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なぞの男

 朝、気持ちがよく目が覚める。シルバーのいるソファからは、すぴすびと寝息が聞こえていた。

 伸びをする。こんなに目覚めがいいのはいつぶりだろう。前の世界で工場に勤めていた頃は、毎日が限界だった。

「シルバー、起きて」

 大型犬ほどの姿になって眠っていたシルバーを揺さぶって起こす。すぐに目を覚ましたシルバーが、くあっと口を開けて欠伸をした。

「おはようございます、主」

「おはよう。朝ご飯食べに行くけどどうする?」

「主だけでゆっくりしてきてください。私はもう少し眠りたいです」

「そっか。シルバーのご飯はどうしようか」

「今日も依頼に行かれるんですか?」

 少し考えてから、うん、と答えた。

「でしたら今日は、討伐系の依頼を受けてはいかがでしょうか。腹ごしらえもできますし……主に私のことであまりお金を使わせたくありませんし」

 昨日の二十四デルを思ったよりも気にしていたらしい。別にいいのに、と思いつつ、僕は同意した。

 今の僕には戦う力はない。
 でもシルバーが、僕に出来ることがあるんだと、教えてくれたから……もうシルバーに任せっきりだと思い悩むことはない。

 今はただ前を向いて歩くしかない。この世界で生き抜いて、未だ未知な幸せに死んで……管理者になってからも。

 まぁ、悪くはない人生だと思う。

 ただ無気力に、目標もなく生きるのと。

 前を向いて、目標を探して生きるのとじゃ、全然違うからね。

「じゃあ食べてくるよ、すぐ戻る」

「はい」

 ペコリと頭を下げるシルバーに見送られ、僕は宿の食堂に向かった。

 受付にはいつも通り、アリスちゃんがいた。

「おはようアリスちゃん」

「おはようございます! 朝食はあちらでお受け取りください!」

 昨日と同じメニューの朝食が乗ったトレーを持って、食堂の隅の席に座る。
 ジャガイモが入った甘さ控えめシチューと、少し硬いパン。飲み物はオレンジジュースだ。

 パンをちぎってスープに浸す。……うん、美味い。

 朝はどうしても体が冷えるから、暖かいシチューが体に染みる。オレンジジュースを喉に流し込むとスッキリした柑橘系の香りが口の中をリセットしてくれる。

 最後の一欠片でちょうどシチューも無くなって、僕は息をついた。

 前の世界じゃ食べ物を味わう余裕もなかったのだな、と思い知らされる。

「良い食べっぷりですねお兄さん」

「え?……あなたは?」

 突然声をかけられて、身構えながら問いかける。
 真っ黒なローブを着た男。見るからに怪しい……。

 それを察したのか、男は慌てたように「あ、ごめんごめん!」と僕に向かって叫んだ。視界の隅に怪訝な顔をしたアリスちゃんがいて、僕は大丈夫だと合図した。

「僕はしがない旅人ですよ。今日は探し物をね」

「はぁ……それで、なぜ僕に声を?」

「聞きたいことがありまして。あまり聞かれたくない話題だから、小さい声でだけど……この位の真っ黒いアメを知りませんか?」

「アメ?」

 そう言った男の人差し指と親指の間は二、三センチほど。
 昔はそのくらいのアメを頬張って山を駆け回ったな、と思いつつ、僕は首を横に振った。

「申し訳ないですけど、知らないです」

「……何だって?」

「え?」

「……まさか……」

 ぶつぶつと呟きながら考え込み始めた男を意味がわからないまま見つめる。もしかして、この男は僕が知っているという確信があったのだろうか?
 でも知らないものは知らないし……と申し訳なく思った。

「お力になれなくて申し訳ないです」

「……あっ、いえいえ、良いんです。こちらの勘違いだったかも。お兄さんが持っていた気がしたんですけど……違う人だったかな」

「あの、そのアメって何なんです?」

「特殊なアメなんです。奪われると厄介で。疑って本当にすみません」

「大丈夫ですよ。そんなに大事なものなら仕方ないです」

「ありがとうございます。時間とって申し訳ない。またイチから探してみます」

 頭を下げた男のフードの中から、黒い髪が覗く。この世界じゃ珍しい、僕と同じ色の髪だった。

「見つかると良いですね」

「ありがとうございます。お兄さんがもしアメに関わるようなことがあったら……気をつけてくださいね」

 柔かな雰囲気で去っていった男に首を傾げつつ、僕はお腹をさすって立ち上がる。不思議な人だったな、と狐につままれたような感じだ。

 食べ終わった皿が乗ったトレーを返却して、アリスちゃんと少し話をしてから部屋に戻った。





 部屋に戻ると、シルバーはピンと耳を立ててゆっくり起き上がった。

「腹は満たされましたか?」

「まぁね。じゃあ行こうかシルバー」

「はい」

 シルバーに乗るための道具が入った、容量無制限の袋と、何の変哲もない大きな袋を持つ。

 変哲もない、とはいえ、容量が大きくなることがないだけであって、中が汚くならないように施してはある。今日は特に、討伐系の依頼を受ける予定だからね……袋の中で菌が増えて臭いがヤバくなったら嫌だし。

 フェアリーテイルを出て、冒険者ギルドに向かう。

 ギルドの中は鎧をつけた人たちで賑わっていて、受付の人たちはにこやかにしながら、あくせくと働いていた。

「おはようございますテリーさん」

 その中でテリーさんの受付まで押されながらやっと行き着いて、僕は苦笑気味に挨拶した。

「今日は忙しそうですね」

「おはようございますタチカワさん。そうなんですよ……あ、新聞お読みになりました?」

「いえ……」

「じゃあまだ知らないんですね。実は東の方の森で問題があったらしいんです」

 東……僕が来たのは南の森だから、そっちではないな。

「何があったんです?」

「実はオーガが出たとかって……」

「オーガ?」

 オーガ……っていうと、鬼? 響き的にはゴブリンやコボルトなんかよりも強そうだ。

「あ、ピンと来てませんね? オーガっていうのは……そうですね、一般的には危険度が高くて黒、低くても青の魔物です。筋肉質で体長二メートル、黒い肌にツノが一本から三本額から生えています」

 危険度……黒とか青とか、何のことなんだろう。いやまぁ、ゴブリンのピアスの色みたいな話なんだろうけど……。

「あ、べロウウルフのシルバーさんは、危険度青の魔獣なので……オーガに出くわしても大丈夫だと思います。ウルフ系のほうが知能は高いんですよ」

「へえ……」

 ちらっとシルバーを見る。……まぁ、彼は僕が創造魔法で形を作ったオオカミだから、ドラゴンなんかが出ても負けないと思っているけれど。

「ただ念のため、東の森以外の依頼を受注してくださいね」

「わかりました。今日は討伐系の依頼を受けようと思っていたんですが……大丈夫ですか?」

「はい! ええと……西の森にオークの討伐依頼があるようですね。討伐証明部位は右の中指です。ゴブリンのピアスやコボルトの鼻のピアスのように、証明部位は厳密にいうと中指についている指輪ですので、外さずにお持ちくださいね」

「わかりました。ノルマとかあります?」

「ノルマは十体のようです。危険度は紫ですので……強いゴブリンと同じくらいですよ」

「そうですか、ありがとうございます」

 タグプレートを渡して、依頼受注完了。

 西の方は行ったことがないところだ。確か、トーマスさんとリルさんが守っている門は西門だったはず。
 時間が合えば、もしかしたら会えるかもしれないな。

「行こうかシルバー」

 こくりと頷いたシルバーがのっそりと立ち上がる。冒険者たちを押し退け押し退け、僕たちはやっと冒険者ギルドから出ることができた。

「ふぅ……」

「大丈夫でしたか、主」

「まぁね。シルバーこそ大丈夫かい?」

「はい。西門はあちらです」

「うん、行こうか」

 シルバーに鞍を取り付けて、手綱を持って歩く。
 初めての討伐系の依頼……シルバーがいるならば危険はないだろうけど。

 少しだけ不安な心持ちで、僕は足を進めた。

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