三月の下旬
進級が確定し、単位という呪縛から開放された生徒たちはみな往々にしてその自由を無駄にしていた。雑談にゲーム、何もしないと言うやつもいる、だが特に"恋愛"なんてものに現を抜かすのは愚の骨頂だ。
だいたい恋愛なんて…一時の迷いで色々いたした挙句に別れるとお互い気まずくなっていつの間にか黒歴史と化すのが規定ルートの地雷じゃないか。そうだ、そうに決まっている。
だが、そういう恋愛が無くならないのも事実だ。
つまりチャンスなのだ。
俺のカバンには自作漫画「曲がり角でぶつかったいけ好かない女が令嬢だった件」というラブコメが収納されている。奴らが好きそうなシチュエーションを詰め込んだ意欲作だ。
そしてこの作品で俺は漫画家デビューを勝ち取るのだ。
♠♡♢♣♤♥♦♧
「お前さぁ……」
教授が呆れて俺を見た。それから大きく息をつく。日当たりのいい研究室である。
無精髭をかきながら教授は明らかにアルコール度数が高そうな酒を取り出した。
現在午後の三時。
「どうすか?」
「どうもこうも俺はゼミ生が一生懸命書いたレポート見るので忙しいの?お分かり?」
教授はため息をついて酒をラッパ飲みしはじめた。どこぞのゼミ生が一生懸命書いたレポートに飲みこぼしがポタポタ垂れる。
「和田教授…そんな堅いこと言わずに」
「じゃあ言わせてもらうけどさ、担当編集にそういう言葉遣い駄目だと思うぜ?プラス俺はお前のゼミ教授でもあるわけ、人の倍敬え」
この人は和田教授。この大学で特任教授として教鞭を取りながらも現役で出版社の編集もしてる。
俺が高校生のときに新人賞で佳作入選して以来、専属の担当として面倒を見てくれているのだ。
「ゼミ教授なら生徒の悩みも聞いてくださいよ」
「俺は研究者だ。自分の研究を第一にしてる」
「特任教授は研究を免除されてるの知ってんかんな」
バツが悪くなったからか、和田教授はさも大きく咳払いをすると俺が描いた漫画を机に置いた。
「午前に送ってきたPDFで確認はしたさ」
身体中に鳥肌が立った。和田教授の講評は厳しいことで有名だ。だからこそ得ることも多い。
すかさずメモ帳を取りだした。
「強引すぎる。並のストーリーを展開するために何もかも振り回しすぎだ」
「うす」
自分でもやや自覚があった部分だ。だが面と向かって言われると辛いものがある。
「でもこの前はもっと自由に描けって言ったじゃないすか」
「自由にキャラクターを束縛していいなんて言ってねぇぞ。お前はおままごとでもしに来たのか?」
若干思うところもあったのでそのまま聞き続ける。
「お前の漫画は持っていきたいシチュエーションにするまでが力業なんだよ童貞作家」
「……今童貞は関係ないでしょ」
「いいや大アリだねむっつり童貞」
「せめて作家は残してください…」
俺は上を向いた。けっして泣いた訳では無い。そう、眩しすぎて涙が出ただけだ。
「あとここぞと言うところで没入感に欠ける。もう少し読む側にリアリティのあるトキメキを感じさせて欲しいんだ」
「リアリティのあるトキメキですか」
創作物にリアリティなんて必要なのだろうか。最近アニメ化した「竹取さんは告られる」とか「四千等身の花嫁」とかの有名ラブコメなんて現実では有り得ない設定の連続じゃないか。それでも読者はトキメクし売れている。
「俺は、お前が恋愛をすればリアリティのあるトキメキを描けると思っている」
「恋愛?冗談はやめてくださいよ時間の無駄です」
「だからお前はむっつり童貞に暗黒進化したんだよムッツリドウテーモン」
「変な呼び方増やさないでくれませんか。あと古いです。話戻しますけどリアリティのあるトキメキって具体的になんですか?」
「現実味のある恋愛劇だよ」
「現実にそんなものないですよ。理解出来ません」
「いきなり理解してもらうつもりはねーよ。あ、そうかこの手があったな……よし、お前に女子高校生を紹介してやる」
こいつ今、思いつきで女を紹介したぞ?
「俺の人生破壊したいんですか!?」
「この俺がわざわざ恋愛相手を見繕ってやると言ってるんだ」
「嫌ですよ、そんな押し売り」
「そんなことないよー、可愛いし、おっぱい大きいよー」
「どこの客引きだよ…」
まあ、なんだかんだ和田教授は信用出来る。何かしらのツテがあるんだろう。
「一応、詳しく説明して貰えませんか。どうやれば俺は和田教授の言うようなリアリティのあるトキメキを描けるようになりますか?」
「簡単な話だ。そいつと実際に漫画のシチュエーションを再現するんだよ。そこでトキメけばOK、しなかったらそのシチュはOUTだ」
いや色々OUTすぎるだろ。ラブコメの展開を再現してくれる女の子?それこそリアリティに欠ける設定ってやつだ。
「和田教授……リアリティって知ってますか?」
「今年、隣の付属高等部に神奈月遙ってやつが入学する。お前のファンだそうだ」
その時、俺はピーンと来た。ははーん今日の和田教授飲みすぎて酔ってるな。こういう時は流れに任せて適当に退散するのが吉だ。
「俺のファンってまじですか!」
「そうそう、お前の創作活動に協力したいそうだ」
「そりゃ光栄ですね!」
「やけに食い付きがいいな。まあそういうことだ、神奈月遙ならお前の無理あるシチュ検証にも付き合ってくれるだろう。そうすりゃ多少はマシな漫画が描けるようになるはずだ。期間は次の読み切り迄、時間は金曜の放課後でいいか。サークルの美術室に呼ぶからバックれるなよ」
そう言うと和田教授は添削したレポートを整理して帰ろうとする。
「お疲れ様でーす」
俺は気の抜けた返事をした。
すると和田教授は「お前まさか冗談と思ってないか?」と言いたげに振り向いた。
「……一応言っておくがマジだからな?」
和田教授は酒に強くない。なので酔ってる時は顔が真っ赤になる。
逆光のせいでしっかり顔が見えていなかったが立ち位置が逆転したことで今ははっきり分かる……、素面だ。
「えっ…?」
「とにかく次の金曜行けよ。あと俺は四月から産休で一年間休むから今までみたいなサポートは出来ん、さらばだ」
「えっ、えっ、」
軽くパニックになった俺は念押しのように親指を上げた和田教授に親指を上げて答え、それを肯定と取ったのか満足気にドアを閉める和田教授の背中を眺めたあと、一人になった研究室で、ようやく言葉を絞り出した。
「わお」