【レイフ・ノルシュトレーム】
【レイフ・ノルシュトレーム】
レイフは胸を張り、ふんっと息を吐く。
今週ずっと、会う人間たちに告げているセリフだった。友達は勿論、学校の売店で働く人々にまでレイフは自慢話をしている。
大好きな姉が、この宇宙で権威ある生物学の賞を受賞したこと。
幼い頃から遠い惑星の大学に通う姉が、夢だった科学者としての道を進み始めたこと。
誇らしく思わない訳がない。
「レイフ···ノルシュトレーム···」
青年は呟く。フードを深く被った青年の顔が、ちらりと見えた。彼の瞳が怪しげにきらりと輝く。
「知らねぇの?ムットゥル賞、生物学のすごーい賞なんだぜ!」
「いや、知っている。報道も見た···が」
青年は、ややレイフの気迫に圧される。
「あ!観た!?じゃあガリーナちゃんも観たろ!?めっちゃ美人なんだ!オレの姉ちゃん!美人科学者とか言われちゃっててさぁ!」
ムットゥル賞は、宇宙で権威ある賞だ。以前レイフはガリーナに直接説明を受けて知ったが、皆が知る権威ある賞らしい。
報道では彼女の顔が全宇宙のニュースに出た訳だがーーレイフにとっては、最大の自慢であった。
「そ、それはおめでとう···。だ、だが、まずは···助けてくれて、ありがとう」
「あ?」
「あの蛇みたいなやつから···」
青年はフードを深く被りつつ、倒れた大蛇たちを指差す。
あの蛇みたいなやつーーその言い方で、レイフは確信する。
彼はこの惑星の人間ではなく、ただの観光客なのだろう。
「ああ、あいつな。···あんた、あいつに攻撃か何かしただろ?あいつって一応自分から攻撃はしねーんだよ。攻撃されたら仕返ししないと気が済まねぇの」
「···確かに、不注意でカバディンでぶつかってしまった。ジャングルでの走行は、慣れてなくて」
カバディンというのは、青年が乗っていた馬型の移動機器である。都市部や、この辺境の惑星でも乗り回されている移動機器だ。
「何て言うんだ?あの生き物は」
「ペスジェーナ。この惑星だけにいる生き物だよ」
「···よく倒せたな」
彼の瞳が、怪訝に細められた。
「あ?ああ、まぁ···弱点知ってりゃぁ、簡単だよ。あいつは尾っぽに心臓があるんだ。狩りをする時も、誰かが囮になって追いかけ回されてる間に尻尾を狩るのが基本戦術だな」
昔から大蛇ーーペスジェーナを狩るとき、人々はそうして勝つしかなかった。レイフは地元民として知っていることを実践したまでだ。
「ふーん···。勉強になった。さすが軍人。強いんだな」
「あ?···ぁあ、そうだな。この格好じゃ、気づくよな」
レイフは失笑し、自らの制服をつまんで見せた。今日は故郷に帰郷するのだし、この格好でなくても良かった。
一刻も早く家に帰りたかったから、そのまま軍服で帰ってきてしまった。
「まだ正式な軍人じゃない。軍学校に通っているだけだし、オレ、あんま成績よかねぇし」
軍学校に通うレイフだが、成績は中の下だ。自分は実技でも学力でも、成績の伸びは芳しくない。同じ学校を卒業した姉と比較され、教官に怒られる日々だ。
『姉に守ってもらえると思って、甘えてるのか!?』
昨日も教官に怒鳴られたセリフを思い出し、心に影が落ちる。青年の前では表情に出せなかったが、強いと言ってもらえたことで、ついつい思い出してしまう。
「···だが、ペスジェーナを倒していた。俺は、君のおかげで助かることができたんだ。誇っても良いだろう」
へ?とレイフは、予想していなかったセリフに驚く。
昨日の教官の言葉を引きずるレイフにとっては、励みになる言葉だった。
青年はレイフの気持ちを察したのか。表情に出したつもりはなかったが、もしかして落ち込んでる雰囲気が伝わってしまったのだろうか。
「い、いやぁ!どうせペスジェーナを狩ろうと思ってたんだよ、オレ!さっき言ったオレの姉がペスジェーナ好きでさ!だから武器も持ってきたし···!」
「は?ペスジェーナが好き?」
「ああ!こいつの肝が珍味なんだよ!売ってるのを買うと、たけぇからさぁ!あ、肝以外は食えねぇよ?肝以外を食べると下痢が2週間続くからな」
照れ隠しに、べらべらとレイフは喋りながら、ペスジェーナに剣を突き刺した。
そうだ、早く解体しなければ。鮮度が良い肝を入手するために、わざわざジャングルの中に入ったのだ。
青年は、ペスジェーナを解体するレイフを横目に、倒されたカバディンを拾い上げる。
ペスジェーナの腹を切り裂き、レイフは手慣れた様子で肝を取り出す。自分の両方の手のひらに乗るくらいの肝は、緑色の血にまみれている。レイフも愛用のカバディンを持ってきており、持ってきていた冷却ボックスに肝を入れておく。
「···よかったら、街まで一緒に行かないか?」
あっという間にペスジェーナを解体し終わったレイフに、青年は声をかける。
「あ?あぁ、いいけどよ···道に迷ったのか?」
「まぁ、そんなところだ」
(道に迷うってこたぁ···ねぇだろ)
レイフは視線こそ動かさなかったが、遠い上空であげられている花火の音を聞く。
今日は終戦記念日である。街の方向では音が鳴っている。音を頼りに歩けば、街までは辿り着けるだろう。
(またペスジェーナに襲われたら嫌とか、そんなところだろうか?)
青年はレイフよりも年上だ。怖くて1人で帰れないなど、年下のレイフには言えないのかもしれない。
「いいぜ、一緒に行こう。ちょい待てよ」
レイフは剣を手から離した。
剣を手から離せば、最初からそこに存在しなかったかのように、剣は細かな粒子に分解していき、あっという間にレイフの前から姿を消していった。
「···ラルで、具現化していた武器なのか」
「ああ」
この時代、武器を物理的に所持するということは、まずありえない。
レイフの指にはめられた指輪型の小型デバイス、ラルは、通貨の支払いや管理のシステムであると同時に、誰かと連絡を取るための通信機器の総称である。昔は通貨なども物理的に存在したと聞くが、今や電子データでしかやり取りを行わない。
ラルには数多の機能があるが、武器の具現化もその1つだ。登録されている武器を具現化することができる。ラルにもスペックによって容量があるため、武器の登録数はデバイスにもよるが―――。
「それは···軍の指定の剣なのか」
ぎくりとした。確かに、軍から指定された武器はある。自分のラルにも軍指定の武器は登録されている。しかし、今具現化していた武器は違う。
『家で素振りに使うのは良い。外に持ち出すな』
父からきつく言われていたことだった。元々この剣は、父のものだ。家で素振りにだけ使うと約束をして、やっと譲ってもらうことができた。きっと父も負い目があったのだろう。父がずっと愛用していた銃は、姉に譲られた。自分に銃の才能がないからだ。
剣も決して扱いが上手い訳ではなかったが――銃より、遥かにマシだった。
(ペスジェーナを解体するのに丁度よかったんだ。人もいないジャングルなら見られることもないと思ったが···)
言い訳がましくレイフは思いながら、軽く笑った。
「···父さんの剣だよ。使いやすくてさ」
「父親の」
剣というと鋼鉄の剣を思い浮かべるが、この剣は形状こそ剣としての形をとっているが、かなり変わった見た目だ。
「そ、それよりさ···あんた、どこの人?何でこんな田舎の惑星に来たんだよ?」
この辺境の惑星にも、観光客は少なからずは来る。観光客が多いのは、やはり今日という終戦記念日だ。
「ああ、俺は···惑星レライリスーニャから···仕事でな」
「仕事?」
終戦記念日に、仕事でこの惑星に来るーーレイフはカバディンを自らのラルで起動させながら、怪訝に眉をひそめた。
「もしかして、ノホァト教の関係者?」
「いや、違う」
青年はすぐに否定した。
ノホァト教とは、この宇宙でただ1つの宗教である。
自分たちを創造した、地球人を崇める宗教。地球にはいくつかの宗教があったと聞くが、地球人から創られた自分たちは、ただ1つの宗教のみを信仰の対象としている。
「いや、地球からこんなに遠い惑星でも、今日とかはノホァト教の関係者が来たりするんだよな。地球人を崇拝する日だからなぁ」
レイフも決して熱心な信徒ではないが、学校教育で幼い頃からノホァト教の授業があるため、自然とノホァト教の知識は植え付けられる。
青年もカバディンに乗り、彼は彼のラルを起動させる。
「···君は、神祖様やテゾーロを崇拝してはいないのか?」
「あ?いや、さすがにツークンフトとして、それはねぇだろ」
ツークンフトとは、レイフや青年のような現代人を指す総称だ。
現代では、地球人から創られた異星人のことを、ツークンフトと呼ぶ。
そして放送の女性の声でも話されていた「テゾーロ」という単語だが、これはツークンフトが地球人によって創られた歴史と深く関係する言葉である。
1000年前、地球人は地球から宇宙に出て、数多くの惑星を植民地として支配した。
地球人は、惑星にいた原生生物と地球人を交配し、新たな人類を作ったのだ。それが、今のレイフや青年達のような「ツークンフト」と呼ばれる人類の始まりである。
ツークンフトを創った科学者や、未知の宇宙を開拓をした科学者達17人のことを、神様として崇める宗教が、ノホァト教。
偉大なる17人の科学者の血をそれぞれ受け継ぎ、惑星を治めるツークンフトのことを、テゾーロと呼んでいる。
代表的なのは、宇宙の平和を司る宇宙連合という組織の事務総長だろう。彼もまたテゾーロと呼ばれ、地球が滅んでしまった今、生き神のように崇め奉られている。
テゾーロは、神祖の血を色濃く受け継いでいることで、数多くの惑星を所有し、治めている。
この惑星の首相も選挙で選ばれたツークンフトだったが、やはりテゾーロの1人だ。惑星の権力者というのものは、テゾーロ自身か、テゾーロと関係する者である。
「恐れ多くも、20年前にはテゾーロに反旗を翻した連中がいたからな」
青年がぽつりと零したことで、レイフは青年が熱心なノホァト教であることを理解した。
(やっぱり、ノホァト教の関係者じゃないのか···?)
20年前のあの事件のことを持ち出すあたり、レイフは疑ってしまう。
2人で並行にカバディンを走らせる。少し走らせるだけで、花火の音は近づき、祭りを楽しむ人々の声が聞こえてくる。
『地球戦争が終わって32年です!皆様!』
ジャングルを突き抜けた時、女性の音声がレイフの耳にうるさいぐらいに直に響いてきた。
視界が開けた。生い茂る木々の間で、色んな形をしたツークンフト達が盛り上がっている。自分達と同じように人型のツークンフトや、全身毛におおわれた獣のような4足歩行のツークンフト、水のような液体で構成されたツークンフトなど、数多くの種類のツークンフト達が歩いていた。
「ここまで来たら、大丈夫か?」
レイフがカバディンを止めると、青年もカバディンを止めた。彼はフードを深くかぶり直す。
「ああ、ありがとう。君と会えてよかった」
「この惑星に滞在中は、もうジャングルには入らないこったな。普通にあぶねぇから」
「そうするよ」
「じゃ、俺はこれで」
レイフはもう一度ジャングルに入ろうと考えていた。
ペスジェーナの肝をもう少し調達しよう。今日は父を除いて、家族4人が揃う。珍味をできるだけ調達しなければ、と。
「待ってくれ」
ラルを起動させようと思った時、彼はレイフを止めた。
「最後に1つ···おかしな質問をしてもいいか?」
「あ?」
レイフは首をひねる。青年は少し訊きづらそうにしながら、騒がしい喧騒の中でも、しっかりと質問を口にした。
「君はアクマの存在について、どう思う?」
レイフはギョッとした。
アクマという単語は、たった1人の女性を指す言葉である。
20年前に殺された、テゾーロに反旗を翻した女。
ノホァト教を否定し、彼女を恐れて平伏した者はアクマ信仰と呼ばれ、彼女のことを崇めた。
宇宙の支配者になろうとした、下賤の者。
どう思う?などと訊かれたことがない。ノホァト教を信じる者として、アクマについては悪として考えるのが普通だ。
レイフは質問の意図がわからず、ただ困惑するしかなかった。