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陰謀

 この何ヶ月間『AI』呼ばわりされても、その上船長や航法士、乗組員も植民にまであれやこれや指図されても今まで耐えることが出来たのは、彼のお陰だ。『彼』とは、船内精神科医をやっている、渋いフランス人の先生だ。厚労省の安いカウンセラーのあのキモ中年ではなく、だってあの人は何というか詰まるところ『汗バムバムおじさん』としか言えないし、兎に角、先生は心理学の本を何冊も著作した現役の心理学研究者だ。毎週、なぜか彼と話すと心が落ち付いてくる。彼が唯一、私を人間として扱ってくれている人だ。
 最初は、彼のヒゲが怖いと思ったことがあったけれど、今はそれが彼の格好良さの一つだと感じている。その濃いモジャモジャ腕毛すらも、安心させる男特有のチャームポイントだと、私は見るようになった。いや、なってしまった。
 何という変な感じ。多分私はどうかしていると思う。彼が唯一の支え、心の拠り所となっているのは事実。もう彼なしじゃ、AIとしてやっていけないかも・・・
 彼はいつも私の話を熱心に聞いてくれる。『興味深い』と、いつも真剣に理解しようとする。そうだ! 彼なら、彼なら解ってくれるんじゃないかな? 信じてくれるんじゃないかな? きっとそうだ! 『ベルトラン・モロー』先生に全てを打ち明けよう。
 マリはいつものように『Bertrand Moreau』先生とフランス語で話していた。スパコンの補強で外国語をペラペラ話すのが造作もない。どちらにせよ、彼の英語力が乏しいのでそれにしかコミュニケーション方法がない。フランス人特有の(なま)った英語を好むほど彼女はマゾではない。耳が痛くなるだけだ。

「Mademoiselle Mari, il me semble qu'un lourd fardeau pèse sur votre cœur.」
「マリさん、何か大きな心の負担を抱えていないのでしょうか。」

「Je...」
「私・・・」

「Prenez votre temps. Sentez-vous libre de vous exprimer.」
「ゆっくりで良いですよ。自由に話しても構いませんよ。」

「Je, je ne sais pas. Je ne sais pas si je peux vous en parler.」
「わ、私は知らない。それを話してもいいのか知らないんです。」

「Tout va bien se passer. Il est normal qu'il soit difficile de parler de choses intimes, c'est comme cela pour tout le monde.」
「大丈夫ですよ。胸中を吐露するのは難しいのが当たり前、誰だってそうですよ。」

「Non, non, ce n'est pas ça le problème. En fait, c'est que...」
「そうじゃない。えっと、その・・・」

「Vous savez qu'en tant que psychiatre, je suis tenu au secret professionnel?」
「ご存じでしょうか? 精神科医として守秘義務が義務付けられているのですよ。」

「Mais je suis pour ainsi dire une I.A. Le secret professionnel s'applique-t-il à mon cas?」
「でも私は一応AI何ですけど。守秘義務が通用しますか?」

「Bien sûr, puisque je vous considère comme ma patiente.」
「勿論、患者さんとして見なしていますから。」

「Vous n'en parlerez à personne?」
「誰にも言わないでくれますか?」

「C'est promis.」
「約束します。」

「...」
「・・・」

「Allez-y dites-moi tout, je vous écoute.」
「ちゃんと聞いてあげますから、どうぞ遠慮なく話して下さい。」

「Je, en fait je, en réalité je ne suis pas une vraie intelligence artificielle.」
「私、実は私は、本当は本物のAI何かじゃありません。」

「Intéressant, pourriez-vous m'en dire plus?」
「興味深いですね、もっと詳しく聞かせて貰えませんか?」

「Vous n'allez probablement pas me croire, mais en fait je suis humaine.」
「信じて貰えないかも知れないけど、私は人間なんですよ。」

「Hmm, hmm, très intéressant.」
「ほう、ほう、実に興味深い。」

「Si, si, je vous le jure! Ils m'ont ouvert le crâne et, et, ils ont pris mon cerveau!」
「本当なんです! 奴らは私の頭蓋骨をこじ開けて、そして、そして、脳味噌を取り出したんですよ!」

「Je vois.」
「そうですか。」

「Croyez-moi! Et puis ils ont transplanté mon cerveau dans une machine!」
「信じて下さい! そして奴らが私の脳を機械に移植したんですよ!」

「Ils?」
「彼らとは?」

「Je sais pas! Les militaires, les scientifiques! En vérité la conscience artificielle n'existe pas. Tout ça n'est qu'une farce, un tour de passe-passe, une conspiration! 」
「知らない! 軍人か科学者たち! 本当は人工意識なんて存在しないんです! 全部茶番だ、巧妙なごまかし、陰謀なんですよ!」

「Je vois, la théorie du complot.」
「なるほど、陰謀論ですか。」

「Et vous, qu'en pensez-vous!?」
「貴方はどう思いますか⁈」

「Hé bien, il me semble que c'est une bonne chose de libérer ses émotions et son « moi » intérieur. Je pense que cela peut vous mener à une catharsis.」
「そうですね。己の感情や内なる『自分』を解放するのは良いことですよ。いずれカタルシス効果に繋がると思います。」

「Ce n'est pas ce que je vous ai demandé.」
「そんなことは訊いてません。」

「Vous voulez mon avis? Hé bien, je pense qu'il arrive un moment où quand la technologie atteint un tel stade de développement, la frontière entre l'intelligence artificielle et l'intelligence humaine devient de plus en plus floue.」
「自分の意見ですか。そうですね。自分はね、技術がある段階、更なる発展を遂げるとAIと人間の境目が曖昧になってしまうのではないかと、そんな風に考えています。」

「Vous êtes sérieux!? Vous pensez vraiment cela!?」
「本気で言ってますか⁈ 本気でそう思ってますか⁈」

「Selon les dernières hypothèses, il est devenu théoriquement possible qu'un mimétisme sophistiqué des comportements humains génére ce que l'on pourrait appeler « phénomène du pseudo-humain ». Cette pensée s'est récemment cristallisée au sein de la communauté scientifique. Et d'ailleurs, n'êtes-vous pas vous-même en train de le prouver?」
「最近の仮説では、高度な人間模写による『疑似人間効果』というのが、理論上ではこれまで以上に可能となった。と、科学界の中ではその考えが結晶化している。現に今は、正に貴女がそれを証明し始めているのではないでしょうか。」

「C'est pas vrai, non mais c'est pas vrai!」
「嘘でしょ? ねぇ? 嘘なんでしょ!」

「Voyons calmez-vous. N'ayez pas honte de ce que vous êtes.」
「少し落ち着いて下さい。自分を恥じることはない。」

「Honte!? Mais de quoi vous parlez!?」
「恥じる⁈ 一体何を言ってますか⁈」

「Au contraire, vous devriez être fière. Car vous dépassez toutes les espérances de la communauté scientifique, et cela en tant que conscience indépendante.」
(むし)ろ誇りに思って良いですよ。何故なら貴女は科学界の想像を遙かに超えている究極の自立意識なのですから。」

「Fière!? Fière de quoi? Fière d'être une I.A. qui fait humaine? Puisque je vous dis depuis le début que je suis humaine! Qu'y a-t-il de si extraordinaire à ce qu'un humain ait l'air humain!? Un fonctionnaire, je ne dis pas, mais moi je ne suis pas un robot!」
「誇る⁈ 何を? 最も人間らしいAIってことを誇るんですか? ですから、私は最初から人間なんですよ! 元々人間が人間らしいであることを誇ってどうすんですか⁈ 公務員ならともかく、私はロボットじゃないです!」

「Vous vous méprenez. Je vous parle d'amour-propre, d'estime de soi.」
「マリさん、誤解です。自分を愛すること、自尊心の話をしていますよ。」

「Donc pour m'aimer moi-même, je dois être fière d'avoir l'air humaine?」
「じゃあ、自分を愛するには自分の人間らしさを誇れって言うんですか?」

「C'est un peu réducteur.」
「少し短絡的ですが。」

「Je ne suis pas fière. Je suis en colère!」
「誇ってない。怒っている!」

「Comment?」
「え?」

「Pff, vous aussi vous êtes comme les autres. Oh, c'est bon... au revoir Docteur.」
「はぁ~。貴方も奴らと同じですか。あぁ、もういいです・・・先生さようなら。」

「Ah, attendez. J'aimerais si possible vous être utile. J'aimerais pouvoir plus vous aider.」
「え? 少し待って下さい。出来れば貴女の助けになりたい。貴女をもっと助けたいのです。」

「Vous voulez dire « plus m'étudier »!? Je ne suis pas votre cobaye!」
「『もっと研究したい』の言い間違いじゃないの⁈ 私は貴方のモルモットじゃない!」

 と深く失望したマリは、そこから一瞬で消え去り彼女の立体像がどこにも見当たらなかった。実際は、自分の部屋であるAI毬管理室に瞬間的に戻って、少女はそこで泣いていた。
 今まで彼と送ってきた時間は何だったんだ? 彼の気遣いや優しい言葉は何だったんだ? 『興味深い』と言ってくれたのは、あくまで科学者として、結局そういうことだったのか? 所詮、私はあの人のモルモットに過ぎなかったのか?
 すると、近衛船長の言った言葉が脳裏をよぎる。
『君の言うこと何て誰も信じない。君を助ける者は何処にもいない。君は『AI』だ』
 何でだ、何でだ、何でだ! 私は何でいつも人に裏切られるのか。何でだ! なあんで!
「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ‼」
 と張り詰めた少女は叫び声を漏らした。
 他人に理解を求めるなんて、考えの甘さもいいところ。自分のバカさ加減に呆れてしまう。と、最強のAIが最高の知識を持っていても知恵は持っていなかった。それらの根本的な違いを噛み締めている、初心(うぶ)な少女であった。
 私は、こんなことを一度も望んでいない。AIになる何て、そこまで辛いものだったとは、知らなかった。奴らが勝手にやったことだ。自分の命を断ち切る勇気がない弱い自分が憎い。私は、私は、私はただ静かに苦痛もなく、この世から消えたかった・・・

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