(3)
バスのアナウンスが目的地を告げ、うつらうつらとしていた禅一はかろうじて目を覚ました。降車ボタンを押してバスを降りると、微かな雨が体を濡らした。傘を開いていなかったことに気づき、まだはっきりしない頭を軽く振る。
(うーん……未練たらしいな、どうしたもんだか)
先日氷彩によりを戻す提案をされはしたが、話半分に聞いていた。禅一は気づいているからだ。
都合の良い男に成り下がっていることを。
(それでも完全に突っぱねられない僕は、さぞかし滑稽なのだろう)
もしあれが本気だとしても、珠雨とのことがあったから、気軽に決められるわけがなかった。
珠雨がこちらの大学を選ばなかったら、どうだったろう。ヒトエに居候を始めたのは立地条件が良かったからだが、進学先が違ったらそもそも現在の状況は揃わなかった。
何らかの意図を感じる。
(ん……考え過ぎかな……)
しかし一度頭に住み着いた仮説は、なかなか出ていこうとしなかった。
病院の午前の受付時間ぎりぎりに入って、担当医にちゃんと来るよう苦言を受けながらもテストステロンを投与した。即効性ではないが、なんとなくノルマをこなしたという意識から気分が楽になる。
(麦ちゃん大丈夫かな。一応電話するか……)
とりあえず帰るだけだが、念の為ヒトエに電話を入れる。早く帰ってきてくれと泣き言を言われたので、すぐにバス停へ足を向けた。
再びバスに揺られながら、考え事をする。
珠雨がこちらの大学を選んだのは何故か。地元にも丁度良い大学はあったのではないか。
古民家はカフェを開くのに買い取った物件だが、物件を探している時に、氷彩の「会いたいの」攻撃に合い、まんまと乗せられた。不動産屋に知り合いがいるからと紹介されて、そこで見せられた物件の中にヒトエの元となる古民家があった。比較的近くに学校や駅があったりして、選び易い環境でもあった。
(うーん……もしかして、僕は踊らされていないか)
珠雨はどうだ、理性は保つかと聞かれて、一体この人は何を言っているんだと思っていたが、普通年頃の娘をいくら男性ホルモンが少ないからと言って、独身男性の家に住まわせるだろうか。
(いやいやいや……僕に都合良く考えたら駄目だ。あの人がそこまで計画的に物事を運ぶとは思えない)
若干氷彩に失礼なことを思いながらも、可能性を考える。
もしも氷彩が禅一と珠雨をくっつかせようとしているならば、来訪の際に禅一と寝たりするだろうか。あんな、珠雨がいつ二階から下りてくるとも知れない場所で。
(あれは結局僕が我慢出来なくなっただけで、強引にそうなったわけではない)
あの時はテストステロン投与に行ったばかりで、ホルモンの影響で普段より性的欲求が上昇していた。
けれど氷彩も誘っていた。酒に酔って無防備な姿を晒し、禅一を絡め取った。
(違うか……これは否定論だ。肯定する場合のことを考えよう)
珠雨に禅一を異性として意識させる意図はなかったか。氷彩とそういった行為をすることによって、興味または嫉妬心を植え付ける。
(いや、これも僕に都合が良すぎる。違う違う)
それは珠雨が元々禅一に好意を持っていた場合ではなかろうか。……持っていたのか。
(わからなくなってきた。もう本人に直接聞いた方が早いような……)
しかしそれはそれで屈辱感があった。
もしそれが本当ならば、氷彩の手のひらの上で踊らされていたことになる。
考えがまとまらないうちに、バスのアナウンスが目的地を知らせた。