第八話『カップラーメンと目覚めた少女』
一通りの家事を終えた俺たちは、カップラーメンで昼食にすると決めた。
朝にコンビニで買ってきた味の種類は、醤油と味噌と塩味と一通りの種類がある。それをテーブルに並べてみると、エリシャは興味深そうに内容を尋ねてくれた。
塩味はおおざっぱにでも説明できたが、醤油は異世界で類似するものが無く上手い例えが思いつかない。味噌もそれそのものは存在を確認できていなかったが、幸運なことに類似する食べ物をエリシャも知っていた。
「なるほど、ミソというのはあちらで言う『レッセ』のことなんですね」
異世界にあったレッセという食べ物は、メロンのような形をした根菜類だ。栄養の豊富な土壌で育ち、収穫には数か月ほどかかる。生で食べることはできないが固い皮の中にある身を冷暗所で発酵させると、味噌のような味と食感になるという不思議な食べ物だ。
「あれを見つけたのは、エリシャと二人旅をしてたころだったな。香りで懐かしくなって、実際に食べても味が似て感動したもんだ」
「今は私も好きですが、当時は見た目と匂いがキツかった記憶があります」
「せっかくだし、今日は味噌味を食べてみるか?」
そう聞いてみると、エリシャはうーんと首を傾けて迷った。
「話を聞く限りショウユも美味しそうですし、やはりミソも捨てがたいです。冒険するべきか堅実に行くべきか、とても迷ってしまいます」
「また買ってくればいいし、直感で選んだ方がいいと思うぞ?」
「いえ、お湯だけで作れるという英知の味を堪能するんですよ。私としても記念となる瞬間なので、ここは慎重に行きたいと思います」
じぃっとパッケージを見つめるエリシャに、俺はカップラーメンについて一番重要な情報を伝えていなかったことを思い出した。
「ちなみにだけど、カップラーメンは三分でできる」
「三分? さすがにそれは……いや、本当かどうか確かめるとしましょう」
エリシャは俺が思った以上に日本を堪能しているようだ。選ぶのを待つついでにキッチンのヤカンを取りに立つと、自室の方から何かがドサッと落ちる音が聞こえてきた。
「…………エリシャ、もしかして今の音って」
「分かっています。一緒に様子を見に行きましょう」
振り返って見たエリシャの目つきは、魔物と戦う時のように鋭くなっていた。俺も心構えだけでも戦う時のものに変え、警戒しながら自室の扉を開けていった。
寝ている内にベッドからズリ落ちたようで、魔族の女の子は身体をシーツで包んだまま床に座り込んでいた。ここがどこだか理解できないのか、キョトンとした顔で辺りをキョロキョロと見回していた。
(……パッと見は、そんなに危険そうじゃないけどな)
魔族というのは見た目通りの年齢の者が少なく、外見は判断材料にならない。この子も一見すると五・六歳ぐらいだが、実際は百歳を超えている強力な魔族の可能性が高い。
気づけばエリシャの手には、魔法で生み出された弓が握られていた。俺は目線で「もしもの時は頼む」と伝え、怯えさせないように一人で自室に足を踏み入れた。
「初めまして、俺はレンタって言うんだ。……君のお名前を教えてくれるかな?」
「レンタ……? ここは、どこ……?」
「とりあえず危険な場所ではないかな。ここは俺の家みたいな場所で、倒れていた君を起きるまで見守ってたんだよ」
「レンタが、わたしをみてくれてたの……?」
会話から見た目通りの年齢に近いと判断し、俺は自分の中の警戒を緩めた。もしも攻撃を受けることがあっても、背中を預けてきたエリシャなら任せられると信じた。
目線を合わせるために床に腰を下ろすと、女の子はじっと俺を見つめてきた。その目はくりくりとお人形のようで、どことなくお姫様のような印象が感じられた。
(……この子って、もしかしてあいつの)
まだそうと決まったわけではないが、仇敵である魔王の子どもではないかと思った。改めて名を聞いてみると、女の子は小首を傾げてうーんと唸った。
「わたしは……、わたしはたぶん『ルイン』だよ」
「そっか、ルインちゃんか。良い響きの名だ」
見知らぬ場所にいて怯えるかとも思ったが、ルインはひたすら周囲の物に興味を向けていた。自分の親すら探そうとしないその姿に、俺は強い違和感を覚えた。
「一つ質問なんだけど、ルインちゃんのパパやママってどんな人なのかな?」
「…………うーん、しらない」
「え?」
それは予想もしてなかった答えで、俺は思わず間の抜けた声を出した。
冗談を言っているのかとも思ったが、どうもそういう雰囲気に見えなかった。試しに俺が知っている魔王の外見を説明してみたが、ルインには一切心当たりが無さそうだった。
(魔王が関係してるってのはただの勘違いだったか……?)
心のどこかで納得できない部分はあったが、とりあえず置いておくことにした。他に何か聞くことはないか考えると、俺はある可能性に思い当たった。
「一応聞きたいんだけど、ルインちゃんは転移魔法とかって使えるのかな?」
魔族ならこの年でも魔法は使えるはずで、異世界転移にこの子が関与したかもしれない。世界から世界を渡る転移魔法など聞いたことがないが、俺が知らないだけで存在しているというのはじゅうぶんあり得る話だ。
しかしルインはまた小首をかしげ、俺に意外な疑問を投げてきた。
「レンタ、まほうってなに?」
「……え、ルインは魔法を知らないのか?」
「うん」
魔法とは異世界に生きる者ならば生まれた瞬間から触れるもので、これぐらいの年齢であってもその存在を知らないのはまずありえない。
嫌な予感がしたので色々と質問をしてみると、ルインが記憶喪失のような状態だと分かってきた。現時点で知っていることは自分の名前ぐらいで、生まれた場所も親が誰だかも一切思い出せないらしい。
「えへへ……、レンタはあったかいね」
話をしている内に懐かれたようで、ルインは俺に身を寄せてきた。それ自体は悪い気がしなかったが、これからどうしたものかと思考がぐるぐると回った。
「話は全部聞きました。困りましたね、レンタ」
エリシャもルインが危険ではないと判断したのか、弓を消して俺たちの前に姿を現した。するとルインは急に固まり、しばらく俺とエリシャを交互に見た。そして何故かキラキラとした眼差しをし、嬉しそうな声で予想外なことを言った。
「もしかして、レンタとそのひとがわたしのパパとママなの?」
「パパとママ? ……どういうことだ?」
「えっとね。だれかはわからないけど、ルインにいったんだよ」
その内容を要約すると、『次にルインの前に現れた男女を、自分の親と思いなさい』というものだった。そんな話をどんな目的と理由でルインにしたのかまったく意味が分からず、俺たちはただ困惑するだけだった。
「――――パパ、ママ。ルイン、ずっとずぅっと会いたかったよ!」
俺たちはしっかりと否定したが、ルインは一向に聞き入れてくれなかった。