にあるワゴンからカードと白い花を持ってきた。
「アングレカムとアスター?」
白い花は2輪で金色で縁取られている緑色のリボンで軽く結んでいる。
「疲れているだろうから、今日の朝食は一緒にせずゆっくりとしてほしいと仰り、この花とカードを置いていかれました」
セレストは優しく微笑みながら、レーヌに渡す。
この花を見ると、リュカのことを思い出して辛くなる。けれどそれはテオドールは知らないはず。
(永遠にあなたと一緒、私を信じて……)
そっと、心の中で花言葉を呟き、カードに目を通すと、労いの言葉が書かれていた。
「ありがとうと伝えてください」
セレストは静かに頷いた。
妃教育が始まり1週間が経ってもテオドールからは毎日アングレカムとアスターの花を2輪贈られるだけで、顔を合わせない日が続いている。
その原因はレーヌ自身にあるのかもと思い、頭を悩ませていた。
(動揺していたとはいえ、他の男性の名前を呼んではいけなかったわよね)
謝りたいと思っているが、執務に忙しいテオドールを呼びだすことも気が引けるし、かといってレーヌも妃教育で手一杯の状態が続き、きっかけを考えられずにいる。
ふぅとため息をついて、朝食を無理やり食べ終わると、教育担当のヨランドがくるまで、昨日まで勉強したところを復習し始めた。
日に日に勉強量が増え、覚えることがたくさんあり、勉強が終わるとぐったりとして、何もできない状態が続いている時に、ひさしぶりに魔物が出現したとテレパシーが送られてきた。
急いで警護団の洋服を身に着け、待機しているときにリアムから声が聞こえる。
『レーヌ?体調は大丈夫か?』
『ええ、問題ないわ!』
『了解した。今から部屋に行くから準備しておけ』
『いつでも大丈夫です!』
そこまで話した時にドアをノックする音が聞こえ、誰何するとリアムだったので、部屋のドアを開け、リアムの顔を確認してから、一緒に王城の厩舎へと向かい、ひさしぶりに愛馬のオレリーに乗り、リアムと一緒に夜の闇へと駆けていった。