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第32話 ああ、月曜日だけ病気になる病気になればいいのに病

「さあて、今日はどんな“対話”をするのかな」結城が例によって、食事しながらも陽気に話し続ける。
 他の二人は例によって、特に返答も反応もしなかった。
「ていうかさあ」結城は今日の弁当――コンビニの生姜焼き弁当の豚肉を頬張りつつ天井に目を向け考えを述べた。「地球の前に、まず俺ら同士が、まだそんなに対話ってしてないよね」
 他の二人は箸を休めるでもなく食事を続行する。
「よし」結城は右手に箸を握り込み、たった今思いついたばかりの決意を述べた。「じゃあ折角だからさ、俺ら新人同士、腹を割って話しようか。皆、彼氏彼女はいるの?」
 他の二人はすぐに返事をしなかった。
「ねえ、時中君」結城は左隣に座る時中を指名した。「彼女いるの?」箸を持たぬ左手に、架空のマイクを持ち差し出す。
「いない」時中は短く答えた。
「じゃあ本原さんは?」結城は時中のさらに左側にいる本原の方へ左手の架空マイクを向ける。「彼氏」
「いません」本原は無表情に答えた。
「そうか」結城は自分の口許に架空マイクを向ける。「俺もいない」
 それで話は終わった。
 結城は右手の箸を正式に持ち直し、飯と豚肉を頬張り咀嚼していたが、また閃きを得て架空マイクを左手に持ち直した。「じゃあさ、本原さんの好みのタイプは? たとえば俺と時中君だと、どっち系が好み?」
「判断致しかねます」本原は無表情に答えた。
「そうかあ、じゃあ、天津さんとかは? 優しそうじゃん」
「天津さんは神さまですよ」本原は、無表情ではあったが結城の顔を見て告げた。「卑しき人間ごときが下劣な感情を抱くなど、死に値する行いです」
「えー、そうかなあ。硬いよ、そんな」結城は頭の後ろに箸を持つ手をやった。「けど天津さんってあれかな、木之花さんに気があんのかな。どう思う?」
「殺されるぞ」時中が告げた。
「えっ」結城は架空マイクと箸を同時に口許近くに引っ込めた。「誰に?」
「その辺の」時中は面倒臭そうに床に向け手をひらりと振った。「出現物に」
「まじか」結城も床を見下ろす。
「皆さん、お疲れ様です」その時研修室に、木之花が入室してきた。その手には小振りのトレーが載せられており、そのトレーにはケーキの載った皿が載せられていた。
「あっ木之花さん、お疲れっす」結城は左手を額に当て敬礼した。
「先ほど、酒林さんから皆さんに差し入れが来ましたので」木之花はそう言いながら、三人の着座している長テーブルの上にケーキの皿を置いていった。「食後のデザートにどうぞとの事です」
「おお」結城が感動の声を挙げた。「酒林さん。俺の息子ですね」
「――」木之花は一瞬硬直したが、微笑みを絶やさず「ああ、何かそんな事を言ってましたね、すみません」と詫びた。
「お疲れです」その後すぐに天津が入室して来た。その手には小振りのトレーが載せられており、そのトレーには紅茶の入ったカップが乗せられていた。「お茶もありますんで、どうぞ」
「ありがとうございます」本原が礼を述べる。「すみません。神さまにお茶汲みなどさせてしまって」
「ははは」天津は困ったように笑う。「いえいえ。しがない研修担当ですから」
「そんなことありません」本原はにこりともしない。「しがない神さまなんていらっしゃるわけありません」
「ははは」天津はただ困ったように笑うしかないようだった。
「あの酒林さんも、この会社の社員なんですか」時中が訊く。「社員でありながら、居酒屋を経営しているんですか」
「はい」木之花があっさりと頷く。「どっちつかずの、適当な仕事をしているんです」
「いやあ、経営の才に長けてるんでしょう。すごいっすよね」結城が持ち上げる。「さすが神。神仕事」
「板長さんやバイトの学生さんのおかげですよ」木之花の言葉はしかし容赦なく続く。「あいつ自身は、くそぼんくらでどたまに来る奴です」
「どぎつい表現だな」時中が俯きながら密かに呟く。
「でも、笑顔は素敵ですよね」本原がフォローを入れる。「あれは、いわゆる営業スマイルなんですか」
「というよりも、詐欺スマイルですね」木之花は容赦なく斬り捌く。「本原さんにまでちょっかいを出そうとするなんて、言語道断です」
「私が母親だと知って、かなり吃驚なさったのでしょうね」本原はそっと気遣った。
 沈黙が流れた。
「――まあ、もしかしたら、という話ですけど、ね」天津が場を取り繕う。「お茶、冷めないうちに召し上がって下さい」

     ◇◆◇

 ――クラゲの仲間、だったよな。
 地球はふと、そんな事を想った。
 ――クラゲとか、イソギンチャクとか……刺胞動物、だっけ? あの類から、
「岩っちー」また鯰(なまず)が呼ぶ。
 物想いに耽ろうとすると、この鯰がいつも喋りかけてくるような気がするのだが――でもよく考えると、地球は常に、物想いに耽り続けているようなものだから、いつ鯰が喋りかけてきたとしてもそれは常に、地球が物想いに耽っているときと重なるのだ。鯰を責めるわけにはいかない。
「新人たち、もうすぐ来るよー」
「うん」地球は比喩的に頷いた。「わかった」
「今日は何を聞いて来るのかね」鯰はふう、と息を吐いた。というのも比喩的なもので、鯰は魚だから鰓から二酸化炭素を排出したというのが正しかろう。
「今日はね」地球は、さっきふと想った事を伝えることにした。「最初に私から、訊いてみたいことがある」
「へえー」鯰は少し驚いた。「岩っちの方から? 珍しいね」丸い目をくりくりさせる。
「うん」地球はほんの少し、比喩的に照れた。「システム稼働に外れるかも知れないけど……まあ大丈夫だと、思う」
「で、何を訊くの?」
「えっとね……新人の皆さんの、お腹の具合について」
「え?」鯰は素っ頓狂な声を挙げた。「お腹?」
「そう」地球はしかし、比喩的に素直に頷く。「便秘とか下痢とか、してないかどうか」
「なんで?」鯰はさらに訊く。「って、新人たちも多分訊くと思うけど」
「クラゲとかイソギンチャクの仲間とかが作られたとき、初めて消化管が備えられたんだよね」地球は、まるで過去を懐かしむかのように語り出した。「君にもあるでしょ。消化管」
「ああ……まあね」鯰は自分の体を見下ろすようにして答えた。
「その消化管ができたおかげでさ、生物は“食う”ことを必要とするようになって――“食う”為に活動を、仕事をするようになって――時には“食う”為に争いや罪を犯したりも、するようになって」
「――うん」鯰はどこか慎重に頷いた。
「その活動や仕事の為に、私のシステム上にも大きく影響を及ぼしてくるようになって」
「――そう、ね」鯰はますます慎重に頷く。地球が怒っているのかどうかを案じているのだろう。
「で」しかし地球は淡々と続けた。「そんな活動や仕事の為に、今度は人間自らの体や精神を、傷つけられたり病んだりし始めてさ」
「――ああ」鯰には少し、地球が何を知りたいのかが理解できたような気がした。
「消化管は健全さを保たれてるのかな、って……結果としてその器官が生物に備わったのって、良いことだったのかな、って」
「なるほど」鯰は頷いた。「そこでまた天津とかに、鋭く問い正してみるってわけね」
「ははは」地球は少し比喩的に苦笑した。「そんな、苛めるつもりではないんだけどね」
 ただ、不思議なのだ。何が不思議なのか――確かに、神はどうしてそんなことをしたのか、ということも不思議ではあるのだが、それ以上に――生物は、というよりも人間は、この先どうなっていくのか。
 何かまた、今までの生物にはない機能だとか器官だとかを、新たに備え付けたり切り開いたりしていくのだろうか。今はまだ、誰も予測もつかないような何かを。
 そしてそれは“楽しみ”な事、なのだろうか? あの奇体な、スサノオが言っていたように。

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