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2.聖女

 物心ついた頃にはもう、聖堂で修業をさせられていた。
 生まれつき高い資質を持つ私は、人生の選択肢を与えられることもなく、“聖女”となるべく育てられた。
 聖女とは教団の顔。教団の(うた)う慈悲のシンボル。
 それに相応しくあるようにと、所作のひとつに至るまで厳しく躾けられ、完璧に洗練された立ち居振る舞いを叩き込まれた。
 
 誰もが黙って平伏(ひれふ)すような高貴な血を持たない私は、その存在自体で他者を圧倒するより他ない。
 神に選ばれたとしか言いようのない高い神力、磨き抜かれた美貌、気品に満ちた言動……これらが合わさることにより、神の奇跡を体現する“聖女”という存在は出来上がる(・・・・・)
 
 皆は知らないだろう。
 私という存在が、どれほどの努力と研鑽(けんさん)によって作られた(・・・・)ものなのかを。
 持って生まれた神力は本物でも、その他の部分は人為的な造り物だ。
 
 私には“自分”というものがほとんど無い。
 自分の頭で考えているつもりでも、出てくるものはほとんどが、周りから押しつけられ叩き込まれた“理想の聖女”の言動ばかり。
 時々、こんな“私”はひどく不自然で、(いびつ)で、つまらない存在なのではないかと思うことがある。
 
 皆、私を神そのもののように(おそ)れ敬うけれど、決して対等な友人のように扱ってはくれない。
 私と他者との間にはいつも、乗り越えられない壁がある。
 けれどそれがあまりにも当たり前過ぎて、私はそれが寂しいということにさえ気づけずにいた。
 
 聖女として生き、聖女として死す。将来(さき)の見えきった私の人生。
 けれど、そんな私にもたったひとつだけ希望があった。
 
 それは、聖職者の知識のひとつとして教えられた、勇者の伝承。
 かつて悪を倒した勇者と、それを支えた仲間たち――その仲間の中にあって、後に勇者の伴侶となった聖女の物語だ。
 
 教団という狭い場所を飛び出し、広い世界を自分の足で駆け巡り……やがては雄々しき勇者と結ばれ、幸せに暮らす――そんな可能性も私にはあるのだと、初めて自分の未来に希望を抱くことができた。
 ――思えばそれは、世界の災いを望むことでもあり、聖女としてあまりにも不謹慎(ふきんしん)な“希望”ではあったのだけれど……。
 
 そうして実際に悪が芽吹き、勇者が現れたと聞いた時、私は迷うことなく旅立ちを決めた。
 皆、聖女としての使命感からだと、命を(なげう)つ覚悟なのだと解釈し、私を(たた)え、涙したけれど……実際私にあったのは、ただ勇者に会いたい、共に()りたいという、不純な動機だけだった。
 
 最初に彼に会った時には、ただただ感動した。
 彼の言葉全てを真に受け、その一挙手一投足に感銘を受け「何と立派な人格者なのだろう」とさえ思っていた。
 けれど、一緒に過ごしていくうちに、だんだんと彼の素の姿が見えるようになってきた。
 ――彼は決して、私の憧れた“絵に描いたような勇者様”ではない。
 
 初めのうちは正直に言って、失望しかけたし、幻滅もしかけた。
 けれど……それでも彼と行動を共にするうち、気づいた。
 間違っていたのは、私の方だ。
 あんな、伝承に語られるような完全無欠の英雄など、現実に存在するはずもなかったのに……。
 
 私の(・・)勇者は、ごく普通の人間だ。
 辛いことを自ら進んでやろうとはしないし、命を惜しむし、面倒事も避けたがる。
 なのに……どう考えても今この時代で一番の厄介事であろう“勇者の使命”からは、決して降りようとしない。
 嫌がって、苦しんで……それでも結局、いつも逃げずに立ち向かってしまう。
 逃げられないから仕方がない、と彼は言う。
 だけど、それでも逃げる人間は逃げるというのに……彼はいつもギリギリで、踏み留まる方を選ぶのだ。
 
 私は今では彼のことを、別の意味で尊敬している。
 伝説の勇者としてではなく、ひとりの人間として。
 その成長をそばで見守り、支えたいと思う。
 ……言ったらつけ上がらせそうなので、本人には言っていないけれど……。
 
 今日も彼は冒険へ出るのを嫌がり、ベッドの中でグズグズしている。
 少し可哀想な気もするが、彼には勇者としての使命を果たしてもらわなければ。
 
 世界を救った勇者であれば、聖女がその役目を降り、ただの花嫁となることも許される――そんな未来を、時々ぼんやりと考える。
 ……相手がこの勇者で本当に良いのかとは、正直少し悩むのだけれど……。
 
 とにかく、全ては世界を救ってからだ。
 本当は怖がりで臆病で面倒くさがりなのに、肝心なところで逃げられない私の勇者様……。
 彼がうっかり命を落としてしまわないように、今日も私が、しっかりと守らなくては。

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