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Prologue

 カンカンカンと、無機質な音が鳴り響く。おぼろげな光に照らし出される足場はとても狭くて、ついつい後ろを確認してしまう。そこには変わらずゼロの姿があって、僕はまた安堵を胸に歩き出す。
「流石に、てっぺんまで行くのは無理があると思うんだけど」
 どうする? そう尋ねると、ゼロは「行けるとこまで」とだけ答えて、僕の背中を軽く押す。元気だなぁと少し呆れながらも、僕は彼の期待を裏切るつもりはないから、また無機質な音をあげて進む。錆びれたレールは軋む音を立てながらも、まだその役目を終えはしない。彼を乗せることはできなかったし、僕らもそれに乗ることはできなかったけど、こうして別の形で楽しむことはできる。
 レールの上を歩きたいとゼロが言いだしたのは、あの宴の夜のすぐ後。彼を病院に送り届けた頃だった。
『少し、やってみたいことがあるんだけど』
 それは何だいと僕は尋ねる。ゼロが答える。ジェットコースターの、レールの上を歩いてみたい。
『……どうかな?』
 どうかなと聞かれてもと内心思いながら、どうしてそんなこと考えたのかと聞き返した。昔何かの本で見たからだとゼロが答える。またかと思いながら、それでも僕は『いいね』と言った。
 家からカンテラを持ってくると、とうに人気の失せた遊園市街にもぐりこんだ。先ほどまで活気を放っていた遊具たちもその光を失い、また再びの沈黙に耽っている。もう、動くことはないのだろう。
 僕らは真っ直ぐにジェットコースターを目指し歩いた。片手にカンテラ、もう片方の手にはゼロの手を握りながら黙々と歩く。ゼロが高揚しているのが手の温かみからも伝わってくる。相変わらず彼は無邪気だ。
「危ないことしようとしてるのに、怖くないのかい?」
 からかうように僕が聞くと、ゼロは口を尖らせながら僕の手を強く握りしめた。少しだけ痛みに顔を顰めつつ、横目でゼロの表情を窺う。少しだけ不機嫌そうな顔が僕を見る。苦笑。そして、破顔。
「そりゃ、怖くないって言ったら嘘だけどさ」
 きつく結ばれた手が緩くなり、優しく僕の手を覆った。
「O2が一緒だから、大丈夫だよ」
「――……あー、うん」
「守ってくれる約束だもんね」
 いつのことだと思いながら、僕は何とはなしに目を逸らす。もう眼前にはジェットコースターが差し迫っている。
「……まぁ、何にせよね」
 僕は君を守るよ。そういうとゼロは優しく笑った。

 ふと、小さな頃のことを思い出した。あれは確か、まだ僕らが幼かった頃の話。故郷の街から少し離れた場所に、こんな感じの遊園地があった。幼少の僕らは、博士に連れられてその場所を訪れたことがある。
『父さん、次あれ乗ろう』
『あ、ずるいぞ! 父さん、僕と一緒にあれ乗るんだよねっ』
 その頃はまだ博士のことを父さんと呼んでいた僕らは、父を取り合うようにして諸々の乗り物に乗った。コーヒーカップにメリーゴーランド、そして締めにはやはり観覧車に乗って。見なれた街がオレンジに染まる様子に心を震わせた。
『綺麗だね』
 それは夢のような時間だった。観覧車が一周する短い間に、僕とゼロは自分の家を見つけ、街を眺め、そうして、優しげに僕らを見守る博士を見つけた。思い出にある優しい景色に、今同じように暗がりの街を見下ろす僕も何となく頬が緩む。とうに忘れたはずの、大切な思い出だ。
「あの頃は乗れなかったんだよね」
 隣に立つゼロがボソッと呟いた。すぐにそれがジェットコースターのことだと察しがついた。理由は簡単。まだ幼かった僕らは、身長が足りていなかったのだ。
「それ以来遊園地には行ってなかったから……」
 二人で来るのは初めてだ。ゼロが嬉しそうに言った。
 カンテラ片手に、僕は再び歩き出す。カンカンと寂しげな音を立てるレールを辿りながら、そっとゼロの手を後ろ手に掴んだ。ゼロが嬉しそうな声をあげる。少しだけ、照れくさくなった。
「いつかまた、二人でさ」
 ジェットコースターに乗ろう。暗がりの中で、僕らは一つ約束をした。
 やがて道は頭頂を迎える。初めはあまり乗り気でなかった僕も、その頃にはだいぶ高揚していて。二人で暗がりの街を見下ろしながらそっとレールに腰かけた。
「何も見えないね」
 ゼロが言う。まだ街は寝ている時間だ。ちらほらと疎らに浮かぶ明かりの他には、何も照らす物はない。
 街はまだ、眠っている。
「……そろそろ、一カ月経つんだね」
 この街に来て。ゼロがそう言ったので、そうだっけと返した。
「初めはこんなに、長居するつもりはなかったんだけどなぁ」
 列車での旅を思い出しながら、僕はそういえばそうだったかなと思い返す。偶々駆け込んだ列車が導いてくれたのは、時計台の綺麗な小さな街だった。そこで僕らはたくさんの人に出会った。たくさんの優しさを知った。
 昔の僕らを知らない人に、こんなにも――……。
 思わず、ゼロの手を握りしめた。
「? どしたの?」
 首を傾げにこちらを向くゼロは、僕の思いとは裏腹にとても穏やかな表情をしている。僕は少しだけ嬉しくなる。安心する。落ち着く。
 それはまさに、僕の望んでいた答えだ。
「……僕は、この街に来れて良かったと思うよ」
 ゼロが微かに、笑った気がした。

 不意に、僕らの目を光が覆った。いきなりのことに目が眩む。眩しさに目を細めながら徐々に開いていくと、僕らはその正体を知った。そう、日の出だ。
 どこかで鳥の声が聞こえる。それにつられるようにして、街に人の姿が現れ出す。あぁ、そろそろお暇の時間だ。僕は心の中で呟いた。
「さて、今日も一日」
 頑張りましょう。ゼロが快活な声をあげて、ニィっと笑って見せる。
「……とりあえず、まずは帰って寝る所から、かな」
 夢の時間はおしまいだ。僕はそう呟いて立ち上がる。
 隣でゼロが大きく伸びをした。



 朝日に照らされたレールの上で、僕らはもう一つだけ、約束を交わした。
 その約束が果たされた時、僕らはきっともう少しだけ、大人になっているのだと思う。

 



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