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Souvenir

「――まずは、聞かせてください」
 あなた達のこと。凛とした声はそれでも少し震えて聞こえる。恐らくは僕らのことを警戒しているんだろうと見えて、思わず苦笑が漏れた。
「いきなり入って来たことは謝るよ。まさか人がいるとは思ってなかったから」
 なぜ彼女がこんな場所にいるのか。それを聞いてみたかったけれど、今はそんな状況ではなさそうだ。
「自己紹介からしようか。僕の名前はO2。そして、こっちにいるのが僕の大切な相棒で、名前はゼロ。よろしくね」
 二人して頭を下げると、彼女も小さくお辞儀した。それでもまだ警戒の色は解けそうにない。それも当り前かなと思った。
 ゼロと顔を見合わせる。苦笑している顔が目に映る。一から話す他なさそうだろうか。
「僕らがどうやってここに来たのか。それが知りたいんだよね?」
 彼女は僕のその問いに頷いて見せる。僕はそれを見て、「それじゃあ」と続ける。
「少しだけ、僕らの話を聞いて欲しい。僕らがどうやってこの場所に辿りついたか……それを話すためには、僕らがどんな場所で生まれて、どうやってこの街までやって来たのか、一から話さなければならないから」
 長くなるけど大丈夫かい? そう聞くと、彼女は観念した様に頷いて見せた。手にしたランプを掲げて、暗い通路の先を照らして見せる。
 先は真っ暗で何も見えなかった。
「……ご覧の通り、ここは暗く寒く、何もありません。少し行った所に私が暮らす家がありますから、そこまで行きましょう。ついてきてください」
 そう言って彼女はゆっくりと歩き始めた。僕とゼロは再び顔を見合わせる。なぜかはわからないけど、彼女の家まで招かれたらしかった。
「いいのかい? 怪しい人物だとか、警戒していた様に見えたんだけど」
 そう聞いても彼女は振り返ろうとしなかった。
「……それはこちらの都合です。あなた達に教えるつもりはありません」
 彼女はそう言い放って押し黙ってしまった。仕方がないので僕らも彼女の後に続く。その背中に向け、ついでに話してみることにした。
「長話になっちゃうから、今の内に少し話しておくよ……僕らは、自分達の住んでた場所から逃げてきたんだ」
 魔女と呼ばれた母親と、博士と呼ばれる父親。そうして僕らをいじめる同年代の少年達。窮屈で息苦しくて、大嫌いな灰色の空の街から、僕らは逃げ出して来た。
「そうして、この街にやって来て、この間彼に出会ったんだよ」
 コツコツと前を歩く少女は直も僕らの方を向こうとはしない。しないけど、ちゃんと聞いてくれているらしいことは伝わって来た。だから僕は、気にせず話していくことにした。
 ここに来た理由と、僕らが出会った『友達』のこと。
 その全てを。



『小さな冒険の話』

 微かに足音を響かせながら、先を細いライトで照らし出す。一寸先までしか見えない程の暗闇の中を、僕とゼロは歩いていた。誰もいない、見えない。そうして、僕らが歩く音以外には、ゼロの呼吸する音しか聞こえない。そんな静寂と闇の中で、僕らはそっとライトを方々に向けていた。
 そこにあったのは一枚の絵。相当昔に描かれて、ずっと眠っていた遺産。街外れの遺跡から見つかったらしいそれは、今はこうして博物館の中に所蔵されている。
ライトをずらしてみれば、今度は槍の様な物が見えた。武具だ。砂や錆でボロボロになっていても、その形は今も変わらず。ゼロが耳元で「危なそうだね」と言って笑うので、僕もそうだねと返して笑った。
 夜の博物館に行こうとゼロが言いだしたのは、何日か前のことだ。流石にそれはと初めは逡巡したものの、彼の譲らぬ態度に僕も折れて、こうして忍びこむ形となってしまった。
「昼間、抜け道を用意したとはいえ」
 こんなに容易く侵入できるものなんだなと不安を感じつつ、僕ははぐれてしまわぬようにゼロの手を引く。それだけで少しだけ、僕は嬉しくなる。
「何があるか、調べてきたんだけど」
 そう言いながらゼロは、真っ暗で見えないだろうに博物館のパンフレットを取り出した。右手に持ったライトをかざして、これがみたいあれがみたいと僕を誘導する。そうして次にゼロがみたいと言ったのは、ゴーレムだった。
「何でも、遺跡の城壁のそばから出土したんだって」
 パネルに書かれた文を読み上げながら、ゼロがワクワクした声を上げる。僕は眼前のそれを見詰めながら、へーと受け流していた。思ったより小さなゴーレムは、手触りが良さそうな淡い砂の色をしている。触ったら崩れてしまいそうなその体躯は、それでも僕らの背丈より五十センチほど大きいくらいで――説明書き曰く、二メートル弱らしかった。
「……のっぺりしてるね」
 何とも言えないそのフォルムに、やっとのことで口をついたのがその台詞だった。長方形の身体に、手足が生えた様なシンプルかつ寸胴なデザイン。ゼロが少しだけ苦笑する。そのまま、触ってみたいな、等と言いだす。
「ちょっとだけなら、きっとバレないよね」
「さぁ、どうだろう」
 安心はできないと思うよ。そう僕が諭してもゼロは聞く耳を持たない様子で。そのままそっと手を伸ばすと、指先でトンッと。やってしまったなぁと思っていた、その時だった。
「! ぅわっ!?」
 キュインと言う音とともに、辺りが一瞬光に満ちる。思わず目を細め、もう一度開く頃には辺りは再びの闇に満たされていた。何が起きたのか分からぬまま、咄嗟のことで落としてしまったライトを拾う。ゼロの無事を確認する。
 ゼロは隣で尻餅をついていた。
「ゼロ、大丈夫?」
 僕がそう問うと、ゼロはこちらを一瞥して、だけれどすぐに顎で前を指し示してみせた。ライトを向ける。先ほどのゴーレムがこちらを向いているのが分かった。
「…………?」
「……アノ」
 くぐもった声。その声の主が一瞬誰か分からなくて、だけれど他に答えは見当たらなくて。
「――えっ?」
 それが、僕らと彼。『マホ』との出会いだった。

   *

「マホはとても利口なやつで、僕らが言ったことをすぐに理解してくれたんだよ」
 前を歩く彼女にそう告げながら、隣のゼロに目をやる。懐かしむ様な笑みを浮かべながらも、ゼロは少しだけ寂しそうな表情を見せている。
 それも今は、仕方のないことだと思う。
「……とにかく僕らは、彼と出会った。プレートに寄れば街の遺跡から出てきたらしい彼とね。夜の博物館なんていう、突拍子もない場所での出会いだったけど」
「忘れられない出会いだったよね」
 嬉しそうな声で、ゼロがそう呟いた。



『現れた神話の話』

「――まぁ、仕方なかったとはいえ」
 どうしたものかね。僕はベッドの片隅、窓から月明かりの照らす場所に佇むそれを見据えながら、小さくため息を吐く。
 マホと名乗ったゴーレムを、僕らはやむなく家まで連れ帰ってきていた。
 ゼロが興味津々という体で、マホを調べ回している。マホは少しばかり戸惑った様子で、だけれど元々大人しい性分なのだろう、あまり抵抗しようとはせず、ただただ僕の方へ助けを求める視線を投げかけてくる。
 僕はゼロを宥めると、マホの横にあるベッドに二人して座った。ゴーレムと対峙する。少しだけ深呼吸してみた。
「……正直、混乱しているのはお互い一緒だと思うんだ」
 急に呼び醒ましてしまって申し訳ないね。そう言うと、マホも小さく頷いて見せた。
「だけど、僕達は知らなきゃいけない。君のことをもっと。そうしないと、君をどうしたらいいか、僕らには分からないから」
 成り行き上連れてきてしまったとはいえ、仮にも街の文化遺産だ。どんな形にせよ、今僕らがやっているのは窃盗以外の何物でもない。
「できれば、元の場所に戻してあげたいからね」
 そういうとマホは少しだけ考えるように遠くを見やった。その目に何を宿しているのか僕らは分からないけれど、少なくとも彼が見ていた世界と、今僕らが住んでいる世界は全然違うはずだ。
「マホの住んでいた世界のこと、教えてよ」
 ねっと、ゼロが無邪気に笑って見せる。マホはゼロの方をしばらく眺めていたかと思うと、意を決したように深々と頷いた。
「……スコシ、ナガクナッテシマイマスガ」
 そう言ってマホは、彼の記憶を話し始めた。

 それは二人の少年の話だった。二人の少年が王様になって国を創る話。
 片方は武に長けていた。剣を遺し、眠りについたという。
 もう片方は智に長け、不思議な力を持っていたという。いわゆる魔法。そうして、マホを生み出したのはその王様なのだとか。
 二人の少年が気まぐれで始めた国創り。それが実を結んだ時、彼が生み出された。

「オウサマハ、トテモヤサシイカタデシタ」
 よく話をしてくれたと、マホは言う。
「オフタリガナクナリ、シバラクタッタコロ、ワタシハネムリニツキマシタ」
 それからは覚えてないと言って、マホは話を締めくくった。
 僕は彼が話す間中ずっと、昔どこかで聞いた神話を思い出していた。街を造ったと言われる、二人の王様の話。マホが言っているのは、あの話のことなのだろうか。
(少なくとも偽物ではない、ということなのかな)
 彼の言葉を信じるのであれば、マホはこの街の誕生の時代を生きていたことになる。
「O2」
 ゼロが僕の名を呼んだ。首を傾げながら僕を見やる。そうして、小さく頷いて見せる。
 僕は頭を軽く掻きながら、ハァっとため息を吐いた。
「……元々原因を作ったのは僕らだ。だから、僕らでどうにかしなきゃいけない。だから、明日また、マホのこと調べてみるよ」
 そう決めて、僕らはその日を終えることにした。マホは外に見られてもマズいので、僕らの家で最も広いリビングに隠れてもらった。
「ね、O2」
 蒲団にもぐるようにして眠る準備をしていると、隣で眠るゼロが呼びかけてくる。「何?」と返して顔を出す。ゼロが無邪気な笑みを浮かべているのが分かった。
「何だか、ワクワクするね。明日から忙しくなりそうだ」
 どうしてそうなっているかは考えないことにしながら、僕は苦笑して見せた。そうだねとだけ短く返して、そっとゼロの頭を撫でる。だからこそ寝ないと。そう言うとゼロも頷いて答えてくれた。
「明日から頑張ろうね。おやすみ、O2」
 そう言ってゼロは目を閉じた。僕も寝なきゃなと思いつつ、天井を見上げてポツポツと今日起こったことを振り返ってみる。
 博物館に忍び込んで、ゴーレムが目覚めて。その両方が、ゼロの言いだしたことがきっかけなんだよなと思いながら、小さく苦笑した。
(だけど、これは僕達の約束だからね……)
 止める気はない。流れのままに、君が望むままに。そのために僕はここにいるんだから。
「おやすみ、ゼロ」
 寝息を立てる相棒に安堵しつつ、僕も静かに目を閉じる。

 翌朝、目が覚めると隣にゼロの姿がなかった。どこへ行ったのだろうと思っていると、すぐに声が聞こえてきて。マホと話している様だった。
「あ、O2やっと起きた」
 待ちくたびれたよとゼロが言う。僕はごめんと短く返しながら、部屋の隅でうずくまっているマホを眺めた。大きな体躯は、所々壁に擦れて欠けてしまっている様に見えた。
「今日はマホの言っていたことを調べてくるよ」
 待っててねと言うと、マホは小さく頷いた。
「ヨイシラセガキケルノヲ、タノシミニシテイマス」
 彼は大人しいから大丈夫だろうと判断して、僕らは二人街の図書館へ向かった。とても大きな図書館で、多くの人がここを訪れる。街の歴史に関する資料も当然置いてあるから、きっとここならマホのことも少しは分かると思いたい。
 僕らは館内へ入ると、真っ先に郷土資料のコーナーへ向かった。街の史実がまとめられた本を持ってきて、早速読み始める。分厚い本だから、二人で手分けして探ることにした。
 見出しには以下の様なものが見つかった。
『孤児問題の解決に立ち上がる議会』
『遺跡と時計台のある街並み、観光客にも評判』
『鉱脈の街。最盛期には十数万の人が暮らす』
 調べ始めて知ったことなのだけれど、この街はその昔、鉱石等の資源で潤った街らしかった。五十年近く前の話で、鉱石が採れなくなってからは、観光地として成長を遂げて来たらしい。ここに書かれている時計台というのは、今も街の中央で黄金色の光を放っている。あの時計台が一昔前は名を馳せていた場所だったなんて、全然知らなかった。
「だけど、マホ達のことは全然書かれてないね」
 ゼロの言葉に、僕も頷いて見せる。そもそもに資料が少ないのか、この街の通史は数自体が少ない。二人して読みこんでみたけれど、マホが言っていた様な剣と魔法の話なんて、どこにも書かれていなかった。
「どうしよう、調べればすぐ分かると思ってたけど、案外そうでもないのかも知れないね」
 途方に暮れた僕らは、とりあえず手当たりしだいに本を読み進めていった。それでも、それらしい話は見当たらなかった。街の歴史が詳しく記された本は、丁度百年近く前からのものしか残されておらず、恐らくマホが生きていたであろう時代の話がどこにも見当たらない。
 お手上げだぁ、とゼロが言った。
「マホにもう少し話を聞いておけばよかったね。そしたらもっと探し様があったかも知れないし」
 僕は肩を竦めて苦笑する。打つ手なしと言った状況にゼロがうなだれている中、僕は昨日思い出していた神話のことを考えていた。国創りの神話。僕はどこかで聞いた覚えがあったのだ。それがどこだったか、必死に思いだそうとしていた時だ。
 聞き覚えのある声と閃きが同時にやってきて、僕は思わずハッとした。
「おぅ、また会ったな」
 声に振り向けばそこに、見慣れた彼の姿があった。ゼロが嬉しそうな声を上げる。僕は彼を見上げながら、口元を緩めて見せた。
「ここでお兄さんに会うのは、かれこれ三回目くらい、かな」
 そう言うと、件のお兄さん――僕らが良くお世話になってる人だ――が快活に笑った。
「そんくらいかもな。確か前回はお前らが蛍を探してた時だったか」
「そんなこともあったねぇ」
 思わすゼロと二人して、顔を見合わせた。もうだいぶ前の話になる。懐かしいねとゼロが言うので、僕も笑みを返した。
「ところで、お兄さん。一つお願いがあるんだけど」
 僕が突然にそう言うと、お兄さんは一瞬面食らった様な顔をして、だけれどすぐに苦笑を漏らした。いつも通りのことだなって彼が笑うので、僕らも思わず苦笑する。
「聞かせて欲しい話があるんだ。確か、あの話はお兄さんから聞いたはずだから」
「いいけど、何の話だ?」
「国創りの神話の話だよ」
 そう答えるとお兄さんは、得心した様に頷いた。
「よく分かんねぇけど、分かったよ。所々うろ覚えだから、間違ってたらごめんな」
 そう言ってお兄さんが話してくれた神話。二人の少年が、丘の上に国を創る話。元々二人で暮らしていた少年達は、ある日思い立って国を創り始める。そうして出来上がった王国に、二人は王として君臨する様になる。
「その国はやがて街になり、今でもこうして残ってるってわけだ」
 お兄さんは優しい声音でそう締めくくり、そう言えばと話を続ける。
「今朝方ニュースになってたろ、博物館のゴーレムがいなくなったとか」
「あぁ……そう、みたいだね」
 その答えを知っている僕らには、曖昧に返すことしかできない。お兄さんは気にせず話を続ける。
「今はいないからともかくだけど、そのゴーレムも国創りの時に生み出されたって話だ。何でも、心を持っていたとかでな」
「……心、ね」
 マホのことを思い返しつつ、僕は思わずゼロを一瞥していた。心を持ったゴーレム、か。
「王の一人は魔法の様な力を持っていたと言われてる。もし興味があるんだったら、博物館にも行ってみるといいんじゃないか?」
 それじゃあな。そう言い残して、お兄さんは僕らの元を後にした。ゼロの方を見やる。ゼロは首を傾げて、不思議そうに僕を見ていた。
「……今日は帰ろうか」
 マホが待ってる。そう言うと、ゼロは嬉しそうに頷いて見せた。二人して持ってきた本をしまうと、そのまま帰路に就いた。
 家に帰るとマホは朝と同じ位置で体操座りをしていた。僕らの帰還には気づいた様だが、動こうとはしなかった。
「図書館に行って調べて来たよ」
 マホのこと。そう言って今日分かったことを説明する。大体はお兄さんに教えて貰ったことだけど、少なくともこの街には、マホの言っていた様な話が神話として残っている。そうして、マホの言っていた様に、王様の一人は不思議な力を持っていたらしい。心を持つゴーレム。それを生み出したのは、王様の一人だった。
「神話は本当だったみたいだね」
 そう言ってゼロがマホの身体を撫でる。マホがまるでつき従う様に頭を垂れるので、ゼロも苦笑しながらマホの頭を撫でていた。
 暫くそうしていたけれど、やがてマホは頭を上げて窓の外に視線を移した。おそらく彼の生きていた時代とは全然違うだろう街並み。それを、嘆いているのだろうか。
「……アノコロノケシキハ、モウノコッテナイノデスネ」
 残念そうな声がそう言い、マホがうなだれる。そのまま、「アノコロニモドリタイ」とだけ聞こえた。ゼロに目配せする。もちろん、それは無理な話なのだけれど。
 どうにか叶えてやりたいとは、思った。
「……僕らはまだ、知らないことがたくさんあるんだ」
 マホのこともそうだし、街のことも。だけれど、今最も調べるべきことは何だろうか。その答えは、僕の中で一つだけ、浮かんでいる。
「ねぇ、ゼロ。僕らはさ、心と魔法についてなら調べられるんじゃないかな。マホがどうやって生み出されたのか、僕らには調べる術があるんじゃないかな」
 どう思う? そうゼロに返すと、ゼロは口元に手を添え、考え込んでいる様だった。その目には少しだけ不安の色が見える。僕を見やり、「行くの?」とだけ告げる。
 大きく、頷いて見せた。
 心のこと。魔法のこと。調べてみなくちゃいけない。そうして、その答えを知るために最も近しい場所を、僕らは知っている。
「……いい、の?」
 ゼロの言葉にもう一度頷いて答える。ゼロも理解したようで、意思のこもった瞳を見せながら頷いた。そのまま小さな声で告げる。
「……ボク達の故郷に、行くしかないか」
 僕は小さく頷いて、それに答えておいた。
 心、そして魔法。それは僕らにとってはとても身近な言葉だった。僕ら自身が体験してきたこと。僕らの両親が、研究していたこと。
 ゼロの手をとった。飛び出して来てから、一度も戻っていない僕らの故郷へ。
 僕らは、帰らなければならない。

   *

「ずっと離れていた故郷なのに、何故だか今でも忘れられないんだよね」
 思い出を辿る様に、僕は話し始める。
 薄暗い街で僕らは生まれて、魔女と呼ばれた女と、どこかで名の売れた博士の下に育った。二人は仲の良い様には見えなかったけど、僕らの生みの親であることは変わりなかったし、彼らの手で僕らが育てられてきたのもまた事実だ。
 そうして、自分達の手でそれを終わらせてきたことも。
「僕らは彼らにとって、体のいい実験動物だったんだ」
 二人は僕らを使ってとある実験をしていた。それで僕らは彼らに未来を奪われた。だから僕らは、彼らから未来を奪い返した。
 言葉にしてしまうと、何とも味気なく、それでいてありふれた話だと思う。
「つまりあなた達は、自分の手で両親を……その」
 殺した、のですか? 長い廊下に彼女の澄んだ声だけが響いた。
 暫く何も言わないで歩いた。コツコツと足音だけが聞こえる中で、彼女も僕らも、何も言わなかった。
 口火を切ったのはゼロだった。
「ボクらは、彼らに殺されそうになった」
 それは何も僕らの両親だけの話ではない。僕らをモルモットにした両親も、あるいは学校に出た時に僕らをいじめていた子ども達も、等しく僕らにとっては忘れたい記憶なのだ。
「不躾な質問だったら、申し訳ないんですけど」
 そう言って彼女はいくつかのことを僕らに尋ねた。実験のこと。僕らの両親のこと。そうして、僕らが小さい頃、どんな風に生きていたのかということ。
 忘れてしまったこともあるけれど、と。ゼロと苦笑する。それでも、思い出せる限りで彼女の問いに答えた。
「僕らの両親は、それぞれに別々のことを研究していた。魔女……僕らの母親は『魔法』のこと。そして、博士は『ココロ』のこと。二人が研究していた内容は、僕らの身で持って裏付けがなされていった」
「それに耐えられなくなった頃、ボクらは魔女を殺した」
 淡々と告げるもんだからさぞや不気味がるだろうと思ったけど、彼女は割合平然としていた。そのまま続きを促す素振りを見せていたので、僕は肩を竦めて見せる。
 実に肝の据わった女性だなって思う。
「……魔女が死んだことを知って、博士は取り乱していた。僕らが魔女を殺したんだと知ると、僕らにあるモノをけしかけた」
「それは、一体何だったんですか?」
 僕らは一瞬言葉に詰まって、顔を見合わせた。少しの間悩んでから、それでもやはりそれ以外の表現が浮かばなくて、「怪物」とだけ告げる。
 怪物、と彼女が反芻した。
「何にせよ、僕らは自分達を護ることで必死だった。その結果博士もその怪物も殺してしまったんだ」
「あなた達二人が、ですか?」
「意外でしょ?」
 僕が軽口のつもりでそう返すと、彼女は神妙な面持ちで頷いた。僕はそれに苦笑して見せてから、話を続ける。
「……それで、最後の質問だ。小さい頃、どうやって生きてたのかって聞いたよね。その答えはさ、実はあまり覚えてないんだよ」
「と、いうと?」
「忘れちゃったんだ」
 そうだよね、とゼロに投げかけると、ゼロも同じ様に首肯してくれた。これは嘘偽りなんかじゃなくて、実際僕らは小さい頃のことをあまり覚えてはいない。
「ただ記憶にあるのは、ボク達はいつも一緒に生きてきたってことだけ。食べるのも、出かけるのも、あるいは本を読むのも一緒だった。それだけは覚えてる」
「そうして、ゼロは物語が大好きだった」
 僕がそう言うと、ゼロが少し照れくさそうにはにかんだ。彼女がそれを見て、少し表情を和らげた気がした。
 何となくだけど、嬉しくなる。
「……そういえば、今になって思い出したことが一つある。僕はこの街の神話を、お兄さんの口から聞いたと思ってた。だけど、冷静に思い返してみると、違ってたんだよ」
「そう、ボクも忘れてた。けど、確かに小さい頃、家に会った本でそんなことを読んだ気がするんだ」
「神話……というと」
 二人の王の話ですか、と彼女が聞いた。僕らはそれに首肯して、国創りの神話を復唱する。
 二人の王が国を創り始めたあの話を、僕らは小さい頃から、知っていた。
「……何で、その話が僕らの家にあったのか」
 それはまだ分からないんだけどね。僕はそう話を締めくくった。



『博士と魔女の話』

 汽車が到着したのは灰色の空の街だった。降りたって見て、再度確認する。暗い街だ。もう来ることはないと思っていた街に、初めて帰って来た。何の感慨もなく、淡々と。
「……あまり目立ったりもできないし、早めに終えてしまおうか」
 僕の声にゼロが頷き、そっと口元の襟巻を上げた。
 駅を出て真っ直ぐ商店街が続く。小奇麗な通りから少し中に入れば、薄汚い酒場や子どもの入ってはいけない店まで様々な商店が並ぶ。その通りを抜けると、郊外へ続く一本道がある。田園風景を両側になだらかな丘陵地帯となっていて、僕らの家はその先にあった。
 変わらない景色を横目に歩けど、特に感慨らしいものも浮かんでは来ない。僕らは道行く人々に顔を見られない様にだけ注意しながら、家の場所へと急いだ。
「全然、変わってないね」
 感情のこもらない声でゼロが言うので、僕は小さく首肯しておいた。
「まるで元の世界に戻ったみたいだ。ボクらの家も、変わらずにそこにあるんじゃないかって、そんな気すらしてくるよ」
 冗談めかした声音の裏には、少しだけ自嘲の色が見て取れる気がして。僕はありえないと分かっていながらも、短く笑って見せた。
 僕らの家は、僕らがこの街を出る時に壊していった。そしてその地下に、僕らの目的とするものがある、はずなのだけれど。
 街の変わらなさに思わず、そんな妄言すらもありそうだと――
「――ぁ、れ」
 そう思った矢先、僕らの視界に不思議な物が映った。一瞬見間違いかと思ったけれど、そんなことはなくて。思わず駆け出した僕らの目には、確かにその姿が浮かび上がっている。
 僕らが、壊したはずの場所に。
 新しく、家が建っている。
 そっと、窓から中を窺った。子どもの姿が見える。二人の少年の姿。同い年なのか、背丈も顔つきもあまり変わらない二人の少年が、母親らしき女性に寄り添って座っていた。母親は慈しみの笑みを浮かべながら、子ども達の頭を撫でていた。
 思わず、魅入ってしまった。それが何故だか僕らには上手く説明できないけど、僕らは暫くの間、その家族から目を離せないでいた。
(……僕らがいなくなった場所で、また新しい家族が新しい『家』を築いている)
 その事実が、何故だか少し寂しかった。
「……行こう」
 ここにいても、どうしようもないだろう。そう言うと、ゼロも押し黙ったまま頷いてくれた。そっと手を取る。ギュッと握り返す力があった。
 拒もうとは思わなかった。
 歩き始めようとした、その時。
「動くな!!」
 いきなりの怒声が響き、咄嗟にゼロの前へと踏み出る。両手を軽く上げながらも、そっとゼロを後ろに押しやった。
「怪しい奴らめ……ここで何してた」
 声の主は僕らより少し大きいくらいの背丈で、少し掠れた声をしていた。その手には銃と思しき物が握られており、僕らの方に向けられたまま動きそうにない。
 目深に被った帽子の所為でよく見えないが、おそらく相手は僕らとあまり年の離れていない子どものようで。僕は、少しだけ警戒を緩める。
 相手を刺激しないように、できるだけ落ち着いた調子で返した。
「何もしてないよ。ただ、この場所に以前とは違う家が建っているなと思ったから、少し気になっただけさ」
「ホントか? 何も盗んだりしてねぇだろうな?」
「そう思うなら調べてみる?」
 僕がそう返すと、少年は「いや、いい」とだけ言って首を振った。
「どうせ調べさせるとかいう名目で俺がお前らの身体に触れたら、次の瞬間にはもう一人に殴られてそうだからな」
 思わずゼロと目配せし、肩を竦めて見せた。
「手荒なことはしないよ。君がここから出ていけと言うなら、僕らはそれに従うさ」
「……今すぐにでも立ち去れって言いたいのは、山々なんだがよ」
 そう言いながら少年は、ずいっと身体を寄せ、僕らを交互に見やった。帽子の下の顔が露わになる。ゼロが小さく「あっ」と声を漏らした。
「お前ら、どっかで――」
 彼が僕の顔をじっと覗きこんだ次の瞬間。
「行こう、O2」
 服の裾を強く引かれ、僕はゼロの後ろを駆けだした。僕は一瞬状況が掴めなかったけど、すぐに真意を理解した。
 彼は、昔僕らをいじめていた内の――
「おい、ちょっと待て!」
 再びの怒声。ゼロはそれにも構わず走り続ける。よほど会いたくなかった相手だろう。かくいう僕も、望んで会いたい様な相手ではない。
 だけど、今は状況が違う。
「ゼロ、大丈夫だよ、大丈夫だから」
 止まって。僕はそう言いながらゼロの手をギュッと引いた。ゼロはなおも駅に向け走ろうとしたけれど、僕に力で敵わないと知っているから、やがて抵抗を止めた。その間に先ほどの彼が僕らの元まで追いついてくる。
 肩で息をする彼を一瞥し、再確認した。やっぱり、彼は昔僕らをいじめていた連中の一人だった。確か、仲間内ではロケットとか呼ばれていたっけ。
 ゼロを見やる。視線を逸らして誰も見ようとはしていなかった。そっと引き寄せ、耳打ちした。
「……家がなくなってる以上、あの家のこと、誰かに聞いてみるしかないよ。だったら、丁度良いから彼から聞きだしてしまおう」
 ゼロはなおも僕の方を見ようとはしない。僕は小さくため息を吐くと、ゼロの手を取ったまま追いかけてきた彼の方を向いた。
 ようやく息の整ってきたらしい彼は、少し悪態吐きながら僕らの方を睨んでいた。
「何で、いきなり逃げたんだよ……ますます怪しいぞ、お前ら」
「ごめんね。だけど、後ろめたい所があるのは、お互い様かも知れないよ」
「あぁ?」
 僕の言葉の意味がちゃんと彼に伝わる様、僕はそっと顔を覆っていた襟巻を解いた。彼の顔に一瞬驚愕が浮かぶ。覚えていたんだ、と言ったら、彼は口をひくひく動かすだけで何も言わなかった。
「久しぶりだね」
 努めて感情を殺した声で言ってみたら、彼が後ずさった。じりじりと歩み寄れば、それだけ後退する。キリがないなと足を止めたら、彼も動くのを止める。怖がられているのだろうけど、それも仕方ないなと思った。僕らはこの街では、ただの人殺しだ。
「聞きたいことがある。良ければ教えて欲しい」
 彼の返事はなかった。気にせず続ける。
「僕らの家、新しい家が建ってた。昔あそこには地下室と、子ども部屋の様な所が残されていたはずだ。そこにあった本や書類がどこに行ったか、心当たりはないかな」
 流石に知らないだろうかと思っていたら、ロケットの口からは予想外の返答があった。
「……それだったら、大体は警察が持ってっちまったよ。今は市警が保管してるはずだ」
「……そう、なんだ」
 押収されてしまった、ということだろうか。元々望み薄ではあったけれど、これでさらに目標が遠のいたことになる。
 忍び込みでもしようかと考えていたその時、ロケットが再び声を上げた。
「それ、どうしても必要なのか?」
「……そう、だね。少し確かめたいことがあって、その為に一度目を通しておきたかったんだ」
 流石に厳しいかな。そう続けたら、ロケットが「だったら」と言った。
「だったら……俺が、調べてくるよ」
「――……は?」
 突拍子のない申し出に思わず間の抜けた声が上がった。ロケットが罰の悪そうに目を逸らす。
「……信じてくれ、とは言わねぇよ。だけど俺さ、その……お前らに、謝りたかった」
 あの時はごめんと、ロケットが言った。
「お前らが学校来なくなって、そんである日突然いなくなったって聞いた時、何だか分かんねぇけど動悸が止まなくなった。お前らの親も死んでたし、お前らの姿はなかったから……どっかに連れ去られたんじゃないかって、心配で」
 その時僕は、一つ勘違いをしていたことに気付いた。
「謝る機会がもうないんだと思ったら、すごく押しつぶされそうな気になった……何てことしちまったんだって、取り返しつかない気になって……」
 僕らはこの街で、殺人犯になっているわけではないのだと。
 行方不明として、扱われているだけなんだと。
 そんだからさ、と。ロケットが懇願する様に僕を見つめた。
 その瞳だけは、嘘偽りのない物だって。
 僕にはそう思えた。
「お前らにしちまったことの、償いを――」

 汽笛が鳴り、汽車がゆっくりと走り始める。車窓から見える景色を頬杖つきながら眺めては、小さくため息を吐いた。
「……何とかなりそうで、良かったね」
 少しだけ目の下が赤いゼロが、それでも嬉しそうに笑う。僕もそれに苦笑した。不幸中の幸いというやつ、だったのかも知れない。
 ロケットにはあの後、僕らが今暮らしている街のことを伝えた。どこに住んでいるかまでは言わなかったけど、ある場所まで約束したものを送ってもらうことにしたのだ。
『絶対、送るからな』
 待ってろよ。そう言うロケットの目は、僕らに対する罪悪感とともに、強い意志を感じさせてくれるものだった。
(だからこそ、信じてみようだなんてね……)
 僕はどこか、おかしくなってしまったのかも知れないけれど。
「あの街、あまり変わってなかったね。空が灰色なのも、道が汚いのも、昔のままだった」
「そうだね。あまり、変わってはいなかったね」
「だけど、ちゃんと変わってるものもあった」
 ゼロが呟く。僕も頷いてそれに答えた。そうだ、変わっているものもたくさんあった。僕らの家はもうなくなっていたし、僕らをいじめていた輩も、少しは減っているのだろうと思う。
「……僕らは昔、あの街で未来を奪われた」
 『ココロ』の研究をする博士と、『魔法』を使う魔女によって。マホに出会ってからその組み合わせを強く意識する様になった。ココロと、それを呼び起こす魔法。あの怪物にもココロがあったのかなって、ゼロが言った。博士が作り上げた、怪物。
 僕は分からないとだけ答えた。
「分からないし、あまり進展はなかったけど、一つだけ分かったことはあったよ」
「……うん。そう、だね」
 ゼロが満足気に笑う。僕もつられて、笑みを零した。

   *

「まだ暫く、故郷に戻ることはできそうにないかな」
 僕らは今いる場所でやるべきことがあるし、何より今住んでいるこの街のことが、僕らは気に入っている。自分達の家のことも、あのお兄さんを始めとして、僕らを助けてくれる人達のことも。
 等しく大好きで、だからこそ離れたくはない。
「だけれど、あの街にボク達のことを気にかけてくれていた人がいた。時間を経て変わった人がいた。今さらだったとしても、それがボクは嬉しかったよ」
 いつか戻りたいね。ゼロがそう言うので、僕もそれに賛同しておいた。
 いつしか僕らの横を歩くようになっていた彼女は、それでも複雑な表情をしていた。
「戻っても、その……居場所がないのだと思うと、やるせなくなりますね」
 僕らの家のことを言っているのだろうと、すぐに分かった。
「例え人は変わるとしてしても、あなた達を傷つけた街はそう簡単に変わりはしません。まだ暫くは、時間がかかるでしょうね」
「ほとぼりが冷めるまでは、ね」
 何より、両親の突然の死から姿をくらましていた僕らが、何の前触れもなく帰ろうものなら、それはそれで目立ってしまいそうで忍びない。
「期を見て帰る気持ちが生まれただけ、良かったよ。ずっとこの街で暮らしていようって思ってたくらいなんだから」
 そう言いながら、僕はお兄さんやこの街で出会った人達のことを思い出していた。そうしてロケットのことも。あの頃の僕らは自分を護ることに必死で、周りを見る余裕なんてなかった。
 だからこそ、思うこともあって。
「……僕らがすべきだったのは、分かってもらう努力、だったのかも知れないね」
灰色の空を思い返して、僕は深呼吸を一つ。ゼロが向こうで笑っているのが見えた。



『小さな約束の話』

 マホの体調が崩れ始めたのは、それから一週間近く経った頃のことだったろうか。
 故郷から帰った僕らを、彼は変わらぬ態度で迎えてくれた。部屋の隅っこで、身動きすらあまり取れない場所だ。文句の一つでも言っていいのに、マホはじっとそれに耐えてくれていた。
 だけど、違った。マホの身体は少しずつ弱り始めていた。その理由が何かも分からぬほど、ゆっくりと、だけど確実に。
 ある晩、マホは僕らにそれを打ち明けた。
「モウ、ワタシハナガク、イキラレマセン」
 それがなぜかを聞いても、マホは答えてくれなかった。代わりに自分の死期が何時なのかだけを告げる。僕らはどうすればいいか彼に尋ねたけれど、それにもマホは答えてくれなった。
「……昔の景色が見てみたいって、前に言ってたよね」
 俯き気味なマホにそう問いかけると、マホは小さく頷いた。ゼロが不安げな面持ちでこちらを見ている。僕は少しだけ逡巡しながらも、この間から考えていたことを打ち明けることにした。
「図書館で調べ物をした時、街外れにある小さな遺跡のことも、少し調べてみたんだ」
 有り体に言ってしまえばとても地味な遺跡。今となっては人の出入りも少ないとかで過疎化しているらしいが、マホがそこで見つかったことは以前から知っていた。その遺跡は、マホの生きた時代にあったものなのだろう。
「君が望む景色と同じとは思えないけど、少しでもその面影が残っていると思う。それで良かったら、今晩行ってみないかい?」
 苦肉の策だった。ただでさえ外に連れ出すのは人目があって危険だから。それでも、徐々に力を失いつつあるマホを、そのまま見過ごすわけにもいかない。
(もし、マホの中に残る魔法の力が消えかけているのだとすれば……)
 何も不思議なことはない。むしろこの時代までよく残っていたと言うべきだ。マホを動かすエネルギーみたいなものが切れかかっているとしたら――だから、先は長くないと言ったのだとしたら。マホはまた、元の『石像』に戻ることになる。
 ゼロを一瞥した。泣きそうな笑顔が僕を見る。やろうって、言ってくれているのだと思えた。マホの為になるかは分からないけど、僕らが今できることはそれくらいしかない。
(ロケットからの返事は、まだない)
 この一週間近く、僕らはロケットからの返事を待ちながらもできることをしてきたつもりだ。マホともたくさん話して来たし、お兄さんや街の人に話を聞きにも行った。それでも特に進展はなくて、何か手掛かりを探すにしても手詰まりな状況だった。
 だから僕は、マホにこの投げかけをする。
「……君が決めてくれればいいよ、マホ。今夜、僕らと外へ『遊び』に行かないか?」
 そう言って僕とゼロは二人して手を差し出した。マホがじっと僕らを見下ろしている。その手がそっと動いて、僕らの手に優しく触れた。
「……ありがとう、マホ」
 僕らが笑うと、マホも優しく微笑んだ気がした。
 
 深夜、僕らは活動を開始した。
 人目についてもすぐにはバレぬ様、マホの身体には外套を被せておいた。周りの家々が眠りに就いた頃、僕らはそっと家を出る。空は晴れているけれど、少し雲があるからそこまで明るくはなかった。
 マホと一緒に歩くのは、出会ったあの日以来になる。あの日はひどく慌てていたから、そのままマホを連れ帰ってしまったけど。今になって思えばもっとまともな手段があった気がしている。
(今さら言っても仕方ないけど、さ)
 僕の後ろを歩くマホは、その肩にゼロを乗せている。ゼロの少しだけ伸びてきた髪を風が撫でている。マホと何か話をしている様で、ゼロの表情は柔らかい。マホが家に来てから、ゼロとマホは本当に仲良くやっている。
(……大切な友達ができたから、良かったって)
 思えればいいなと、僕は感じた。許されることをしているつもりはないけど、それも今さらだ。僕にとっては、ゼロの突拍子もない計画から、不思議な友達ができたことが嬉しい。それでゼロが喜んでくれているのだから、余計に。
 本人にそんなことを言うつもりは、毛頭ないけど。
「……もう少しだよ、マホ」
 見えてきたその姿に、ゼロが優しく囁いた。マホもそれに頷いている。「タノシミデス」と掠れた声が聞こえ、マホの状態を改めて痛感した。
 雲の切れ間から月明かりが注いで、今は亡き文明の姿を照らした。今となっては廃墟となってしまっているけど、ここが昔君のいた場所なのだと、マホに説明する。
 マホが懐かしそうな声を上げた。
「カタチハナクナッテシマッテモ、ヨクオボエテイマス。タシカニコノバショデ、ワタシハイキテイタ」
 そう言ってマホが一人歩き始める。僕はその背中を見送り、ゼロも僕の隣でその後ろ姿を見つめていた。一緒に行かないのかと聞けば、暫くは一人にしてあげたいのだと言う。
「……色々、聞いてみたいことはあるよ。だけど、今はそっとしてあげようって。マホが自分の生きていた場所をちゃんと思い出して、噛みしめてから、ボクらは彼のそばに行ってあげればいいと思うからさ」
 大切な思い出を踏みしめてね。ゼロがそう続けるのを聞きながら、僕は再びマホの背へと視線を戻した。
(……大切な思い出を、ね)
 マホの持っている記憶。二人の王と、動く人形達の国。王の一人でもあった主は魔法を使い、彼に生を与えた。その時代から、既に千年以上の時を経ている。マホは、この場所で彼の思い出を見つけられるだろうか。
 そんなことを考えた時のことだ。遠くからマホの呼ぶ声が聞こえて、僕らは思わず顔を見合わせた。
「何かあったのかも。行ってみよう、O2」
 ゼロがそう言って駆け出すので、僕もそれに続く。マホは奥の、神殿の様な造りになっている場所で僕らを待っていた。駆け寄って見れば、マホの手は一つ、台座に掛けられているのが分かった。
「ココデヨク、アノカタトハナシマシタ」
 マホはそう言い、「ワタシヲウミダシテクレタ、アノカタト」と続ける。ぽつぽつと聞こえるマホの話は、この間聞いたものと違わず懐かしさの色を帯びている。
「アノカタハ、イロイロナハナシヲシテクダサッタ……アナタタチモ、ソウ。ワタシニタクサンノハナシヲシテクレマス」
「ボク達のこと?」
 ゼロがそう聞き返すと、マホが小さく頷いた。僕らは思わず顔を見合わせる。ゼロが苦笑した。
「マホにとって面白い話だったかは分からないけど……この何日か、一緒にたくさん話をしたよね」
 僕が寝ている時や、出かけている時にも、ゼロはよくマホと話をしていた。僕が起きるより早く起きて、眠ることのないマホと話をしたりして。確かにゼロは、以前よりも楽しそうに笑う。マホと一緒に生活できるのが、彼と話をできるのが、すごく嬉しそうに。
 僕はそんなゼロを見られるのがとても嬉しい。
「ボクはマホの話を聞くのが好きだった。ボクから話せることなんてそう多くはなかったから、いつも聞かせて貰うばかりだったね。マホの言う王様みたいに、君に多くを話すことはできなかった」
 ごめんねとゼロが言う。マホはそれに目を細めるだけで、何も言いはしなかった。そのままゆっくりとゼロへと歩み寄って左の手でゼロの頭を撫でた。
「……サイゴニ、オウサマタチノコト、モウイチドアナタタチニオハナシシマス」
 さいごに、というところは聞こえなかった振りして、僕らは頷いた。マホの口から再び語られる王様の話。
 マホは切り出しに、僕らの話した神話について触れた。
「アノハナシニハ、タリテイナイトコロガ、アルノデスヨ」
 そうして僕らの教えた神話を復唱する。二人の少年が丘の上に国を創る話。元々二人で暮らしていた少年たちは、ある日思い立って国を創り始める。そうして出来上がった王国に、二人は王として君臨する様になる。そんな話だった。
 マホ曰く、それは少し間違っていて、大半の部分で正しいのだと。
 二人は元々同じ村で生まれた兄弟みたいなものであったが、村の人々に忌み嫌われて外に出てきた。片方が不思議な力を持っていたから、なのだそうだ。それはいわゆる魔法と呼ばれる類の力で、自分の寿命と引き換えに何かしらのモノに命を吹き込む力であった。
 その力があったために二人は村を追われ、二人で暮らしていた。もう片方は特別な力はなかったものの、戦いに長けていたのでもう一人を護っていた。
 元々この場所で暮らしていた二人が創り上げた場所なのではなく、二人が自分達を護るためにやってきたのがこの地だったのだそう。
「ソコニハ、ワタシノナカマガタクサンイマシタ」
 モノに命を吹き込む魔法で、二人の周りには多くの命が溢れた。マホの様なゴーレムは、力仕事をしたり王様を護ったりする役目を負っていた。その他にも小さな街の様なものを生み出したり、そこに住む人形を作ったりもして。二人が望む、賑やかな場所をそこに生み出していった。
「オウサマガ、イツモワタシニカタッテクレタノデス」
 マホは懐かしむ様に、それでも確かな口ぶりで、王様の言葉をなぞる。

――ぼくらは、自分達が安心して暮らせる場所が欲しかった。
――誰もぼくらの未来を奪ったりしない。
――そんな『理想郷』みたいなところを、創りたかったんだ。

 少しだけ、ドキッとする。思わずゼロの顔を窺い見たけれど、ゼロは真っ直ぐマホを見つめているだけで、何も言いはしなかった。
 だから僕も、何も言わずに聞くことにした。最後まで、マホの話を。
「……ヤガテ、オウサマハナクナリマシタ。タクサンノイノチニカコマレテ、イキヲヒキトリマシタ」
 マホが言っていた。王様の魔法は、自分の命を削る力なんだって。だとすれば、王様は周りの人形を生み出した分だけ、自分が生きる力を失っていったことになる。
 それで本当に良かったのかなって、僕は一瞬思った。
「ヤガテ、ノコサレタオウサマモナクナッテ、ワタシモホドナク、ナガイネムリニツキマシタ」
 そして、今僕らの目の前にいるのだと。そこで話を終えて、マホはもう一度ゼロの頭を軽く撫でる。
 そうして次に、僕の元まで歩み寄って来て小さくこう告げる。
「アナタタチハ、アノカタタチニ、ヨクニテイタ」
 ゼロにはその声が、聞こえなかったかもしれない。
「……ソロソロ、オワカレノジカンデス」
 その声に、ゼロが真っ先に反応した。マホに抱きつき、「いかないで」と懇願するけど、マホは首を横に振るだけだった。
「オウサマカラ、イワレタノデス。アノカタガサイゴニイッタコト。ワタシ、チャントオボエテイルンデスヨ」
 たくさんの人形と、もう一人の王が見守る中で、マホの主だった王様は息を引き取った。まだ若かったそうで、周りの王も人形達もひどくココロを痛めたと言う。
 そんな王様が、最後にマホに遺した言葉。
「――『トモダチ』ガ、デキタラ。ボクタチノモトヘオイデ、ト」
マ ホはそう言いながら、抱きつくゼロの頭を優しく撫でる。ゼロの啜り泣く声だけが聞こえていて、僕はそれを見ていることしかできなかった。
「アナタタチニデアエテ、トテモウレシカッタ。イツカマタアエルヒヲ、タノシミニシテイマス」
 そう言って、マホはそっと台座の横に背を預ける。そのまま座りこんで、眠りの時を待っている様だった。ゼロはその間ずっと、マホの左腕にしがみついていた。顔を埋めて、きっと泣いているんだろうと思ったけど、僕からはその表情は見えなかった。
 それを優しく見ていたマホが、そっと開いた手で僕を呼び寄せる。僕はそっと彼に近寄り、彼の声に耳を澄ませた。
「――……うん、分かった」
 後で探してみるよ。そう言うと、マホは満足げに頷いて、僕の頬をそっと撫でてくれた。
「……おやすみ、マホ」
 またいつか。僕がそう告げると、マホは小さく頷いてそのまま動かなくなった。
 やがて、朝焼けが遺跡を照らした。白日の下で見たマホの顔は、初めて会った時よりもずっと穏やかな表情をしていたと思う。
 その手はずっと、ゼロの頬に触れていた。
 僕らはそのまま、崩れかけた城壁に、そっと寄り添う様、マホの動かなくなった体を置いた。
「……どうか、安らかな眠りを」
 そう願い一輪の花を手向けておく。
 紫色が鮮やかな花だった。

「……どうして、僕らは彼を目覚めさせることが出来たのかな」
 赤く目を腫らしたゼロが呟く。風通しの良い神殿の端、積まれた石段に腰を降ろしながら僕らは空を見ている。
「王様の魔法が、どうして今になって目覚めたんだろう」
 分からないことだらけだ。マホのことも、この街のことも。何より、僕らのことも。
 僕らにはどんな力が眠っているというのか。
「……それを確かめる術、心当たりがあるよ」
 僕がそう言うと、ゼロは真っ直ぐ僕の顔を見た。その目には確かな意思が宿っている様に見え、僕は小さく頷いて見せる。
 二人で、調べたいと思った。心を持ったゴーレムを見て。残されたもう一つの遺産――この遺跡に、隠された意味を。
 そして、それが僕らの生まれた意味すらも教えてくれる様な、そんな気がしていた。
 僕は立ち上がり、ゼロの手を取って歩き始める。マホが最後に僕に耳打ちしたことだった。台座の後ろにある床を、調べてみて欲しいと。
 ゼロと二人して探っていると、あの日マホが動き出した時の様に、キュインと音がして床の一ヶ所が光った。ズズッと鈍い音を立てながら床石の一枚が開いて。
 僕らはそこに、地下へと続く階段を見つけた。
「……どんな答えが見つかるか、分からない」
 それでも大丈夫かい? ゼロにそう聞いてみると、苦笑しながら頷いた。
「今さらだよ、そんなこと。二人で約束したじゃないか」
「……それもそう、だったね」
 僕らが昔交わした約束を思い出す。お互いが望むことを叶えるために、力を合わせあうこと。ゼロが知りたいと望むなら、僕はそれを叶えるために力になる。
 僕の中の、鉄の掟。
「それじゃあ、行こうか」
 マホのこと。僕らのこと。たくさんの疑問もきっと、この街の歴史に隠されているだろうって。答えがきっと、そこにはあるだろうって。
 今はそう信じるしかない。

   *

「――そうして、僕らは今ここにいる」
 広大な地下通路と、ランプを持った不思議な少女。マホの告げた秘密の階段の先には、謎だらけの景色が広がっていたのだ。
「僕らはここに、自分達が何者なのかっていう答えを探しに来た。マホが遺してくれた、たった一つの導なんだ。無駄にはしたくない」
 君は僕らの疑問に答えてくれるのかな? そう聞くと少女は、変わらぬ落ち着いた表情で小さく頷いた。僕らが同時に表情を緩める。それを見て彼女が笑った。
「お望みならば、私の知っていること、あなた達にお話しましょう。それが答えとなるかは分かりませんが」
 ですが、と彼女が続ける。
「ですが……それを語るには、膨大な時間がかかります。まずは先ほど申し上げました様に、私の家で休まれてはいかがですか」
「君の家というのは、どこにあるんだい?」
 かれこれ二十分近くは歩いている気がするが、彼女の言う家という場所には一向に着く気配がない。もうすぐですよと彼女が言って、手にしたランプをそっと暗闇に掲げた。今までずっと闇が続いていた通路の先に、初めて扉の様なものが見えた。
「この先が、私の暮らしている場所です」
 彼女が空いた手でそっと扉を押し、重苦しい音とともにその扉が開く。その先に見えてきた景色に、思わず僕らは言葉を失った。
「――これ、って……」
「きっと、あなた達が探していた場所です」
 彼女がそう言って招き入れたのは、ひどく広々とした場所だった。そこはある種の街になっていて、道にたくさんの人形達が闊歩している。その中にマホと似た形のゴーレムを見つけ、ゼロが声を上げた。もちろんそれはマホではないのだけれど、姿形は全く同じ石像だった。
 暫くの間何も言えずにいた。マホと同じ様な人形達は、今もまだその生を保ち続けているというのだろうか。呆気にとられる僕らに、彼女が変わらぬ声音で告げる。
「……あなた達の探していた魔法。その答えは、きっとこの街の中にあります。そうしてその答えはきっと、あなた達の生まれにも関わる問題なのだと、私も思います」
「……君は、一体」
 何者なの? そうゼロが聞くと、彼女は優しく微笑んで見せて。
「……私はこの地下都市でずっと守人をしている家系のものです。そして」
 そのまま、迷いなく僕らにこう告げた。
「創成の王の末裔、です」
 
 ――小さな冒険がやがて大きな非日常の連鎖になって、僕らを飲みこんで行くだろう。今まで考えてこなかったことも、封じ込めてきた思い出も、もはや避けて通ってはいられない。
 だから僕らは、前に進むための選択をするのだ。自分達がしてきたことも、大切な友達のことも、ずっと忘れずに、覚えているために。
 そうして、立ち止まらずに生きていくために、僕らはいつだって探し続けるのだ。僕らの生きる意味をずっと、二人で力を合わせながら。
 それが僕らの、希望なのだから。

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