6話 血塗れの天使
扉が開くとそこからは、金と銀の粒子が霧のように溢れ出し、力の奔流が雪崩れ込んできた。
讃美歌が一帯に聞こえたかと思うと、その音以外はすべて消されたかのように無音で現れた。
それは女性の人型で、三対六枚の大きく白い羽をもつ存在だ。
見かけは、全身を白で統一された鎧を身につけており、細部には金色の装飾が施されている。
兜は顔下だけ現れており、艶やかな真っ赤な唇が艶かしい。
金色の髪は背中まで真っすぐ伸びており、かなりの美しさだ。
俺の認識では、いわゆる天使に見える。ただ、何かおかしい。悪魔に転生してからというもの、神族と争う時に現れる天使はどれもが、手のひらサイズだ。
ここまではいい。それだけはない重大な箇所がある。
その鎧を真っ赤な血が滴り落ちるほど付着している。まるで今しがた、返り血を全身で浴びたかのような様相だ。その状態で宙に浮いたまま、こちらを見下す。
今の所は、友好的なようには見える。ただし、かなり奇妙だ。
兜が霧散し消えると、眠たそうな目つきと紅目をもち、そこに現れたのはかなりの美少女だった。
困惑させる口からの第一声は、透き通るような声の持ち主だった。
「心地よい血の魔力ね……」
「ああ。心地よい血の魔力だな」
俺の血はお気に召したようだ。
互いに視線をそらさず、真っすぐ見つめ合う。恐らくは”血”自体が合うのかもしれない。この圧倒的な存在に対して、対等とすら錯覚している気がする。その理由は、肌から伝わる存在が、神族の上位者より遥かに上に感じるからだ。
これが”外側の神々”と呼ばれる奴らの力なのかと戦慄すら覚える。
すると突如、手元に豪奢な赤黒い剣を召喚した。まるで天使に似つかわしきないその剣はいわゆる魔剣の類だろうとわかるほど禍々しい物だ。
「執行者の審判!」
「執行者の審判?」
この天使もどきは剣を掲げた途端、剣先から膨大な光の奔流が現れる。その光に触れた瞬間、俺と天使以外の物は、すべて光の粒子へと変えてしまった。
このカルデラ状の地がまるで無かったことになっている。今まさに荒野に立つのは、この俺とこの女だけだ。
するとこの女は、わずかに笑む。
「対等にいられるのは、あなたぐらいよ」
「対等にいられるのは、あなたぐらいだな」
俺は試されたと見ていいだろう。ある意味、あの力は俺には通用しないと考えるべきか。それとも影響しないようにされたのか、そこはわからない。
「望むものはある?」
「望むものはある」
俺の何かを見透かしているのだろうか。素直に答えた。
「いつまで?」
「いつまでも」
俺はずっと望んでいる。
「随分とひどい顔ね?」
「随分とひどい顔だろ?」
俺は思わずニヤついてしまう。この女も同じようでいい意味で口角をあげて笑む。
「ラファエル ……血塗れの天使よ」
「レン……血塗れの元悪魔だ」
互いに名乗りをあげたあと、ラファエルは一瞬にして間合いを詰めると唇を重ねた。それがどのぐらいの時間だったのか、かなり長く触れていた気がする。
唇を離すと、この天使はいう。
「契約ね」
「契約か」
俺はラファエルの大胆な行動に驚きつつも、一つ目の目的は完遂したことを実感した。まさかラファエルが降臨するとは、思いもしなかった。
名前は同じでも俺の知る熾天使ラファエルとはどこまで違うのかは、これからわかるだろう。
この時唐突にラファエルは、俺の心臓を掴んだ。体とラファエルの腕が同化しているかのような感じだ。
不思議そうな表情とこんなことができるのは、この天使の特徴なのか。
「レン。やるのね?」
俺の心臓に触れたままいう。どうやら俺の最終目的をこのような方法で察知するとは、驚愕に値する。
「ああ、やるさ」
少し悲しそうな表情を浮かべると、何か知っているのか語り出す。
「それは、触れざる物。持たざる者の力」
「触れざる物、持たざる者の力?」
「そう……。元々こちらの世界の秘術」
「……なるほどな。心配してくれるのか? 優しいんだな」
いわんとすることはわかる。伝承では、あの誓約は危険すぎると言われてあらゆる書物から消されたぐらいだ。まともじゃないのは確かだ。
「私は、記憶に触れられる。レンのそれは、悲しすぎる……」
「ああ。わかっているよラァエル」
ラファエルは俺の何を垣間見たのか、見てしまったなら仕方ない。俺が神族の奴らの殲滅を、決意したきっかけなど、よくある話だ。
「エルでいい。その方が呼びやすいでしょ?」
「ああ。そうするよエル」
「そうして。レン」
急に距離が縮まったような気はする。気のせいなのかもしれないけども、少なくとも良好な関係は大事だ。恐らく、追手がきたら息する暇もないほどの襲撃が予見される。
あと二体。
”ダルザード”と”アルアゾンテ”だ。この二人への接触はかなり難しいと思っている。理由は、ゴルドニアが消滅したからだ。恐らくこれにより、警戒はしてくるだろう。
ただ、欲望に忠実だと聞き及ぶところから、いずれ我慢できずに姿を表すのは想像に難しくない。その気持ちが抑えきれないほどの殲滅戦をするつもりだ。
俺とエルは並びながら、次の目的地へと足を運びはじめた。