【気に入らない】
【気に入らない】
フィトはアシス本部の廊下を、足早に歩いた。
周囲から見て、彼の足取りは忙しなく、何やら焦っているように見えただろう。アシスの軍人達はフィトを見て、何事だろうと首をかしげる。
『ガリーナは、処罰なしだそうですよ』
先ほどチンから聞いたことを、フィトは確かめたかった。
(処罰なし?アクマの子供が、何のお咎めも受けずに···?)
せっかく捕えたというのに、処罰はなしという上の判断に、不満しかなかった。
フィトは舌打ちをしながらも、ティアがいる部屋の前に立った。扉の前に手をかざし、『イングリッドシステム』を呼び出す。
「セプティミア様!フィト・リベーラ、入室します!」
自動扉が開き、フィトはすぐに入室をする。本来この部屋はアシス軍の総長室になるのだが、総長が不在のため、ティアが使用している。
「うるっさいわねぇ!!ティアの言うことが聞けないっていうの!?」
ティアが、壁に映された映像に対して叫び声をあげる。
総長室は、部屋の中の壁がクリアになっており、宇宙空間が見えるようになっている部屋だった。その一面に、映像が表示されている。
茶髪の男性の映像である。リアルタイムで通信を行っているのだろう。
(バルメイド総長···)
映像に映し出されているのは、アシス軍の総長である。
中年の顔面の半分は機械化しているが、人型のツークンフトだ。20年前のアクマの戦争で負傷したと聞いている。彼は翡翠の目を細め、顔をしかめたまま、ティアと向かい合う。
『セプティミア様。どうか私が帰るまで、ガリーナはそのままの状態で留めおき下さい』
「お前などに命令される覚えがないわっ!ティアの好きにするわよ!!」
『セプティミア様』
諌めるようにバルメイドは、努めて冷静な口調を貫いている。
アシスは、バーン家の所有する私設軍だ。そのため次期後継者であるティアに対して、物言うなんて許されることではない。ティアもそれがわかっていて、例え軍の総長であっても我儘を通そうとする。
(今のままの状態···?)
フィトは敏感にも、聞き取る。
ガリーナを、今の拘束状態に留めておくのか。
「それは、どういうことでしょうか」
フィトは2人の会話の中に割って入る。ティアは眉を吊り上げる。明らかに主人のご機嫌を損ねる行為だったことを察し、フィトはティアの前に跪いた。
「セプティミア様、あの女はアクマの子供です。恐れ多くもテゾーロに反逆し、宇宙を支配しようとした女の子供です。何の処罰もなしとは···だったら何故、捕獲などしたのですか」
「···お前も、ティアが間違っているというの?」
ぎらりとティアの目が光り、拳を震わせる。
『リベーラ、出ていきなさい』
静謐に、バルメイド総長が言い放つ。フィトはちらりと映像の男を見た。
顔面の半分が機械化した男の顔は、表情が読み取りづらい。人工皮膚を被せることもできただろうに、あえて彼はそうした手術をしていないらしい。
『セプティミア様と、私が話している。アクマの子供の処遇については、君が意見して良い立場ではない』
「しかし、バルメイド総長。俺はガリーナを捕獲しました」
『君は、セプティミア様の命令に従っただけだろう。···一軍人としての立場を全うしなさい』
フィトは反抗するため、口を開けかけた。
『出ていけ!私怨で動かないことだ!!』
バルメイドが怒鳴った時、フィトは目を見開いた。
私怨ーーーフィトは、湧き出る苛立ちを隠せなかった。
(私怨だと?)
何て屈辱的で、何て侮られた言葉だろう。
フィトは頭を垂れさせ、屈辱で震える足で立ち上がった。
(この感情を、私怨などと呼ぶのか?)
そんな簡単な言葉では、言い表せないはずだ。
(俺は父親を殺されて、生活をめちゃくちゃにされたんだ。俺の母さんが嘆いて暮らしていた生活を、私怨だと?)
自分の他にも、そういう家族はたくさんいただろう。20年前の戦争で、家族を失った人は多いはずだ。
(あの女の子供は、アクマ信仰の男に育てられてのうのうと暮らしていたのに)
こみ上げる感情を、バルメイドに見られたくなかった。抑えきれないほど溢れてくる感情を唇で必死に噛み殺し、足早にフィトは総長室から出て行った。
「フィトー!どうだっタ?」
部屋の外に、シャワナがいた。彼女はうきうきとした顔でフィトの顔を覗き込んでくる。
フィトの表情を見るや否や、彼女はにやにやと笑った。
「なあニ?面白いことでもあっタ?」
「うるさい···っ」
コンビを組んでるシャワナだが、今会いたい相手ではなかった。振り払うようにしてフィトが足早に歩けば、彼女は引っ付くように横を歩いてくる。
「アクマの子供の処罰ナシ決定?フィトにとってはありえなーイヨネ?」
「黙れ。俺は軍人だ。上に従う」
「だからイッタじゃない。殺しちゃエって」
ガリーナを、殺す。
普段だったら、シャワナに「この殺人鬼が」と吐き捨てていたところだろう。
しかし、フィトがガリーナに望んでいるのは、“死”であった。
「ゾクゾクしなかっタ?惑星ニューカルーで、石投げられて、髪切られてるあの女見テ。ほんっと、嗜虐心をそそられる顔と体してるヨネェ」
「悪趣味な···」
フィトはシャワナに軽蔑の目線を投げるがーーフィトの中の本心を見抜くように、シャワナは言葉を紡ぐことに、動揺した。
本当は、心の底からいい気味だと思った。
父を殺したアクマも、同じような目に遭ってくれたら良かった。いや、娘であるガリーナが人々からアクマのような扱いを受けてくれることこそ、フィトは望んでいるのだ。
(母親と、その娘。ガリーナは母親に似ているだけで、別人のはずなのに)
ガリーナは、自分の父を殺したアクマ本人ではないはずなのに、何の処罰もなしと言われると、激しく気に喰わない。
また惑星ニューカルーの時のような扱いを受けろ。
“また”、誰かに倒されてしまえばいい。
「フィト、よければ協力しよっカ?」
シャワナはけらけらと笑う。
自分の心を暗い道に誘うような、魅惑的な誘いであった。
「俺には···」
「バルメイド総長がいない時がチャンスダヨ?」
シャワナがそうして誘ってくることは一度だけではない。フィトの心を弄ぶような口調の彼女は楽しげで、フィトの堕落を望んでいるようだった。
「協力など···必要ない」
フィトはシャワナの誘いに後ろ髪が引かれる思いがありつつ、自らの邪念を振り払うようにして足を速め、彼女から逃げた。