（４）
朝起きたら頭がずきずきした。昨夜飲み過ぎて完全に二日酔いだった。眼鏡を探すが見当たらず、禅一は困る。
「あれ、本当にどこ置いたっけ……？」
目覚ましのアラームが鳴った際、音を頼りに適当に止めたはいいが、眼鏡がないと本当に生活出来ないくらいに視力がない。二階に上がるのに眼鏡を掛けないわけはないので、絶対に部屋の中にあるはずだったが、手探りで探してもわからない。
考えた末、以前いざという時の為に購入した使い捨てのコンタクトレンズを抽斗に仕舞っておいたのを思い出す。スペアの眼鏡くらい作っておくべきだったが、保管しておいたそれをなんとか探し出すと、目に装着した。
ぐらりとした。久し振り過ぎて気持ちが悪くなる。
「ごろごろする……」
それでも裸眼よりは良かった。そしてテンプルの折れた眼鏡がベッドの下に落ちている、という悲しい事実に直面した。これでは耳に掛けられない。
「うーん……何故だろう？」
飲み過ぎて記憶を失くしているわけではないが、少し曖昧な部分があった。順を追って思い出す。
「あっ」
昨夜珠雨に、色々と個人的な事情を漏洩した。ちゃんと納得させるには根本的なことから固める必要があると判断し、告げたことではあった。
ただ、あんなこと言わなきゃ良かったとか、もうちょっとスマートなやり方があるだろうとか、えも言われぬ後悔が禅一を襲ってきて、そのあとアルコールが入ったのも手伝い、罪のない眼鏡に感情をぶつけてしまったのだ。
「馬鹿みたいだな、自分が困るのに」
バラけたテンプルと本体を拾い上げ、どこが破損しているのか確認する。ヒンジの部分に亀裂が入っていて、直せそうになかった。早々に眼鏡を購入しなければならない。
（……あー……しかし気まずいな……）
時計を見ると、アラームをセットした朝の六時をだいぶ過ぎていた。眼鏡の捜索に時間をかけ過ぎた。仕方なく着替えて一階に降りて行くと、テーブルに珠雨のメモ書きが置いてあって、既に出掛けていたことにほっとする。第一声をどうしようか困っていたところだ。
簡単に朝食を済ませたあとに店内の清掃をするが、なんだか落ち着かない。
再び自室に戻り、本棚に収めておいたポストカードケースを取り出してみる。
氷彩から毎年送られてくる年賀状類が、来た順に並んでいる。いつも写真入りのそれは、珠雨の成長記録にも思えた。
禅一のいない世界で過ぎてゆく珠雨の時間。
定期的に送られてくるそれを見るのが楽しみだった。少しずつ大きくなってゆく写真の中の珠雨は、きっと禅一のことなど忘れてしまっただろうと寂しく思っていたが、それでも良かった。
（生き甲斐……みたいな。ほんと父目線だったんだけどな……）
けれど高校生くらいになると、ボーイッシュな中にも女を感じる部分が出てきて不思議な気持ちになった。
大学生になる少し前に、居候の話を氷彩から提案されて迷った。
例えば氷彩の知り合い夫婦の家、とかならわかる。しかし禅一は独身男性だ。珠雨もよく居候する気になったと思う。
写真で見てはいても、実際顔を会わせるのは久し振りだったし、当の珠雨は案の定禅一を認識していなかった。それでも特に拒否反応を示すことなく居候を受け入れたのは、多分禅一を異性として見ていないからだと結論づけた。そもそも珠雨は女の子でありたくない。だから、女の子扱いしないよう、フラットに対応したつもりだった。
けれど珠雨もいつかは、女になる時が来るだろう。
好きな男でも出来れば、きっと変わってゆく。自然に誰かと付き合って、いずれは結婚し子供を産むのかもしれない。
（そう思っていたのに、この現状）
珠雨の言葉が、自分の根底を揺るがす。
そんな目で見ていたわけではない。
意識したらいけないのに。
パートナーとして愛せない、のではない。
ただ、それを選択するのが怖いだけなのだ。
禅一は身体中の二酸化炭素をすべて吐き出すかのような大きなため息をついて、ポストカードケースを元の場所に戻した。
「出掛ける……か」
眼鏡店の開店時間をただ待つのもどうかと思ったので、たまには散歩でもしようと戸締まりをしてヒトエを出た。
今日は曇り空だが、晴れ間がうっすらと見えていた。
