潤子(うるこ)との出会い
私は池袋にある書店に立ち寄った。そこには様々な本が並んでいる。いったいどのくらい作家がひしめきあっているのだろう。今、ネットの普及もあって多くのコンテンツがペーパーレスの形で現れている。私の勤めている出版社もスマホやタブレットで容易に見られるオンライン化を進めていて、作家さんたちにも協力してもらって出版の形態に変化が生じている。webでの評価の高い新人を発掘して、新たな読者に共感や感動を、そして新機軸を開拓していこうと狙っているのだ。音楽業界で有名な歌手のCDが売れなくなっている、それに比べてYouTube上でアップされている才能豊かな素人が動画再生回数を増しているような状況がこの出版業界にも波及しているのだ。私もどうしたら、売れる作家を見つけていくことができるのか、そのことに悩んでいる状況が続いていた。そんなことを考えながら海外文学の棚に近づいて、何気なく一冊の本を手に取っていた。まるで誰かに誘導されたかのように私は作家の名前も知らずにページをめくっていた。
「お姉さん、その小説面白い?」私は後ろから声をかけられて、後ろを振り返った。そこにはメガネをかけた少女が立っていた。かなり、というか、今までに見てきたことがないほど美しかった。モデルなのかもしれない、と思った。
「今、手にとって読もうとしていたの。お嬢さん、この本読んだことあるの?」私は彼女の視線がまるで獲物を狙うように研ぎ澄まされていることにドギマギした。
「じつはね、その本、私が書いたものなの。ここだけの話、自費出版してここの書店にならべてもらっているの。毎日この本屋さんに行って私の小説を手にとった人に声をかけるようにしているんだ」私は本の表紙を見た。潤子という名前と、人恋しさゆえ私はブログを更新する。という題名が書かれていた。
「じゅんこさんって言うの?」
「そういうと思った。じゅんこじゃなくて、うるこっていう名前なの。みんな間違えるんだ。本名なの、あなたはなんていう名前なの?」
「高瀬みつき、二十八才。出版社に勤めているの。うるこさんは何歳なの?」
「十二才、小学六年生。授業はネットで受けていて学校には通っていないの。自分のペースで学べるからとても楽なの。学校でのお友だちはいないけど、こうして私の本を手にとってくれる人に話しかけるようにしているの。ほら、小説を読む人に悪党はいないって言うでしょ。それに話しかけたらほとんどの人が私の小説を買ってくれる。メールアドレスも教えて感想まで送ってくれる。本当に素晴らしいことだと思う。私の両親は横須賀でパイ工房っていうアップルパイを作っている喫茶店を経営しているの。地元では有名なところでね、私も毎日朝食に食べているんだけど、まるで主食のような感じね」
「ひょっとして横須賀からここまで来てるの?」私は彼女の繊細なほっそりとした体と、満面の表情豊かな変化に富む笑顔に惹きつけられた。
「うん、電車に乗ればあっという間だからね。私のホームグラウンドみたいなもの。この書店の店員はみんな私のこと知っているわ。私の書く小説を楽しみにしてくれている。まるで実のお兄さんやお姉さんみたいな感じ。たまに我が家で作ったアップルパイを持参して食べてもらっているの。それが楽しみみたい。
「そうなんだ。この本、読んでみる。よかったら、メールアドレス教えてもらえない?」
「いいわよ。私の家にも遊びに来て。夜はバーに変わるからお酒も飲めるわよ。丘の上から海を見ることができてとても風靡なところなの。きっと気に入ると思うわ。とても静かなんだけど、海風が耳元で囁いているようなところなの。私のこと、うるこって呼んで」うるこは右手をさしだした。私は彼女の手を握った。とても温かくて、新鮮な果物のように湿っていた。
「私のこと、みつきって呼んでね」
「よろしくね、みつき。なんか、長い付き合いになる予感がする。今の世の中騒がしくて、人と人とが出会うことって容易になっているような感じがするけど、それってそんな気がするだけで、なかなかお互いの距離が縮まらないよね。でもきっと類は友を呼ぶみたいな、似た者同士を惹き付けるそんな出会いもあるんだな。そう思うわ」
潤子は私の差し出したスケジュール帳に自分のメールアドレスを書き込んだ。
「潤子、あなたってまるで女優みたい、スカウトされたことあるでしょ」
「しょっちゅうよ。小さい時から、それもまだ乳離れしていない時から声をかけられていたみたい。電車に乗っている時もいつも視線を感じるわ。でもいつものことだから、気にしていないけどね」
「そうだ、食事は済んだの?よかったら一緒に食べない?素敵な作家さんに出会えて、もっと小説について話を聞きたいわ」
「それなら私がいつも行っているマックに行かない?エビフィレオと揚げてのフライドポテトが大好きなの」
「そう、私がおごるから。もっと潤子の話を聞かせてよ。まだ語りたいことが山のようにあるの。時間は大丈夫?」私は腕時計を見た。午後の一時を少し経過していた。
「うん、大丈夫よ。みつきは仕事なんでしょ」
「全然平気よ。素敵な作家さんに出会えて話を聞くって伝えておく。時間なら調整がきくから」
私たちはレジで潤子の本の支払いを済ませてから、店を出て、マクドナルドに向かった。これからきっと長い付き合いになりそうだという予感がしていた。この後、潤子は告白にも似た経験を語り始めるだろう。そのことを私は直感として感じていた。彼女との出会い、そのことがきっと私の人生においてとても重要なターニングポイントとなるだろう。そんな心を揺さぶるような静かな、そしてまるで湯船に浸かったような安堵感を覚えて、彼女の美しい姿を飽きもせず並びながら歩いた。太陽が祝福をあげているように輝いていた。空は雲一つなく青く染まっていて、スキップを踏みたくなるほどの心地よさを感じていた。