第三十話『女神からのお告げ、世界に迫る危機』
いつから眠りについていたのか、俺は深いまどろみから目を覚ました。
ぼんやりとした頭で顔を上げると、目の前に広がる景色は俺のアパートではなかった。周囲に広がるのは花の庭園で、花壇の囲いや石畳などは白い石で造られている。この場が女神の領域だと理解し、地に手をついて立ち上がろうとしたその時だった。
「……?」
手元に人肌の感触があり振り返ると、そこには眠りについたエリシャがいた。ルインの姿も探したが見つからず、この場には俺たち二人だけだった。
エリシャの身体を揺するとすぐ目を覚まし、寝ぼけまなこで俺を見て「おはようございます」と言ってくれた。そしてすぐにハッとし、キョロキョロと辺りを見回した。
「……あれ? レンタ、ここってもしや」
「あぁ、女神の領域だな。数日前に呼び出されてから、今回で二度目になる」
異世界で暮らしていた時は、エリシャを含む勇者一行で呼び出されたものだ。そういう時は大抵世界に危機が迫っている時で、今日も悪い知らせがあるのだろうと察した。
そんな予想に応えるように、俺たちの目の前へ黄金の光がきらめき落ちてきた。それは人型に形を変え、幾度と出会い見知った女神が姿を現した。
「――――待っていたわ。レンタ、エリシャ」
以前とは違い、女神はシルエット状ではなく身体的な特徴がハッキリしていた。美しく長い黄金の髪と、それに見劣りしない端正な顔立ち。背から生えた天使のような翼が上下すると同時に、身に纏う白いベールドレスがふわりと揺れ動いていた。
女神の姿を見たエリシャは膝をついて首を垂れ、恭しく定められた口上を述べた。
「そんなにかしこまらなくてもいいわよ。この場は精神世界で他に見てる者はいないんだから。もっと普通に接してもらった方が、私としては助かるわ」
女神はそう言ってくれるが、エリシャはさすがに恐れ多いようだ。精霊人にとって女神は創造神レベルで崇められているので、これが当然の反応ではある。俺が呼び出した要件を聞くと、女神は表情を真剣なものにした。
「もう察してるだろうけど、今回二人を呼び出したのは急を要する話があったからよ。詳しい話は、座ってからするとしましょうか」
そう言いながら、女神はパンと軽く手を叩き合わせた。すると前回と同じようにお茶をするためのテーブルと椅子が現れ、女神はそこに座るように促してくれた。
話の本題が始まる前にルインのことを聞いてみると、女神は「安心しなさい」と言ってくれた。この場に呼べなかったのは魔族と魔力的な波長が合わないのが原因だそうで、もしルインに何かあったら領域を消してでも目を覚まさせると約束した。
「ふふっ、それにしても分からないものね。あれほど死線交わした魔族と、二人が親子のような関係になるなんて」
「曖昧な気持ちでいたせいで、ついさっき後悔したばかりですけどね」
「……曖昧な気持ちね。なら二人は、あの子をどうするか決めたの?」
女神の問いかけは、俺がずっと目を背けてきたものだ。俺はルインにとって『頼りになる大人』になろうとはしたが、『親』になる覚悟はなかった。だけど今回のことでどれほどルインが俺たちを想っていたか心に刻み、その願いに応えたいと決めた。
「俺は……、ルインの父親になります。もう二度と、悲しませたりしません」
「私も同じ思いです。あの子の母親として、ずっと傍にいようと決めました」
俺たちの発言を聞き、女神は嬉しそうに微笑んでくれた。そして何も言わず表情を引き締め、ここに呼び出した要件を話し始めた。
「――――さて、それじゃあ本題とするわ。単刀直入に言うとね、今アルヴァリエとそっちの世界が繋がっているせいで、様々な問題が起きているの」
そう言うと女神は虚空で指を回すように動かした。するとそこには二つの球体が現れ、片方の表面は地球の大陸図と似ていた。恐らくもう一方は異世界の大陸図で、双方の間は糸のように細い光で繋がれていた。
「こうして私の姿が視認できているのも、世界同士が繋がった影響ね。問題となるのはこの穴……『異界の門』を通して魔力がそっちに流れているの」
「魔力が流れることによる問題……というと?」
「たぶんそっちでは、何かしらの異常気象が起きているはずよ。現時点ではその程度で済んでいるけど、このまま放っておけば大惨事になるわ」
今はまだ石ころ一つ程度しか通過できない微弱な穴らしい。だがたったそれだけで、これほどの大雪が降ることとなった。
女神は魔王の目的が、双方の世界を手に入れることだと語った。魔力が無いなら存在する環境を用意すればいい、それだけのことを魔王はやると告げた。
「門が繋がったとしても、世界全体に魔力が満ちるまでは最低でも四・五年ほど時間が掛かるわ。だから魔王は一度帰還して、まずアルヴァリエから手中に収めるはず。そして時が満ちたら、またそっちに戻って侵攻を開始するでしょうね」
「戦って、勝ち目はあるんですか……?」
「……こっちもただで世界をくれてやるわけにはいかないから、全戦力を投入して徹底抗戦するつもり。一年か二年か、やれるだけやってみるわ」
その女神の言葉は暗に、魔王に勝つ可能性はないと示していた。
「……勇者の力さえレンタの手元にあれば、まだ対処可能だったんだけどね。こっちからの援護も大してできないし、正直八方塞がりな現状だわ」
「……どうして勇者の力は俺の元から消えたのでしょうか?」
「やっぱり気になるのはそこよね。あれは例外なく、素質ある者にしか宿ることはないのよ。少なくてもこっちにはないみたいだから、レンタが持ってなければおかしいの」
その発言を聞き、俺は一つ思い当たった。
「女神様。仮に同じぐらい勇者の素質がある者がいれば、その者に力が継承される可能性はありますか?」
「…………基本は無いけど、今回に限っては未知数ね。世界を越えた転移の影響で、勇者の力が持ち主を見失ってしまうのはありえるわ。まぁあくまで、すぐ近くにその対象がいたらの話だけどね」
「だとしたら……、もしかして」
エリシャの方を向くと、迷わずコクリと頷いてくれた。それで俺は確信し、魔王に憑かれているミクルがあれほどの魔法を扱えている理由に合点がいった。勇者の力とはそれそのものに、膨大な魔力を生み出せる力があるからだ。
(……俺だけじゃなく、ミクルの方にも勇者の素質があった。ありえない確率だけど、それなら力が消えたことにも納得がいく)
どうして勇者の力を持つ者が、まったく同じタイミングであの場所に居合わせたのか。あの夜の遭遇そのものが、彼女の仕組んだものだったのか。他にも疑問に思うことはあったが、現時点で判明している事実が一つあった。
何か分かったのかと聞いてきた女神に、俺は最悪の可能性……いや結論を告げることにした。それはあまりにも絶望的で、微かな希望すら摘み取るものだ。
「今勇者の力を持っているのは、魔王の傀儡となっているミクルという子です」