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氷彩の仕事は保険の外交員だ。契約者で大学教授をしている海老沢の元を時折訪れるが、その時に出会ったのが禅一だった。海老沢を訪れる理由は仕事以外にもあり、珠雨のことで相談をしていたのだが、何を思ったのか禅一を紹介された。
「もしかしたら役に立つかも」
などという、曖昧な紹介だった。
よくわからなかったが、人当たりの良さと見た目に惹かれ、海老沢抜きで会うようになった。珠雨のことも可愛がってくれて、珠雨自身禅一になついていた。
「別にいいんじゃないですかね? それを珠雨の個性と受け取ってあげて、普通に接してあげてください。海老沢教授もそう言ってませんでした?」
「う、ん……そうなんだけど、やっぱり将来を考えると不安で」
珠雨は今保育園に預けている。お昼に禅一と外で待ち合わせし、ランチを摂りながらお悩み相談のようなことをしていた。
「浅見くんはそういう研究してるの?」
「僕は全然。英文学科ですし。ただ海老沢教授とは個人的に付き合いがあるだけです。……でも、人の話を聞くのは好きですね」
物腰の柔らかい男だ。髪を伸ばしているのも個性だろうか? 瞳がきらきらしていて、あれ、と思う。
「カラコンしてる?」
「目が弱くて。UVカットのカラコン入れてます。全然普通のでもいいんだけど、似合うから入れてみない? って押し切られて。それからなんとなく」
「押しに弱いのかな? もしかして髪もそう? 浅見くん……浅見って呼んでいい? なんかその方が可愛い」
「どうぞ好きなように。髪は美容室で働いている知人がいて、その人のカットモデルやって節約してます。ある程度長さが欲しいという先方のリクエストがあって、いつのまにかこんな感じに。カラーも練習台になってますね」
狙ってそういうヘアスタイルにしているように見えるのは得だ。というか、絶対狙ってやっているだろう。禅一がではなく、その美容師がだ。似合っているし、とにかく可愛い。女の子の可愛さではないが、不思議な魅力がある。
「可愛いって言われるの、嫌ではない?」
「え、可愛いですか?」
「世間一般は君のような顔を『可愛い』と判断すると思う。もう存在そのものが」
「そうですか……まあ、人が僕をどう受け取っても、僕自身が変わるわけではないし、人の評価は気にしないようにしてます」
嫌味とか強がりではなく、本当にそう思っているようだった。特に気にした様子もなく、目の前の料理を口にしている。
「なんか達観してるねえ、君は」
「……まあ、僕のことはどうでも。珠雨のことでしょ?」
どうして海老沢が禅一を紹介してくれたのか、よくはわからなかった。けれど格段に話し易かった。
「まだ珠雨は年長さんでしょう。だからこれから変わっていく可能性もあるし、変わらないかもしれない。それは誰にもわからないんです。だけど、お母さんである氷彩さんだけは味方になってあげないと、曲がっちゃいますよ」
「矯正とか……しちゃ駄目なのかな?」
「歯列矯正とは違いますからね。心の問題はデリケートだから、無理強いは良くない」
珠雨は、女の子だ。
けれど女の子が興味を持つようなきらきらした物にはほとんど興味を示さず、男の子と一緒に遊ぶことの方が多い。保育園から注意を受けるような、手を出しての喧嘩をしたりも普通にある。
可愛い服を買ってきても、一度は嫌そうに袖を通してみるのだが、その後絶対に着てくれない。仕方なく店に行って選ばせると、男児コーナーで立ち止まる。氷彩が想像していた女の子の育児とは、なんだか違う。
珠雨はまだ小さいから、男女の差など理解していないのかもしれない。
「珠雨、自分のこと『僕』って言うんだよね」
「保育士さんは、そういうのうるさく言うタイプですか?」
「んーん、言わない。そこは救いかなぁ……だけど、あたしが言っちゃいそう」
「言わないであげてください。言いたくなったら、僕に愚痴って解消して」
穏やかな笑みを浮かべた禅一に、どきりとする。こんな若造に何をときめいているのだ、と氷彩は自分にブレーキをかけようとしたが、良く考えたら相手も成人しているわけだし、問題などないのではないか? と考え直した。
何度目かのランチの時に、
「いっそ結婚しちゃおっか?」
冗談めかしたプロポーズをした氷彩は、駄目元だったので承諾されるとはあまり思っていなかった。
「付き合ってからじゃなく?」
「えっあっそうだよね! うん、あたしと付き合わない?」
「……僕はまだ学生ですけど、その辺はいいんですか? 稼ぎもないし、頼りないでしょ」
「え、うん。卒業まではあたしが稼ぐから大丈夫! その辺のリーマンより稼いでるんだから」
「ヒモになるつもりはありませんが、僕で良ければ」
「嘘、ほんとに? いいの、こんな年上の子持ち女で」
びっくりした。まさか上手く行くとは思っていなかったので、声が裏返る。禅一はそんな氷彩を興味深そうに見つめ、「実は氷彩さんのこと、狙ってたんです」と囁いた。
随分と年下の男にそんなことをさらりと言われ、顔に血が昇るのが恥ずかしかった。