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約束

「マ・・・ん」
「マリ・・・」
「・・ちゃん」
「マリちゃん! 聞こえる?」
 するとマリは・・・
「あっ」
 と我に返る。
「マリちゃん、大丈夫?」
 目の前にはうぶで可愛い男の子が立っていた。
「セイジ君?」
「うん! 僕の名前を覚えててくれたんだ! 嬉しい!」
 さっき挨拶してきた子供か。
「あれ? 船が動いてる」
「そうだよ! さっきね、ブォォォーンと発射したんだよ」
「え⁈ 発射したと⁇」
「う、うん! どうしたのマリちゃん?」
 どういうこと? ついさっきブリッジに居たのに、発射したならなぜ覚えてない?
 と混乱する彼女は自問するばかり、少しの間彼を無視してしまう。
 確か針路計算を頼まれてその後は・・・いや、その後の出来事はまるで覚えていない。強制立体されたのを、そして皆にジロジロ見られていたのも、ちゃんと思い出せるのだがあの後は薄らとうろ覚えとしか思い出せない。あれ? 何かお祭り的なもの・・・花火? 見たような見てないような。って、ある訳ないか! あれ? じゃ結局、パピリオの航行針路をちゃんと計算したのか? いやでも今、原子力エンジンの様子を確かめたところパワー全開だからね、無事出航したと思っても、いいよね?
 気になるのは、あれからどれだけの時間が経ったのか?
「セイジ君! 私、今まで何をしていた⁈」
 一体何が起きてる!
「マリちゃんはずっとここでボウッとしてたよ」
「え⁇ それじゃー」
 分かった。思い出せないなら、サーバーの映像記録を見ればいいじゃん。
 彼女が一瞬でブリッジでの記録を閲覧すると、全てが明らかになる。
 そうか、何て無様、私は・・・あの未知の快感に溺れてしまって、AIとして演じる自分の役を放り出して、都合よくスパコンに『人格模写』プロセスを任せていたか。
 それでスパコンは上手く自分を演じ通したかな。どれどれ、ふむふむ、ふーん・・・って、何この表現力の乏しさ! 呆れた! 私はこんなロボット的な喋り方は使わない! あーあ、完全にバカにされる。
 そこで彼女があることに気付く。
 いや待て。寧ろそれで良かったんじゃ? あっ、私のアホ! それで全然大丈夫じゃん! そのほうがAIっぽく見えるから、逆にデカしたよスーパー君、さすがパソコン! これ以上単調でつまらなそうな口調出せるのは、本物のプログラムしかない。何が『針路計算完了』だ。生身の人間だったら『計算が終わったぜぇ!』とか『御針路を計算致しました、御主人様!』とか言ってたに違いない。まぁ~、一応スパコンが役立ったってことで・・・
 でもあの『数学トランス』は凄かったなー。気持ち良かったなー。えーい止め止め! 私は健全な女性だ! あんなの覚えなくていい。頭痛いし、凄く疲れるし。思いに(ふけ)ないで現在に戻ろう。そう、今は・・・
「そういえばここは何処(どこ)だ?」
 という声を漏らしたマリであった。そして周囲を確かめると大きくて長い通路が広がった。
 あ、そうか、ここは居住区域か。
「ほらマリちゃん、こっち来て! 見せたいものがある」
「え? あっ、うん。もう走ってるし・・・」
 幾つかの隔壁や通路を越えて坊主に連れて行った先は、展望室であった。その強化ガラスで造られた舷窓(げんそう)から見えたのは、なんと、静穏で美しい惑星地球であった。
「あぁ、そうか、もう出航したのか」
「綺麗だろ?」
「うん、綺麗だね」
 本当はAI毬の監視の目には、全てがお見通しであった。先程の通路や隔壁がどこに通じていたのかも、本船パピリオの座標、太陽系のどこを航行していたのかも、何もかも検知した上のデータが彼女が把握していた。だが、それを()えて認めたくない気持ちも、そして意図的にデータを分析しないと自分のものにしない限り、ある程度自分を誤魔化せることは可能である。実際、ブリッジでのデータ・オーバーロードでも意識がまだ多少混雑していた。
「地球が青くて丸くて不思議!」
 と両手を舷窓に当ててセイジが喜んだ。
「そうね。もう、地球を出たんだね」
 いつか帰られるかな。って、帰っても私の居場所なんて無い。唯一活動できるのはこの船、パピリオの中だけだ。後戻りなんて、決して許されない。私は車椅子を船と交換しただけだ。そしてそれに伴うのは重要な任務、この子を無事『惑星スペス01』に送り届ける責任。
「セイジ君って、スペス01に着いたら何をしたいのかな?」
「僕ね、大きな船に乗って海を探検したい!」
 彼のハッキリした夢に驚いて彼女は少し躊躇(ためら)った。
「み、魅力的な夢だね~」
 とマリは想像してみた。
「そうだろ! 爺ちゃんが漁師だったんだ。でもある日魚がいなくなって海は空っぽになって爺ちゃんは漁師を辞めてしまった」
「・・・」
 その時マリは、地球を眺めながら、その青さに心が沈んでゆく・・・
 あぁ、今この瞬間も、あそこの彼方此方(あちこち)で、何十億人もの多くの人が苦しんでいるだろう。私たちの見えないところで、彼らの苦悩の日々が続いているだろう。
 彼女が振り返ると・・・
「・・・そうか。大変だったね、君の爺ちゃんは」
「うん。だから僕、あっちに着いたら、絶対に海を見てみたいんだ」
「そうね、一緒に海行ってみよっか」
「一緒に来てくれるぅ⁇」
「も、勿論! 君一人じゃ危ないからね」
 あぁ、ダメだ私は、守れない約束をしてしまった・・・
 彼女は宇宙船パピリオと一心同体。勝手な真似は許されるはずがないのである。それでも、二人は勢いの余りに約束してしまった。
「うん! 約束だよ、マリちゃん」
「分かった、セイジ君。とりあえず姉ちゃんに任せて。宇宙を貫いて見せるからね」
「うん!」
「ねぇセイジ君、惑星スペス01の『SPES』の意味って知ってる?」
「ううん」
「希望の女神って意味」
「えぇ、何語で?」
「ラテン語という昔々の言語でね」
「すげぇぇぇ」
「希望を持ってさえいれば、どんな長旅でも耐えられるってわけ。だからね、姉ちゃんと一緒に宇宙を飛ぼう!」
「おぉ!」
「何百、何万光年先であろうと、この私に造作も無いからね!」
「おお‼」

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