【ガリーナ・ノルシュトレーム】
【ガリーナ・ノルシュトレーム】
『今日はヒルボリ鉄道にご乗車頂き、誠にありがとうございます。まもなく惑星トナパに到着します』
男の音声が、ヒルボリ鉄道の中に響き渡る。音声を聞きながら、1人の女性は窓の外をじっと見つめていた。
窓からは、宇宙を見渡すことができた。暗い空間の中に、星や惑星が煌めいて見える他、ゴーモと呼ばれる宇宙船も飛び交っている。
長年運営されているヒルボリ鉄道だが、乗車数が年々減ってきており、女性が乗っている車両にもまばらにしか人がいない。
「あ、あのー···」
話しかけられ、女性は視線をあげた。そこにいたのは老年の女性だった。
「もしかして、ムットゥル賞を受賞した女の子じゃない····?」
老年の女性の言葉は、女性の知らない言語だったが、ラルによって自動的に同時翻訳されて女性の耳にも届くようになっている。
「···はい」
ガリーナ・ノルシュトレームは静かに頷いた。
賞を受賞して1週間、声をかけられることが多かった。ムットゥル賞は生物学の賞の権威として広く知られており、生物学に興味を持った日から憧れ続けた賞だった。受賞できたことを誇りに思うが、こうして声をかけられることは気恥ずかしくもある。
「そうよね!?報道で、あなたのこと観たの!とても···とっても、お綺麗で···こんな田舎の惑星に向かう鉄道の中にいるはずないと思ったんだけど、でも報道で観たあなたそのままだったし···!」
「···はぁ」
老年の女性が興奮したように話す。
そう、ガリーナがムットゥル賞を受賞した時、メディアはさんざん持ち上げてきた。
美少女天才科学者、登場!――と。
ガリーナ自身は本当に外見などに気を遣っていない。12歳の頃から大学に入学させてもらったが、学業にしか興味がなく、周りの女子のように着飾ったりもあえてしたことがなかった。
しかし、元々素材は良いのだろう。窓に映るガリーナの顔はひどく端正で、美少女と呼ぶにふさわしい外見でしかなかった。
輝かしい金髪は長く、紺碧の瞳は切れ長だ。少し目がつり上がって見えるため、見る人によっては強気そうな美少女と思われかねないだろう。ガリーナはあまり愛想が良いタイプでもないため、冷たい美人と評されることも多々ある。
ただ本人としてはぼーっとしているだけなのだが、今もどこか氷のように鋭い印象を人に与える。
「すごいのねー!お顔も綺麗で···頭も良くて···それにスタイルも良くって!うちのひ孫にも見習わせたいわぁ!」
「はぁ···」
ガリーナは眉をピクリとあげ、つい豊満な胸を腕で隠した。
シンプルな黒い衣服に身を包んでいるが、彼女はとても胸が大きかった。胸があり、しまるところはしまっているーー運動はてんでダメだが、何故かスタイルだけはずっと維持できている。たまに食べるのも忘れるぐらいに研究に没頭するからかもしれない。
『まもなく惑星トナパに到着します。左手には、惑星サゲスタンがご覧いただけます』
ちょうどガリーナのいる窓から、黒色の惑星が見えてきた。鉄道の音声が案内してくれた惑星サゲスタンだ。
「あら···惑星サゲスタンって、20年前にアクマが支配してた領地よねぇ。可哀想に···」
アクマ。
ガリーナの出身である惑星トナパと、惑星サゲスタンは隣同士であるため、サゲスタンの歴史も人並みには知っている。
鉱山の惑星として名高いサゲスタンを、あの悪名高いアクマが支配していた歴史は、確かにある。資源を獲得したかったのだろう。
「アクマって···あなたは生まれてないか、赤ん坊くらい?あの時代は本当に大変だったのよ。アクマの被害に遭う人が多くてね、私の知り合いも何人亡くなったか」
「はぁ···」
お気の毒に、とガリーナは思った。ガリーナの大学の友人でも、親族をアクマのせいで亡くしたという人は少なからずいる。
「英雄シオン・ベルガーが倒してくれて、本当に良かったわぁ。宇宙が平和になって」
アクマを倒したとされる英雄シオン・ベルガー。
アクマの名前を知らない者がいないように、また、彼の名前を知らない者はいない。
彼がアクマを倒してくれたおかげで、宇宙は平和になった。占領されていた惑星はテゾーロに返上され、今も穏やかな統治が続けられる。
「そうそう···噂では、地球が滅んだのも、アクマのせいだとかって話もあるじゃない?本当に嫌よね、アクマなんて」
「ーーーいえ、その話はおかしいですね」
老年の女性の言葉を、ガリーナは突如強い語調で遮った。
今まで生返事だったガリーナに対し、へ?と老年の女性は首を傾げる。
「アクマと言われているかの女性は19歳の時にテゾーロに反旗を翻し、軍を発起し、侵略行為を行ったとされています。その時、すでに地球が滅亡して9年。地球が滅びたのは···いわゆるアクマと言われた人の年齢は、10歳ほどです。年齢的に、いくら空想じみた存在のアクマであろうと、地球を滅ぼした時の年齢が10歳というのは、ファンタジーが過ぎますよ」
決して歴史はガリーナの専門ではないが、突如としてぺらぺらとガリーナは喋り始める。
何故ならガリーナは、現実主義者だからだ。
この神祖と呼ばれた地球人達が創った世界において、アクマという人種がいたということ自体に、疑いを持っていた。
「大体、アクマというのが非科学的過ぎますね。力がある、男を惑わす力がある、惑星を滅ぼせるなどと···科学の時代に、全く嘆かわしい話ですね。私はアクマの存在自体を疑いますね。かの20年前の事件の女性も、いわゆる空想のアクマという称号をつけられただけなのでは?」
「で、でも、あのアクマは···確かに髪が赤かったわよ?報道で、何度も私も見たもの」
アクマと呼ばれる種族の所以は、生まれながらにして髪が赤いことだ。
「それも嘘くさいんですよね」
ばっさりと、ガリーナは吐き捨てた。
「確かに生まれながらにして髪が赤いツークンフトなど存在はしません。···そう、存在しないんですよ。しかしアクマと呼ばれた人種の歴史を辿れば、アクマというのは代々血を受け継いでいる種族ではなく、普通のツークンフトから生まれて、髪が赤かった子供のことをアクマと呼称して、迫害している」
アクマの歴史で不可解なのは、そこだ。アクマは子供を作らず、1世代のみで人生の幕を閉じる者ばかりにも関わらず、地球人が宇宙を開拓してからの歴史で、おおよそ何百年に一度にアクマは生まれている。
「私は決してアクマの専門家ではありませんが、アクマって地球の中世で言う魔女狩りの魔女みたいな存在なのではないかと考えます。DNAで語られる訳でもない種族など、この時代で正式名称がないのもおかしな話ではありますがね」
べらべらと話すガリーナに、正直老年の女性は引き気味の笑みで応じた。
アクマを恐れることなく、アクマが現実離れした存在などと言うツークンフトは、滅多にいない。ガリーナの持論を、父や母も外では話さないほうが良いと言っていたが、ガリーナは自分が考えていることを話さずにはいられない質だった。
『惑星トナパに到着しました。お気をつけてご降車下さい』
アナウンスの声で、惑星トナパに到着したことに気が付いた。ヒルボリ鉄道は音もなく動き、音もなく惑星に到着してくれる。外の景色を見ていれば到着に気が付いただろうが、ガリーナは話すことに夢中になっていた。
惑星トナパは、地球戦争終結記念日の今日という日に祭りを行う。空には花火があがり、観光客も多く来ているようだ。移民が多い惑星だが、見たことがないような形の異星人達が外を歩いていた。
ガリーナは席を立ち、女性に軽く頭を下げた。
「すみません、つまらない話をしましたね。科学者の卵として、証拠がないものは信じないもので···お忘れください」
「え?あ、あぁ···いいぇぇ」
老年の女性は引き気味に笑った。最初は老年の女性の方が乗り気だったが、やっと話から解放されることにホッとしているようでもあった。
ガリーナは席を立つが――ふと、老年の女性を振り返る。
「すみません、一言だけ。私はアクマという種族の存在は信じませんが、被害に遭われた方がいるのだから、20年前の事件については···あの女性ことは遺憾に考えています」
一応、ガリーナは付け加えておいた。
20年前のアクマの事件で、アクマに味方をしたツークンフトも存在した。アクマはとても美しかったらしく、彼女の毒牙にあてられた者が多数いたのだとか。
アクマの事件から、たった20年しか経っていないのだ。アクマを信じる者は危ない、というのが今の一般常識である。
一般常識などどうでも良いが、念のためガリーナは付け加えた。
「あと個人的には、私が敬愛する科学者を、彼女が殺したことは許せませんね。もし彼女が殺していなければ、まだご存命でしたでしょうから」
これは極めて私的な意見である、とガリーナは思っていることだ。
「科学者?」
老年の女性が不思議そうに首をかしげる。
「ええ、ミヤ・クロニクル博士です」
アクマが殺したとされるテゾーロ、著名人、政治家は数多く存在する。ガリーナはきわめて個人的に、尊敬するミヤ・クロニクルをアクマが殺してしまったことを悔しく考えていた。
彼は神祖の血を継ぐテゾーロであり、宇宙連合の政治家であり、高名な科学者でもある。自分と同じ生物学のムットゥル賞を受賞したこともあれば、機械人形の賞も受賞している大物だ。
「ああ、あの――そういえば、あなたって···」
老年の女性が何かを言いかけたが、もうヒルボリ鉄道が惑星トナパから出発してしまう。慌ててガリーナは降りてしまった。女性が何を言いかけたのか、ガリーナは聞くことができなかった。
慌てて出た惑星トナパの空気は、とても懐かしかった。約1年ぶりになるだろう。いつもは静かなトナパだが、地球戦争終結という祭りで賑わうことすら郷愁を感じる。
血が繋がらない父と母と、姉と弟と過ごした惑星トナパに、夢だった科学者の卵として認められ、ようやく帰ってこれたのだ。