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Recollection

『普通になりたかった僕らの話』
 
 それがいつ始まったのかは、もう僕も覚えていない。ただ言えるのは、それは紛れもなく「いじめ」であったということと、その標的が僕らであったということ。その二つの事実は揺るがない真実だ。
 話を始める前に、少しだけ僕らのことを話しておこうと思う。僕の名前はO2。訳あってこんな名前で君たちの前に立つことを許して欲しい。そうして、もう一人の名前はゼロ。僕の大切な相棒だ。
 ゼロと僕は同じ家に生まれた。薄暗い街の郊外、近所の人からも街の人からも不気味だと評判だった屋敷で、二人同時に生を受けた。あまり外に出ることもない両親の下に育ち、日の当たらない実験室やカーテンの締め切った部屋で二人過ごしていた。
 小さい頃の娯楽はといえば、専ら本を読むことだった。父親の部屋には難しい研究書から僕らが読んでも分かるような絵本といったものまで、多種多様な読み物が揃っていた。小さい頃の僕らはそれを読むことをとても大事にしていて、特にゼロは、大きくなった今でもどんな本を読んだのか克明に記憶しているほどだ。時折何かの節に触れては「昔絵本で読んだ」と言い出すあたり、その記憶が生きているのだと思う。
 そろそろ話を戻そう。僕らはそんな風にして、外の世界を知らないままに育った。本を読み、時々体を動かし、家の傍にあるものだけを使って遊び、そうして無愛想な母親の食事を食べ。そんな毎日を繰り返して、やがて十歳になる頃まで成長した。
 ある日、街から人がやってきた。
「ごめんください。こちらに、就学期のお子さんがいると聞いて、やってまいりました」
 それは、学校の勧誘だった。やってきたのは街の役場の人のようで、これは義務だからと一方的に捲し立てた。元々あまり僕らに興味を示さなかった母親も、基本的には無償なのだと言われて折れた。
「あんたたち、何か問題起こしたら承知しないよ」
 入学の決まった夜、彼女は僕らに服を用意してくれた。それはどこから貰ってきたのかは分からないけれど、いわゆる制服というものらしかった。僕らの背丈にピッタシのその服に、僕らは二人して顔を綻ばせた。
「馬子にも衣装とはよく言ったもんだねぇ」
 満足気な表情で彼女はそう言い、僕らの頭を撫でた。慣れないことに、僕らは二人して顔を見合わせていた。彼女はその様子を見ながらケラケラ笑い、「頑張っておいで」と言った。
 僕らはそのまま、服を見せようと思い父親のもとへ向かった。研究室にこもりっぱなしの父は、僕らの目新しい格好にただ目を瞬かせた。「学校に行くの」とゼロが言うと、彼は「あぁ」と拍子抜けなほどにあっさり答えた。
「学校、か……お前らも、もうそんな年なんだな」
 どこか遠くを見るような目でそう言い、彼もまた、彼女のしてくれたように頭を撫でてくれた。酷く不器用な調子だったのを、何となく覚えている。慣れてないぶきっちょさ、とでも言えばいいか。
 僕らはそれに満足すると、そのまま薄暗い自分たちの部屋へと戻った。制服を着たままにベッドに潜り込み、二人して笑った。
 思えば、そうだ。あの時の僕らはまだ何も知らなかった。制服の意味も、あるいは学校という存在も、何も知らなかった。
 僕ら以外にも同い年くらいの子どもたちがいる。その事実すら不確かなものだった。



『居場所を求めた僕らの話』

 あれは、いつだったかな。そう、砂漠を泳ぐクジラの絵本を読んだ頃だったと思う。初めての「学校」にボクらは二人、乗り込んだんだ。そこには、広い土間みたいなものがあった。二十人くらいかな、年の近しい子ども達ばかりが同じスペースに集まって、それぞれに与えられた机を前に座っていた。ボクらはそれが少し不思議だった。そうして、ボクらにとって不思議なことが、もう一つあった。
「それじゃあ、ダンくんはあの子の後ろに。グレイくんはそこの席に座ってね」
 いわゆる先生というやつらしかった女の人が、ボクらの「席」と言うものを指定した。ボクらは初めその意味がよく分からなくて、思わずその「先生」を見返していた。彼女は、それでもね。逆に僕らのことを不思議がった。「どうしたの?」って聞きながら、O2の手を取った。そのままO2を連れて行こうとしたから、思わず手を取った。先生が困惑した表情を見せた。
「二人とも、仲良しなのは分かるけど、席は限られてるの。授業の間だけは、我慢してね」
 そう言って、先生はO2を連れて行ってしまった。ボクはボーっとそれを眺めていて、その後先生が戻ってきたかと思えばO2とは別の席まで連れて行かれた。周りには知らない子がたくさんいて、O2の席とは少し離れていた。
「はーい。それじゃあ、今日の授業を始めましょうか」
 先生がそう言って、授業というものが始まった。授業の内容は、そうだな。こう言っちゃ悪いけど、簡単だった。ボクとO2にとってはもう当然のように理解できることだったから、逆に言えば退屈だった。周りに知ってる子はいないし、話そうと思ってもO2が近くにいない。不思議を通り越して、酷く居心地が悪かった。
 休み時間というものがやってきて、ボクとO2はこっそり「教室」を抜け出した。学校から少し離れて、街の中心市街の路地裏に足を向けた。人通りのない場所を選んで二人腰掛けた。二人とも、暫く無言だった。
「……何か、なんだろう」
 O2が口を開く。思ってたほど、楽しくもないかもねって。そう言って。
 ボクもそれに同意した。
「知らない子、ばっかしだ」
 あんなに同じくらいの子がいたことに、ボクは驚いていた。今までO2しかいないものだと思っていたから、ボクにとってはそれが不思議で仕方なくて。もう少し言えば、分からなかった。どう対応していいのか、どう接すればいいのか、分からなかった。
分からないことは、それはそれは不安だったんだよ。
「……戻ったほうがいいのかな」
 どうだろう。O2が答える。どうしようかなって、二人して悩んでいた時、不意に声が聞こえてきたのだ。聞きなれない声――それも、酷く耳障りな声が。
「あー、いけないんだー。こんなとこでサボってていいんですかー」
 見れば、そこに大柄な少年が一人、そうしてそれに付き従うような形で、三人の少年達が立っていた。ボクは、それがさっきの教室にいた顔なのだろうとすぐに思った。そしてその読みは、どうやら正しかったらしい。
「いーけないんだーいけないんだー、せーんせーにいってやろ」
 よく分からない呪文を唱えながら少年達が近づいてきたかと思えば、彼らはそっとボクら二人を取り囲んだ。怪訝に思っていると、O2が不機嫌そうに漏らした。
「何?」
 その声は酷く機嫌を損ねている時に上げるそれと、何ら変わらないように思えた。
 少年達は下卑た笑いを浮かべる。
「……ゼロ、行こう」
 O2がボクの手を取る。そのまま抜け出そうとするのを、二人の少年が「待てよ」と制した。思わず目配せしあう。何となく嫌な汗が垂れた。
と、その時、だったか。
 腹に重い衝撃を覚え、思わず蹲った。O2の呼ぶ声が聞こえたが、それもすぐにかき消されてしまって。もう一つの悲鳴が上がり、それがO2のものだとすぐに分かった。
「何、すんだよ」
 少年達は何も言わなかった。ただ、それはそれは愉快そうに口元を歪め、ボクらを執拗に蹴り続けた。ボクらはじっと耐えるしかできなかった。じっと、お互いの手を取り、蹲ってじっと耐えることしか、できなかった。
「サボってたって、先生に言っとくから」
 ちゃんとくるんだぞ。少年達はそう言い残して、去っていった。高笑いを、響かせながら。
 ボクは、何も言えなかった。ただじっとO2の指が動くのを待っていた。じっと、彼が動いて、そうして声をあげるのを、待ち続けた。
「……ゼロ」
 O2の声が聞こえて、そっと顔を上げた。O2は、ボクの手を放して仰向けになっていた。その目は閉じられていた。その頬には、擦りキズが残っていた。痛そうだった。
「ゼロ、大丈夫?」
 ボクは、頷いて答え、ギュッと彼に寄り添った。声は出なかった。ただひたすらに、ぎゅうっとO2にしがみついていた。O2は何も言わなくて、変わりにボクの背中を優しく撫でてくれた。
「学校って、怖いところだなぁ」
 普段通りの調子で言うO2の言葉にも、ボクは何も答えることができなかった。



『自由に焦がれた僕らの話』

 それから、暫く経った。僕らはちゃんと学校に行っていた。毎回ではないにしろ、時々彼らの「いじめ」を受けながらも一応出席していたんだ。何故かと聞かれれば、それはたぶん、僕らなりの意地だったんだと思う。心のどこかで、負けたくないと思う心があったんだろうね。
 だけれど、ある時から、いじめの質が変わったんだ。それは何の前触れもなく、本当に唐突な変化だった。新しい生徒も何人か増えた学校で、僕はいつの間にか「いじめ」を受けなくなった。
 ――代わりに、そうだ。ゼロだけが、いじめの被害者になった。
 僕らはいつも一緒だけど、必ずしも常に傍にいるわけじゃないんだ。手を洗いに行くとか、ちょっと忘れ物を取りに行くとかで、少しだけ席を立つこともある。そんな時だ。ゼロが狙われているのは。僕がいなくなった一瞬の隙をついて、彼らはゼロに危害を加えた。
 僕はそれに何度も割って入った。それで止まることもあれば、止められないこともあって。その時は、やむなくゼロをどうにか助けて逃げ帰った。そういうことが何度かあってからは、なるべくゼロから離れないようになった。だけれど、ダメなんだよね。多勢に無勢と言ってしまえばそこまでなのだけれど、僕を払い除けてゼロに殴りかかる輩もいて。その都度僕は胸が潰れるような焦燥感を感じた。焦りと、同時に底知れぬ不安。恐怖といってもいいかも知れない。それを感じて、命からがらゼロを助けるのだ。
 一人だけをいじめる「遊び」。それが続いて、どれくらい経った頃だろう。ある日家に帰ってから、ホトホトに疲れ果てた僕らは眠りこけてしまって。そうして僕が目を覚ますと、隣にゼロの姿がなかった。息が止まるかと思った。すぐに、家を飛び出してゼロを探して回った。路地裏とか、森とか、探す場所はいっぱいあって、そのどこにもゼロがいなくて、焦って。
 そうして、僕が泣きそうになっていた頃、ようやくゼロを見つけた。ゼロは土管の中に隠れていた。足の間に顔をうずめ、泣いていた。
「……ゼロ」
 声をかける。だけれど、ゼロは何も答えなかった。答えが返ってこなかったのは久しぶりのことで、困惑した。もう一度、「ゼロ」と呼んだ。それでもゼロは答えなかった。
「ゼロ、帰ろう。こんなところにいたら風邪ひいちゃうから」
 そう言っても、ゼロは何も言わなかった。僕はそれに溜息を漏らすと、そっとゼロの横に腰を下ろした。そのまま彼の肩に頭を預け、目を閉じて。そっと手を取って、ゼロが泣き止むまで待った。
 ――思い返せば、その時、だったかな。僕が何に怯えていたのか。それに、気づいたのは。
 僕はゼロのすすり泣く声を聞きながら、静かに口を開いた。
「……身体、痛くない?」
 反応はなかった。続ける。
「……学校、もう、行くの止める?」
 それには、反応があった。答えはノーだった。首をぶんぶんと横に振り、ゼロは意地を顕にする。そこは考えることが一緒なんだなって、少しだけ嬉しくなった。同時に、胸が少し傷んだ。
僕は薄らと目を開く。横目でゼロの表情を窺い見て、そうして逸らして。そのまま、ゼロの顔を見られないままに、声を漏らした。
「……僕のこと、嫌いになった?」
 瞬間、ゼロがバッと顔を上げた。そのまま僕の方を見ると、怒りの篭った目で僕を睨んだ。僕はそれに萎縮しながらも、やはり真っ直ぐにゼロを見ることができなかった。すぐに視線を逸らし、目を臥せってしまう。
 そう。それが、怖かった。
 一人だけへのいじめ。それはきっと、僕とゼロの仲を引き裂くためのものなんだと思う。数え切れないいじめを経て、やがてゼロが「どうしてボクだけ」と思えば、彼らの勝ちだ。僕のことを、疎ましく思えば、彼らの勝ち。
 僕は、ゼロへのいじめを止めることができなかった。ただそれを目の当たりにして、彼を引いて逃げることしか、僕はできなかった。
「助けられなくて、ごめん」
 そう、呟いた時だった。
 バフっと。身体に負荷がかかった。そのまま尻餅付きそうになるのをどうにかこらえ、両手で身体を支え込む。突然のことで動揺していると、耳元で大音声が告げた。「馬鹿なこと言うな」って。
「ボクは……O2のこと、嫌いになんてならないよ。 例えどんなことがあっても、あいつらの思い通りになんてならない……なってやらない。そう、決めてるんだから」
 ゼロの声は震えていた。だから、謝らないでよ。そう、聞こえた。謝らないで。傍にいてくれる君のことがボクはって。そう、続けて。そのまま、それは泣き声に変わった。
僕は、強く目を瞑った。何かが零れそうだった。それを見て見ぬふりするように、ギュッと目を瞑った。
「……ゼロ、ごめん」
「謝るな」
「う、うん……分かったから」
 僕は必死にゼロの背中を撫でていた。ゼロが落ち着くようにと、彼を宥めていた。それでもゼロは泣き止まなくて、僕はやがて彼の身体を強く抱きしめた。そうすればゼロが泣き止む気がして、ギュッと。
 予想は、当たっていた。それから暫くして、ゼロは泣き止んだ。いつもの調子に戻ったのか僕にもたれ掛かるようにして、こう言った。
「……負けないから」
 それは。それは酷く小さな声だったように思う。だけれど、僕の心を冷やすには十分なほどに、どこまでも強い言葉だった。
「……うん」
 分かったよ。そう返すと、耳元でようやく、ゼロが笑った気がした。

 その時、僕は初めて意識した。
 この、狭い世界から抜け出したい。僕らは、僕らの場所で。僕らだけの場所で。
 自由になりたかった。



『二人を願った僕らの話』

 いつだったかな。その日は、夕焼け空がすごく綺麗だった。ボクは気付けば習慣になっていた土管までやってきて、いつも通りに泣いていた。その日も学校でいじめられてね、それで。そうしていれば、いずれO2が来てくれるんだ。そうしたら、一緒に帰る。その瞬間が、気づけば好きになっていた。
 だけれど、その日O2は遅かった。いつもは暗くなる前に来てくれたのに、その日は来なかった。夕日が沈み切るか切らないかといった頃になって、ようやくO2がやってきた。夕日を背にしていたから、遠めに見たとき気づかなかったのだけど。O2の顔は赤く腫れ上がっていた。
「そ、それどうしたの」
 何があったの。そう詰め寄るボクを見て、O2は照れくさそうにはにかんだ。「ちょっと、喧嘩してきた」って。嬉しそうにさ、笑った。
「いじめを考えた奴が、遂に分かったんだ」
 その言葉の意味を計りかねていると、O2が続けて説明してくれた。ただ殴るだけだったいじめが、ボク一人だけに矛先を向けるようになった理由。その原因を、O2は見つけたのだと言う。
「こないだ、新しく来た奴のせいだった。そいつが面白がってそんなことを提案したんだってさ。そんで、いじめっ子達がゼロを狙うようになったんだ」
 だけど、さ。O2は尚も言葉を続ける。
「今日殴ってきた。鼻をへし折ってやったよ。『もう二度とこんなことをするな』って。その後いじめっ子達に見つかっちゃってね、いっぱい殴られたんだけど」
 でも、勝ったよ。O2はそう言って、ボクの手を取る。ぎゅうっと握る。晴れやかな笑顔で、「もう大丈夫だよ」って、そう言う。
 ボクは、また何も言えなくなっていた。気づけば涙が出ていて、それを右の手で拭っていた。O2が「泣かないでよ」と笑ったけど、そんなのお構いなしに泣いた。嬉しかった。だけど、少し悲しかった。O2が怪我をしたことが辛かった。ボクのせいで傷ついてしまった姿を見るのが、辛くて、辛くて。
 だけど、O2は笑う。ボクの頬を撫でて、涙を拭って、ニィッと笑う。
「泣かないでよ。ね、いつも通りに笑ってくれればいいんだ」
 僕の前でしてるようにさ。そう告げては、優しい笑みを零しながら言う。
「……僕には、君が必要なんだよ」
 照れくさそうに言って、O2はもう一度ボクの頬を撫でた。そのままへへっと笑うと、僕の手を引き歩き出す。
「帰ろう。もう、大丈夫だから。僕が一緒にいるから、もう大丈夫」
 その手の温もりを、今でも覚えている。温かくて、小さくて、柔らかくて。だけれど、ボクの手を強く握って放さない。前を歩く背中を見つめながら、ボクはほんの少しだけ、また泣いた。
 O2の言葉を、反芻する。一緒にいるから、大丈夫。そうだねと心の中で呟いた。そうだね、それはずっと、そうだった。君がいたから、ボクは――
 星が瞬き始めた空の下、ボクらは繋いだ手を放さなかった。
 

 ――それが、今から四年くらい前のボクらの話。まだ故郷の地で生きていた頃のボクらの話だ。
 ボクらはあの後、自分たちの住んでいた場所を捨てた。そうして、文字通りに二人っきりで暮らし始めた。遠い場所で、誰も知らない場所で二人。いじめっことは違う暮らしを始めたのだ。
 時々思う。もしもあの時学校に出てなかったら。ボクらは何も知らないまま大きくなれたんだろう。
 そして思う。もしもあの時O2が助けてくれなかったなら、ボクはもうこの場所にはいなかっただろう。
 昔の話をしていると、少し感傷的な気分になる。だけど、そうだね。ボクは自分の過去のこと、あんまし嫌いではないんだよ。
 何故かって? それは、ほら。ボクは知っているんだよ。いつかはそれが、大切な思い出になるって。例えどんなに辛い記憶で、どんなに消し去りたい時間だったとしても。一緒にいてくれた人がいたことを、ボクは忘れないでいようと思う。だから、受け入れる。ボクは自分の過去を、受けいれられるんだ。
 きっといつかは、忘れられなくなるから。

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