祈り
願いというものには様々な種類がある。妄想を爆発させたような自分勝手な願いから、他者を想っての真摯な願いまで。もっとも、その多くは個人的な願いばかりなのだが。
その願いを向ける先で最も多いのは、やはり神へと向けてということになる。
神というのは強大な力を持った存在であるので、願いを叶えるのは意外と容易い。ただし、だからといってそうポンポンと願いを叶えるわけがない。
そもそも、そんな義理も義務も神には無い。人々が勝手に敬い奉り、祈るだけなのだから。
どの世界でもそういった傾向はある。ハードゥスだって例外ではない。まぁ、本当に心の底から一心に願うという者はほぼ居ないが。大半は、心の何処かで醒めた部分を持っているものだ。
さて、ハードゥスに在るとある国で、主座教の今代の聖女は、れいの石像の前で一心に願っていた。内容は平和である。
その国では、最近内部で分裂しそうな不穏な動きがあった。切っ掛けは昔に魔物が侵攻してきたことだっただろうか。いや、少しずつ不満が蓄積していった結果だろうか。歴史ある国というのは色々と面倒なしがらみが多いようだ。
現在は内乱とまではいかないが、内部での小競り合いが日に日に増していた。首都から遠い場所ほど制御が難しく、小規模ながらも紛争も起きている。
その流れで徒党を組む者達も居て、あまつさえ国教を主座教から別のものへと変えようとする動きさえもあった。そんな翳りが見えてきた世界を見た聖女は、どうすることもできない己の不甲斐なさを嘆きながら神に縋ったのだった。
もっとも、だからといってれいが動くはずもない。人の盛衰などれいの興味の外であるし、仮にこれが原因で人が絶滅したとしてもどうだってよかった。
れいにとって重要なのはハードゥスそのものだが、人はその構成の一つであっても、無くても問題はないうえに幾らでも替えの効くパーツでしかない。
それに、仮に人が滅んだとしても、直ぐに新しい人が何処からか流れ着いてくる。
そういうわけで、連日の祈りもれいには届かない。ただ、ネメシスとエイビスは少し思うところがあった。それは国教を変えるという部分。
その勢力は一つではないが、どの勢力も国教にしようとしているのは、別の世界で神と呼ばれている存在を奉る宗教ばかり。それはネメシスとエイビスの眼には、世界の乗っ取りを企んでいると映った。
二人はそんな愚かしい行いを見過ごすことなど到底出来ないので、ネメシスとエイビスは国教を変えようとしている勢力を徹底的に潰していった。二人にとっては赦されざる大罪人達なので、その執行に欠片も容赦がない。
そうして国教を変えようとしていた勢力を全て潰していったネメシスとエイビスだが、その勢力の中に国を割りそうな不穏分子の中心的な勢力があったようで、それによって一気に内乱の危機は遠ざかっていく。
後は所属だけさせられていた少数の残党や、改宗勢力とは別だった弱小勢力しか残っていなかったので、それらは国軍よって直ぐに制圧されていったのだった。
ネメシスとエイビスは見せしめのためにそれなりに派手にやったので、神々の介入は直ぐに国中に知れ渡り、内乱の危機を救った国の守護神として、れいへの信仰は畏怖と共に更に篤くなっていく。聖女も願いを聞き届けてもらった感謝を捧げ、それは主座教で大々的に行われたほど。
肝心のれいは全てにおいて関与していないのだが、ネメシスとエイビスは主座教においてれいの従神という立ち位置なので、人々はれいが遣わしたという解釈のようだった。
ネメシスとエイビスとしても、れいに与えられている職責の範囲内という解釈なので、遣わされたというのは間違っているとは思っていない。
そういうわけで、主座教でのれいへの信仰はより一層深くなったのだった。