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一章第七節

「その人を、離せー!」
 遥か頭上、雲の中からヒーロー落ちてくる。昨日もアーサーは空からやって来たな。ジャンプ力が高いのか、もしかしたら空の上に何かあるのかもしれないな。
 このまま落ちてくれば、ヴィオか俺に当たるような軌道のまま落ちてくるアーサーを、ヴィオはそのまま横にずれて避けた。俺とヴィオは浮いてるんだから横にずれるくらい簡単な話だ。
 アーサーは軌道をずらせないのか、そのまま地面に激突し粉塵が舞った。
「おにーさん、ヒーロー死んじゃったみたいだけど」
「あそこまで馬鹿だとは俺も思わなかったんだ」
 粉塵の中から、いまだにアーサーが姿を現さない様子を見るに。あいつ、本当に死んだんじゃ……
「勝手に殺すな!」
「「あっ、生きてた」」
 俺とヴィあの声がそろった。
「ちょっと先輩まで、殺さないでください!」
 未だに粉塵は晴れないが、声は元気そうだから生きているらしい。昨日までは格好いいヒーロだと思っていたアーサーだが。
 中身が浅野だと思うと格好よく思えないのはなんでだろうな。どちらかと言えば頼りない気がしてくるんだが。
「あのヒーロー本当に強いのお兄さん」
「訂正させてくれ、多分強いはずだ」
「じゃあ、戦ってみればわかるよね」
 ゆっくりと地面に降りていく間、アーサーは粉塵から出てくることはなかった。
「さてと、おにーさんはそこに居てね」
 地面に降りたヴィオは俺から手を離すと、檻のような何かを作り出して俺を閉じ込めた。
 材質もわからない、この檻には触れる気にはなれないな。あとご丁寧に、椅子まである。
「檻にも椅子にも触っても大丈夫だからね。それに硬いから、攻撃が飛んできても大丈夫だよ」
「ありがとよ」
「どーいたしまして。おにーさんはヴィオのお気に入りだもん」
 そろそろ、粉塵が晴れるころだが。アーサーはなにをしているんだ。
 徐々にアーサーの姿が見えてくる。立っていれば見えそうな位置には姿が見えず。それよりも低い腰のあたりから影が見え始めた。しゃがんでるようにも見えるが。
「あっ」
「はぁ…
 粉塵が完全に晴れて、はっきりとアーサーの姿が見えた。片足が地面に嵌った、馬鹿らしい姿が。
「ねぇおにーさん。私今からあれと戦わないといけないの?」
「一応あんな姿でもヒーローだ。情けないことにな」
 ヴィオは足が抜けるのを律儀に待つらしい。四苦八苦して地面から、足を抜いたアーサーが剣を構えた。
「ヒーローに会ったら名乗れって言われてるから名乗ってあげる。律者機関(りつしゃきかん)、第一律者ヴィオヴェルーエチェ・ヴァゼフォートよ」
「俺はアーサー・ペンドラゴン。勝負だヴィオベツッ」
「ヴィオヴェルーエチェ・ヴァゼフォート」
「ヴィオヴェルチッ……」
「ヴィオヴェルーエチェ・ヴァゼフォート」
「第一律者!」
「もうそれでいいよ」
 なんとも締まらな状況のまま戦いは始まった。
 アーサーが持つのはもちろん剣だ。聖剣エクスカリバーとかそんな名前だったはずだ。
 相対するヴィオは武器らしいものを持たないまま、素手で戦っている。アーサーが剣を振るえば、素手でそれを弾く。そして、弾いた勢いのままアーサーを殴りつけていた。
 片方が武器を持っていて、片方が素手だったとき。よほどのことがない限り、武器を持っている方が有利だ。
 だがヴィオはそのよほどのことに当てはまるらしい。素手のままアーサーと戦い、そして互角以上に戦っている。
 武器を使わないで、ここまで強いとなると。素手自体が武器なのかもしれないな。格闘家なんかは素手自体が武器だといわれるくらいだ。ヴィオもそんな感じかもしれないな。
『枝垂さん怪我はありませんでしたか』
 突然ジャンヌの声がした。すっかり忘れていたが、こうやって話せたんだったな。
『ジャンヌ。今のところは大丈夫だ』
『良かったです。今ビルの上にいるんですけど見えますか?』
『どこのビルだ』
 大きいビルから小さいビルまで。周りには沢山ある。
『枝垂さんから見て右にある一番高いビルです』
『見つけた。豆粒くらいにしか見えないが』
『良かったです』
「ねぇヒーローさん。こんなところで私と遊んでていいの。フリアー沢山出てきてたのに」
 ヴィオが戦いの最中、話しかけていた。内容を聞くに確かに、アーサーはここで戦って大丈夫なのか。
 亀裂が開いたとき大量のフリアージが出てきた。今もそこらかしこにフリアージの姿が見える。大きいフリアージも健在だ。未だに人々が逃げているはずだが。
『枝垂さん、なんだか街が変なんですよ』
『ああ確かに変だな』
「大丈夫じゃなきゃ戦ってない」
『絶対わかってないです、その言い方は。いいですか枝垂さん、今この街には』
「今この街には」
「『人が誰も居ないんです』だ」
 ジャンヌとアーサーの言葉がそろった。
「昨日の空間震、異空間の中に捕らえるはずだったのに現れなかった。そして今回も。だから急遽変えたんだ、捕らえる対象を人に。そしてこの街には、今人が居ない。襲う対象のいないフリアージはただ街を彷徨っているだけ。第一律者、お前を倒してからでも、フリアージは問題ないんだ」
『そうらしいな。とりあえずジャンヌ、フリアージを倒していてくれ。こっちはアーサーが何とかするらしい』
『わかりました』
 ビルの上から、豆粒みたいな大きさのジャンヌが降りるのが見えた。とりあえず、何もしないよりはいいだろう。
 アーサーとヴィオは変わらず戦っているが。戦い方が変わって来た。ヴィオがあまり動かなくなった。
 アーサーは動き回って攻撃をするのに対して、カウンターをしている。それに、なんだがヴィオの顔がつまらなそうな表情になっている。
「それってヴィオを倒せるって思ってるの」
「ああ」
「無理だよ、だってだいぶ手加減してあげてるもん。えいっ」
 ヴィオのかわいらしい声とともにアーサーが殴られて吹き飛んだ。まるで、瞬間移動でもしたみたいにアーサーの前に現れてただ殴っただけなのに。
 ヴィオが立っていた地面は抉れていて、それだけで実力が分かってしまう、手加減されていたんだと。アーサーは建物の壁を突き破って中から出てこない。
「今のに反応できなきゃ、ヴィオは倒せないよ。百年くらいしたら勝てるかもね?」
『すごい音しましたけど、大丈夫ですか?』
『俺はな、アーサーの方はわからんが』
『とりあえず倒せそうなのは倒してますけど。助けは必要だったりしますか』
『アーサー次第だろうな。ダメなときは俺が誘拐されるし、駄目になったら呼ぶさ』
『すでにその状況が駄目な気がしますけどわかりました』
 建物から、アーサーが出てきた。目立った傷はなさそうだな。さすがはヒーロー。
「あれ、けっこう頑丈だね」
「ヒーローを甘く見るなっと。一つ聞きたいんだけど、あの檻はどれくらい頑丈なんだ」
 アーサーが俺のいる檻を指さしててヴィオに聞いた。
「さっきのパンチでも余裕だよ」
「そっか。じゃあ許可も出たことだし。はっ!」
 今度はアーサーがヴィオの目の前に急に表れてその剣を振るった。ヴィオはその剣を弾いて、後ろに下がった。
 アーサーが出てきた建物の壁は、さらに穴が広がっている。
「そっちも手加減してたんだ」
「いろいろあるんだよ、そっちと違って」
 そう言えば最初、異空間の中で会ったときは周りの建物はボロボロだったな。そして昨日は、最後の方にちらっと来ただけだが。建物に被害はなかった。
 異空間では全力を出せて、現実世界では抑えなくてはいけない事情。まあ、周りへの被害だろうな。現実世界じゃ、そこで生活する人がいる。
 建物が崩れればそこで働いていた人が職を失ったりと色々ある。さっき言った許可っていうのは多分そのことだろうな。
 全力を出せる許可、つまりは建物を破壊してもいい許可か。何もかもが十年前に戻ったみたいだな。
「楽しく遊べそう、壊れないでね?」
「勝つさ」
 もはや、肉眼じゃ追うことができなくなった。剣と手がぶつかり合って、止まるその瞬間だけが見える。早すぎてどうなってるのかもわからない。
 地面が抉れて、建物に穴が開いて。次の瞬間には空中に姿が見えたりと周りの被害が大きくなるが、この檻はびくともしない。飛んでくる破片も、檻の手前で弾かれる。
 こうなってくると暇だな。戦闘を目で追うこともできないし、暇だ。檻につかまってる俺が言うことじゃないが。
『枝垂さん』
『ああ、ジャンヌか。なんだ』
『すごい音してますけど』
『本気で戦っているからな。もうどうなってるかもわからん』
『そうですか、この辺にいるフリアージはすべて倒しました』
『倒したって、大きいのもか』
『はい、ちょっと大変でしたけど。槍を刺して内側からこう槍を生やしてブスブスッと』
 俺がジャンヌになってる時よりやってることが過激だな。放送できませんみたいな感じになってるんだろうな。まあ、そう時間がたたないうちに消えるんだろうが。
『フリアージがいる場所はわかるもんなのか』
『はい、なんか感覚的なもので。外れたことはないですよ』
『じゃあ、この辺りにはもういないんだな』
『はい、あまり数は多くなかったみたいですね』
 確かに、最初に大量に出てきてからは出てなかったか。あの大きいのが最後だったのかもな。
 音の前の二人は変わらず戦ってるらしい。どっちが勝ちそうなのかもわからないが。建物への被害はすごいことになってるな。まだビルが崩れていないのが不思議なくらいだ。
『私どうしましょうか』
『今どこにいるんだ』
『さっきと同じビルですよ』
『ああ、居るな。とりあえず見てたらどうだ。介入すると面倒なことになりかねんしな』
『わかりました。ちなみに今アーサーさんが押されてますよ』
『そこから見えるのか』
『はい、どんな動きをしてるかくらいは』
 ヒーローっていうのはどこまでも規格外な存在だな。
 ザッと地面を踏みしめる音がして、視線を目の前に戻すと。アーサーとヴィオの二人の動きが止まった。
「力使わないの?」
「お前だって使ってないだろ」
 アーサーの力は光だよな。攻撃だったり、守りだったりに使っている。ヴィオの力は、この檻を作ったのくらいしか見てないからな。よく分からない。
「だって使っちゃったら、すぐ終わっちゃうんだもん。それじゃ集まらないでしょ?」
「戦いは楽しむものじゃない!」
「違うよ。戦いは、争いは、楽しむものだよ」
 ヴィオの声が低くなり、空気が一気に重くなった。アーサーの顔が引き攣り、冷や汗が流れ出した。俺も息が苦しい、呼吸が上手くできないっ。
「あっ。おにーさんごめんね」
 息苦しさがなくなり、重苦しさも無くなった気がした。だが、アーサーの顔は未だ引き攣ったままで。冷や汗も止まっていない。器用だな、俺だけあの重苦しい雰囲気から外したのか。
「それで、あなたの答えは。ヒーローさん」
「変わらないっ。戦いは楽しむものじゃない!」
「そっか。じゃあいいや、やーめた。楽しくないのに戦っても、しょうがないもんね」
「なっ」
 やめたと言って檻のところまで戻ってきたヴィオに、アーサーの動きが止まり、驚きを隠せずにいた。
「だって楽しくない人と戦ってもつまらないんだもん。そもそもなんで戦ってたんだっけ?」
「ヴィオが始めたんだろう」
「そうだっけ。まあ、いいや。おにーさん、一緒に行こ」
 ヴィオが檻に触れると、砂のようにサラサラと崩れて行く。俺が立ち上がると椅子も同じように崩れていく。
 檻と椅子のすべてが消えて、ヴィオが俺の手をつかもうとこちらに手を伸ばした時。復活したアーサーが割り込んだ。
「何をする気だ」
「何って、一緒に行くんだよ。この世界は私たちに侵略されるから安全なとこに」
「そんなことさせない。この世界の侵略も、この人を連れていくことも」
「だって私に勝てなきゃ、この世界を守ることなんてできないよ?」
「勝つ。俺一人で無理なら仲間と」
「ふーん、おにーさんは?」
「まだいけないな。この世界に未練がなくなったら、一緒に行くさ」
「ちょ、先輩っ⁉」
「お前はすこしだまってろ」
 アーサーがなんか言ってるが無視だ。こいつは関係ないからな。
「そっか、じゃあヴィオたちが侵略しちゃえばいいんだね。だって未練がある世界がなくなるもんね」
「まあそういうことだな。未練自体をなくそうとは思わないのか」
「ヴィオ的にやだ。ヴィオだって未練はたくさんあるもん。だからおにーさんの未練をどうこうすることはしないの」
「そうか」
「うん」
 突然、ヴィオの背後に小さな亀裂ができて、穴が開く。空にある亀裂よりは小さいが同じようなものだろう。
「今日は侵略宣言しに来ただけだから。まあ会おうね、おにーさん。ばいばーい」
「あ、まだ聞きたいことが」
 穴の中にヴィオが消え、その穴も空の穴も消えて辺りに静寂が戻り。穴のあった方に手を伸ばすアーサーと俺だけがその場に取り残された。
「あのー先輩」
「なんだ」
 アーサーが遠慮気味に話しかけてくる。と言うか少し前からいつもの口調に戻ってるから。浅野って言った方が正しいか。
 姿がアーサーなのに口調が浅野の時のだと違和感がすごいな。コスプレしてるようにしか見えないぞ。
「先輩って、面倒ごと嫌いだったすよね」
「そうだな」
「言いにくいんすっけど、一緒に来てくれないっすかね」
「来いの間違いじゃなくてか」
「まあ、そうともいうんっすけど」
「わかったよ」
「たすかるっす。じゃあ少し待っててほしいっす、あっちの子にも声かけてくるんで」
「わかった」
『ジャンヌそっちに行くぞ』
『わかりました』
 こうなるだろうとは思っていた。フリアージが消えてるんだ、ジャンヌがいることはわかってたんだろう。俺がここに居るから逃げようにも逃げれないしな。
 ほどなくして、アーサーがジャンヌを引き連れて戻って来た。
「お待たせしたっす、先輩」
「ああ」
「この子が昨日活躍した子だと思うっす。ちょっと違う感じがするっすけど」
 こいつが知ってるのは中に俺がいる姿だからな。違って当たり前だ。だが、こいつジャンヌだと気がついてないな。兜をしてる訳でもなく、素顔のままで要るのに。
 ジャンヌをアーサーに紹介されたが、ジャンヌも俺も話すことは無い。初対面で話が出来る方がすごいと思うが、浅野はそれを当たり前にするからな。
 こいつが特殊なんだろう。俺とジャンヌのあいだに無言の時間が過ぎる。もちろん、その間隠れて話をしてはいるが。
『どうしましょうか』
『なるようにしかならないだろ。変身を解くまでは何も話すなよ』
『分かりました。初対面を装うんですね』
『そういう事だ、浅野もお前がジャンヌだと気がついてないみたいだからな』
「あはは……そろそろ迎え来ると思うっすから、それ乗ってほしいっす」
「乗り物か」
「そうっすね。あっ来たっすよ」
 アーサーが指さしたのは空。雲の隙間から姿を現したのは、飛行機だった。
「垂直離陸可能な、輸送機っす」
 浅野に促されるままに輸送機に乗り込んだ。乗り込むと浅野は変身を解いて、私服姿になっていた。
「この中なら身バレすることもないから、変身を解いても大丈夫っすよ」
 ジャンヌに向かって言っているが、ジャンヌは変身を解くことなく俺の方を見つめていた。
「ああ、先輩なら大丈夫っす。話しませんっす」
『いいですか?』
「いいぞ」
「いいぞってなんすか先輩?」
 ジャンヌが変身を解き、そしてその姿を見た浅野が、予想していた通り固まった。目を見開いて口をパクパクとさせてデメキンみたいだな。いやデメキンに失礼か。まあ、間抜けな顔だ。
「え、ジャンヌちゃん。え、ジャンヌちゃん?」
「はい、浅野さんこんにちは。黙っていてすみません」
「先輩?」
「なんだ」
「ジャンヌちゃんがヒーローって」
「知ってたぞ、面倒ごとが嫌いだから黙っていたんだ」
「いやでも、えぇ。じゃあ黒いのもジャンヌちゃんなんすか。槍とか同じだったすけど」
「はい、そうですよ」
「嘘だぁ」
 嘘ではないな、中身が俺だったということを除けば。浅野は頭を抱えて、あーでもない、こーでもない。と、ぶつぶつ呟いて自分の世界に入ってしまった。
『枝垂さん』
『なんだ』
 今更隠れて話すこともないと思うがジャンヌが話しかけてきた。
『浅野さんヒーローですけど、一緒に居て大丈夫なんですか?』
『ああそのことか、あの姿にならなければ大丈夫だ。心の整理はついてるからな。アーサーの姿は由衣を殺したヒーローとは違うからな、逆恨みになる』
『それならいいんです』
「浅野」
「あ、はいっす」
 浅野に声をかけるとすぐに返事が返って来た。
「どこに向かってるんだ」
「本来なら世界教会の日本支部、という予定だったんすけど。昨日に続いて今日もフリアージが出てきたんで、活動拠点が変わってるんすよね。今はそっちに向かってるっす」
「世界教会の管理する場所には違いないか」
「そうっすね。でも着いたら驚くと思うっす。ジャンヌのちゃんもよく来ることになると思うっすよ」
「それはヒーローとしてか」
「大丈夫ですよ、枝垂さん。もともとヒーローもとして、頑張るつもりでしたから」
 確かに最初からそういう予定ではあったが。少しくらい心配にはなる。変わっちまったからな、人の心配するくらいには。
「まあ、ほとんど強制的にすっけど。こんなことがあったんで、戦力を確保したいすっからね。でも最初から協力してくれるとほんと助かるっす」
 そのまま空の旅を続けていると、ドンっと揺れた。
「着いたっすね」
 降り着いた場所は、どこかの格納庫の様だった。浅野について行って、エレベーターに乗り込んだ。そしてエレベーターの扉が開いた向こう側には空が広がっていた。正確にはガラスの向こう側に。下には雲、上は青空。空の上に俺たちはいた。
「世界教会の技術を惜しみなく使って建造された航空艦[ノア]っす」
 目の前に広がる景色に、言葉を失っていると横から声をかけられた。
「ようこそノアへ」
 そこにたっていたのは、紛れもなく少女だった。
「艦長のアリスさんすっ」
「艦長のアリス・エスぺリルコープよ。極東支部支部長もしてるわ」
 そこ言葉に耳を疑い、姿に目を疑った。
「なによ」
「何でもない」
 今日だけで、少女に二回あってどっちも普通じゃないって。なんだろうな。アリス艦長の手には二枚のカードが握られていて、それを差し出してきた。
「これ仮登録証。これがあれば艦内を移動するときに役に立つわ。ちゃんとしたのは後でね」
「じゃあ、あとは簡易検査して終わりっすね」
「俺はどこで待ってればいい?」
「先輩もっすよ。あの律者に何されてるかわかんないんすから」
「わかったよ」
「じゃあ、こっちっす」
 浅野の後ろをついて行っているが、内部構造が複雑で一人じゃ迷いそうだな。
「じゃあそこに寝ててくださいっす。数分で終わるっすから」
 着いた場所は医務室のような場所でいろいろな器具が立ち並ぶ中、診察台に寝かされた。
「検査ついでに話しておくことがあるっすけど。今後会議とか、出動の際は基本ここから行くことになるっす。近場ならそのまま向かっていいんすけどね。先輩はどういう扱いになるかわからないっす。ヒーローなのはジャンヌちゃんすっからね」
「だろうな」
「まあ、ジャンヌちゃんの居候先っすし。関係者って感じにはなるとは思うっすけど」
「じゃあここに来るのは私だけってことでしょうか」
「多分っす」
 しばらくは、ジャンヌと入れ替わるのはやめておいた方がよさそうだな。ジャンヌには頑張ってもらうことになるが。どうやっても説明ができないからな。ばれるまではこのままでいいだろう。
「終わったっす。ジャンヌちゃんも、先輩も健康っすね。特に異常はなかったっす」
「そうか」
「ジャンヌちゃんはこのまま残ってもらう必要があるっすけど。先輩どうします?」
「話を聞かれるかと思ってたが」
「多分聞かれるとは思うっすけど。今日は帰っても大丈夫っす。何なら後で俺が聞くっすから」
「そうか、ジャンヌ頑張れよ」
「はい」
「帰りもあの輸送機か」
「そうっすね。世界教会の建物に着陸して、そこから陸路で帰ってもらうことになるっす」
「わかった」
 ジャンヌを一人ノアに残したまま、輸送機に乗り込んだ。夜には帰ってこれるようにすると浅野が言っていたし、信用してもいいだろう。
 世界教会の所有するビルの屋上に着陸して、そのまま家路についた。今日は色々起こりすぎた。少女に逆ナン誘拐されたと思ったら、檻に閉じ込められたりと。
 忙しなかった。肉体的疲労よりも、精神的に疲れたな。
 玄関の扉の鍵を開け、取っ手を引こうとしたとき。後ろから服を引っ張られた。ヴィオなのかとも思ったが、力が弱く少し動いただけで振りほどけてしまった。
 近所の子供がいたずらでもしてるのかと、振り向いて注意しようとして。すべての動作が一瞬止まった。
 呼吸も、思考も何もかもが。一瞬止まり再び動き出した鼓動は限界を知らないかのようにどんどん早くなっていく。
 思考しようとした端から、思考が崩れていき考えがまとまらない。
 目を見開いて、鏡で見たら瞳孔も開いてるだろう。
 それほどまでに、目の前の光景が異常だった。ありえなかった。
 夢じゃないかとすら思ってしまうほどに。
 目の前には、子供がいた。少女だ。十にも満たないように見える子供だ。だが近所にいる子供ではなかった。
 この少女のことを知らないと言い切れるのに。ただ一つだけ、たった一つのことだけは見覚えがあった。知っていた、覚えている、触れたことがある。
 その少女の顔だ。忘れようとも忘れることができない、由衣の顔だ。少女だ、年だって全然違う。
 だというのに、その顔は由衣の幼い顔だと言い切れる。なんども見た顔だ、忘れることのできない顔だ。
 子供はいるはずがない、十年前に死んだんだから。妹がいるという話も聞いたことはない。親戚だっていなかった。
 じゃあ、この子供は何だ。由衣をそのまま小さくしたような、この子供は一体、なんなんだ。
 少女の口が開いた。何か言葉を紡ごうとしている。少女の視線が俺の目を見つめている。少女の瞳の中に俺が写っている。
 そして、少女の声が響いた。
「ぱぱ?」

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