【尊敬する人からのメッセージ】
【尊敬する人からのメッセージ】
(ここが、アクマの私室···)
ガリーナは一人になってから、部屋の隅々を見渡した。
シンプルな部屋ではあるが、書籍のデータを見ると、色んな惑星の生物についてのデータや、地球に関しての書籍データが目立つ。数多くある本から、部屋の持ち主は読書家だったのではないかと推測できた。
(本当のお母さんの部屋だと言われても、まだ納得いかないなぁ)
先程映像も見せられたが、まだリーシャという女性が母親だとは思えない。
(あ、これ···)
ガリーナは書籍データの中から、1つのデータを見つけ出す。指先でデータを開くと、粒子が構成されていき、ガリーナの目の前に本が構成される。ぱらぱらと中を開けば、1番最後のページに男の写真が掲載されていた。
「ミヤ・クロニクルの本···」
自分も持っている生物学の本である。著者として、彼の写真も掲載されていた。
輝かしい金髪に、切れ長の紺碧の瞳。眉目秀麗という言葉が似合う、端正な顔立ちの男だ。ただ顔は整っている反面、どこか氷のように冷たい印象を人に与える。
(···言われてみれば、私に似てる···髪と目の色も···)
母親にも似ているが、どちらかというと父親のパーツを受け継いでいるように見えた。自分が憧れていた人物だったが、特段彼の顔は気にしてなかったため、ガリーナは気づくことができなかった。
「この人が、本当のお父さん···」
ガリーナは呟き、本のデータを指先で触れる。
憧れの人物として、どんな人物だったのか気にはなっていたがーー今は、自分の父親として気になる。
(あのアクマが、愛してしまった人···)
ティアの話によると、アクマを戦争に駆り立てた悪人である。
彼はそんな私利私欲にまみれた人だったのだろうか。政治家でもあったというのは知っていたが、どちらかといえば彼は科学の道にずっと没頭していたい人だと思っていた。
彼の残した著者はたくさんあり、宇宙連合の議員をやっているのは家のため仕方がないという記述があったのをガリーナは覚えていた。
(アクマを表舞台に立たせて、宇宙連合の事務総長になろうとする人ではないはず。···でも、人の心なんて、文字ではいくらでも嘘がつけるのよね。やっぱり科学で証明できないことは苦手···)
ガリーナは辟易する。
歴史や人の心は、嘘で塗り固めることができるのだ。
『リーシャ様』
「えっ」
部屋の中に女性の声が響き渡り、びくりとガリーナは体を震わせた。
「えっ?だれ?」
『イングリッドシステムです』
「イングリッドシステムって···」
先程ティアが呼びかけ、扉の施錠などをさせていたシステムの対人インターフェイスの名前だ。
何故、彼女がーー自分をリーシャと呼ぶ?
「私は、リーシャじゃなく、ガリー···」
母に間違えられ、訂正しようとしたが、ガリーナは口を止めた。
(待って。どうして、イングリッドシステムは私をリーシャと勘違いした?)
自分は本のデータを読み、データに触れただけだ。
『リーシャ様、ミヤ様からのメッセージを再生しますか?』
「再生?」
ガリーナは自分の指先が触れている書籍データを見つめた。
しばらく思考した後、あっ、とガリーナは気がつく。
(遺伝子情報が鍵になって、ミヤ博士からのメッセージが再生できる仕組みなんだ···っ!)
ガリーナが持つリーシャの遺伝子に反応し、本のデータに付け加えられたミヤのメッセージが再生される仕組みなのだろう。
(遺伝子情報で再生されるなら、他の人は再生できない。実の父親が、実の母親に送ったメッセージ···)
本来、人のメッセージを盗み見るなんてあってはならないことだが、ガリーナは彼らについて知りたかった。
「再生して、イングリッド···」
ドキドキしながら、ガリーナは言った。声が違うと言われて弾かれたらどうしようかと思ったが、書籍データが粒子に溶けた後、すぐに形を再構築していく。
『リーシャ』
ガリーナは戦慄した。
感動のあまり、一瞬呼吸をするのを忘れてしまったほどだ。
目の前に、あのミヤ・クロニクルが構築されたのだ。ガリーナがずっと憧れ続け、会ってみたいと思っていた人物である。
紺碧の瞳が、自分を見下ろす。
彼はにこりともせず、仏頂面ではる。しかし、彼の目は決して本のように冷たくなどなかった。
『アシスを辞めると、シオン・ベルガーから聞いた。ルイスから離れるのは良いことだと思うが、お前が何か思いつめているようだとも聞いてな』
彼の口調や態度はどこか傲慢さが含まれているようだったが――。
『大丈夫か?』
彼の口調は、特定の人物への優しさが秘められていた。
ガリーナ自身に言われた訳ではないのに、ガリーナの目頭は熱くなった。
今の状況が、大丈夫ではない状態だからかもしれない。誰かに気遣われることがなかったため、例え自分に言われた言葉でなくても、ガリーナは心を熱くした。
『直接お前と会って話したかったが、ルイスが会わせようとしない。あの男はお前に対して、一種の妄執に縛り付けられているな。···地球の件については、私に任せろ』
(地球の件?)
地球の件というのが、ガリーナには何を指すのかわからない。
『テゾーロが政治家になる時代は、もう終わる。お前が率先して動かなくて良い』
ガリーナは驚いた。
ミヤはテゾーロの1人である。なのに、テゾーロが政治家になる時代は終わると言うのか?
(ノホァト教は、地球人を崇めるもの。どこの惑星も、地球人の血を正当に継ぐテゾーロの政治が基本。テゾーロが、政治を一般のツークンフトに任せるということは、地球人崇拝のノホァト教を否定すること)
テゾーロのミヤがテゾーロの政治を否定するのは――私利私欲にまみれた政治家ならば、ありえないことだ。
『お前は自分がやらなきゃいけないと気負いそうだな。お前は地球が好きで、地球が滅びたことをずっと嘆いているだけだ』
(アクマは、地球が好きだった···?アクマと地球の関係なんて···アクマは、ツークンフトでもないのに)
地球人に作られたツークンフトが地球を崇めるならまだしも、地球人に作られていない種族が地球を好きだというのは、どういうことなのか。
(宗教による地球崇拝ではなく、純粋に···地球に好意を寄せていたということ?そんなことって、あるんだ)
本来なら疑問に思うところだが、ガリーナの中では”ありえる”という結論に至る。
感情というのは、理論ではないからだ。
宗教によっての強制力がない感情だとしても、地球が好きだということはありえるのだ。 例えアクマであっても。
『ずっと監禁されていて、復讐心に縛り付けられるのも無理はない。だが、お前だからこそ、自分を見失うな』
「自分を···」
ガリーナは、考えた。
(私は、アクマの子?大罪人のアクマの子が私で···)
アクマの子として囚われ、事務総長に献上されようとしている自分。
自分は、本当にそれで良いのか。
『お前は、”悪魔”じゃない。周囲のお前に対する評価など、どうだっていい。虫けらの羽音くらいに考えろ。自分自身が、自分の価値を誤解するな』
「誤解···」
ガリーナの瞳から、涙が零れ落ちた。
優し気に見つめてくれるミヤと同じ、紺碧の瞳から零れ落ちた涙は、頬を伝う。今まで流した涙よりも熱い涙は、ガリーナの冷たくなった心を温めようとするようだった。
『お前は、自分を見失うな。お前が幸せになるために、本当は何をすべきかを見失うな』
実の父親が、実の母親にかけたメッセージ。
それは偶然にも、今のガリーナの状況を慰め、そして奮い立たせるものだった。
(···突然、色んな人から、自分の価値を押し付けられて、嫌だった···)
惑星トナパのことや、惑星ニューカルーでの出来事は、ガリーナの心に大きな傷を与えていた。
(そうだ。私の価値は、セプティミア様に指名手配にされた日から――押し付けられた)
”アクマの子”という称号を押し付けられ、ガリーナは誤解していた。
『ガリーナちゃんは、ガリーナちゃんだ』
レイフに言われたことを、ガリーナは思い出した。
自分が八つ当たりしてしまった時、レイフは必死に自分に告げていた。ガリーナは価値を押し付けられたことを悲観し、嘆き、レイフにあたってしまった。
自分の弱さを受け入れてくれるだろう、優しい弟に自分は、甘えていたのだ。
(周囲の評価なんて、どうだって良い。虫の羽音と同じ)
ガリーナは深呼吸をし、ミヤの映像を見つめる。
(だって、私がやりたいことは、何?私が幸せだと感じることは、一体、何?)
彼はガリーナが幼い頃から憧れていた科学者である。
彼のようになりたいと思っていた。彼に少しでも近づくために、幼い頃から好きな勉学に打ち込んできた。
優しい家族に囲まれて。
勉学に打ち込める大学で学ばせてもらえて。
(私の長年の夢は、たった数日前に押し付けられた価値観で押しつぶされる程度のもの?)
否、である。
その程度の夢ではない。
「私は···誤解していたのね」
ガリーナは微笑を口元に浮かべ、実の父親の姿を見つめた。
(私には、まだ知らないことがある。セプティミア様が話していたミヤ博士と、アクマにあてたメッセージのミヤ博士は···違うもの)
彼の傲慢そうな口調の中でも、実の母親を想う気持ちが伝わってくる。
母を利用して宇宙を支配しようとしていたとは、ガリーナには思えなかった。
(お父さんに訊こう。お父さんなら、きっと本当のことを知ってるはず。本当のことを知るためには、囚われてはいられない)
ガリーナは立ち上がり、自動扉に手を触れる。開くことがなかった扉だ。自分の指先にはめられたラルは、外部との通信は遮断されている。
(逃げよう。アシス本部から逃げて、レイフ達と合流するんだ···!)
自分1人であっても、逃げる手段は必ずあるはずだ。
外部との通信を遮断されていても、逃げる手段を探さなくてはならない。
「···イングリッドシステム」
『はい、リーシャ様』
先ほどから誤解したままのイングリッドシステムが、反応してくれた。
「扉を、開けて」
『かしこまりました』
リーシャだと誤解したままのイングリッドシステムは、命令に従ってくれた。ガリーナは自動的に開かれた扉から頭をひょっこり出し、廊下に誰もいないことを確認する。
息を整え、ガリーナは廊下に出た。
誰もいない廊下を、走る。
(大丈夫。レイフやユキがいなくても、私には、これがあるもの···!)
自分の指にはめられた指輪を、ぎゅっと握りしめる。
外部との通信手段がなくても―――惑星ニューカルーでは使えなかった、”あれ”がある。
(このアシス本部に、水があれば―――逃げられるかも!)
ガリーナはラルをなくさないように握りしめながら、走った。