(2)
しんとした空間を破ったのは禅一の方だった。
「悪かったね、さっきは電話に乱入したりして。折角二人で話してたのに」
「いえ……心配してくれたんですよね。俺何か飲み物作るので、ちょっと時間いいですか」
珠雨は電話の邪魔をしたことについて、特に気にした様子もなく笑みを作った。
「え、いいよ僕が作るし」
「いつも禅一さんが先回りしてやっちゃうから、たまにはやらせてください。コーヒーですよね」
「たまには違うの飲もうかな。珠雨の好きなので」
「わかりました」
珠雨がヒトエの厨房で何か準備している。
ミルクパンにお湯を沸かし、何やら香ばしい匂いが漂う中、牛乳を冷蔵庫から出してきた。
「もしかしてほうじ茶ラテ?」
「そう。俺禅一さんの作るこれが好きで、あ、環奈も好きって言ってたなそういや」
やがて出来たほうじ茶ラテをテーブルに置いて、珠雨も禅一の傍に座った。
「ありがとう」
「……さっき電話してたのって、本当は元々違う用件だったんですよね。話してるうちに、入院の準備がとか、結婚したとか色々言い出して」
「珠雨はお母さんとわりと電話する方だよね。違う用件の方は片付いたの?」
親子仲が良好なのは、良いことだ。
氷彩の体調は心配だが、結婚したというのなら禅一が出ていくのもどうかと思う。心にもやもやした物があるのは否めなかったが、仕方ない。
「えと……あとで言います」
「別に内容までは言わなくてもいいけど、僕が聞いた方が良い話?」
「判断に困るかも」
珠雨の言い方が、まさに判断に困る。一体何を話していたのだろうか。
「禅一さん。それはそれとして、よくわからないことがあるんです。聞いて貰ってもいいですか」
改まった口調で言われて、ほうじ茶ラテに口をつけていた禅一は、なんだろうと考えを巡らせた。
「まず一つ。俺母の相手がよく変わるのは知ってるけど、結婚したのかな? と思ってもずっと苗字が小野田のままなんです」
「……それは珠雨がって意味で?」
「いや母も。でも相手の苗字が小野田になってるわけでもないらしく。……これ、母はもしかして入籍はしないでいたのかなって」
「内縁関係ってことかな?」
昔、氷彩にあまり戸籍を汚すなと提言したことがあったのを思い出した。あの時、わかった、と言っていた気がする。それを忠実に守っているのか、たまたまなのかはわからない。そう言えば送られてくるハガキの差出人も、ずっと小野田氷彩となっていた。便宜上そうしていたわけではないのか。
「多分……で、相手とは別に仲違いしてるようには見えなかったのに、ふと気づくと別れてるんです。でそのタイミングというのが、相手と俺の間にトラブルが発生した直後で。……なんかこれ、嫌な感じでしょ」
「珠雨から遠ざける為……トラブルって、まさか性的虐待されてないよね?」
心配になって聞いてしまったが、珠雨の反応は思いもよらない、という感じだった。
「そういうんじゃないです。男の子の恰好したガキですよ? 誰も俺のことそんな目で見ないし。女の子らしくしろとか、そういう余計なお世話です。良かれと思って言ってるんだろうけど、こっちも反発したりでぎすぎすしちゃって」
「なら……良かった」
禅一にとって、珠雨はどんな珠雨でも可愛い。
以前珠雨に告白された時、子供のように思っていると言って断った。けれどもそれは、今となっては本心だったのかどうか判別出来ない。
ただ、そんなふうに珠雨を意識したくないだけ。なかなか認めたくないのは、珠雨に手をつけてしまうのが怖いから……とそこまで考えて、やめる。今はそういうことを話しているのではない。
「さっきの海老沢さん、不器用な感じはするけどいい人ですよね。俺にも理解あるし。たまにですけど母と俺と三人で食事に行ったり、してました。でもずっと結婚はしなかった」
「うん、海老沢教授は他の方と結婚してたはずだから」
離婚が成立してのタイミングなのかもしれない。
「なんか長いこと別居してる奥さんがいたのは、母が言ってたので知ってます。ずっと誰とも籍入れないで来たのは、もしかして海老沢さんを待ってたのかな、と考えることは出来るんだけど……」
「何か引っ掛かる?」
「さっきの禅一さんへ向けた言葉が……やっぱ気になる」
禅一が断ったら結婚しようと決めていた。確かにそう言っていた。
「僕が受けてたら本気だったってこと? うーん、どうだろ。珠雨の前で悪いけど、あの人の言葉には真剣さがないんだよ。どこかふわふわしてて……で、まず一つって、他にも何かあるの?」
禅一の氷彩に対する評価に微妙な顔をしながら、珠雨は頷く。
「虫垂炎て、一度切ったら、二度目はないですよね」
「そうだね。完全に切除したら、なりようがないかな」
「子供の頃の記憶なので、曖昧なんだけど……昔母が虫垂炎で入院した気がするんです。だから変だなって……もしかして、心配するから言えないような、厄介な病気だったりしたら……って」
珠雨の顔が不安に曇っている。
安易なことは言えない。禅一は慎重に考えてみる。何か兆候はなかったか。