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 その夜『秘密基地』で春ちゃんに相談すると「気にしすぎじゃないですか?生娘でもあるまいし」と笑われた。
 いつも優しい彼女がそんな風に突き放すのは珍しいから、きっと昼間のことを未だに根に持っているんだと思う。

「そんなに意識するなんて、その彼のこと、気になってるんじゃないですか? 二人で大阪、いっそ旅行でもしてきたらどうです?」
「馬鹿言わないでよ」
「でも本屋で出会って実はファンで?二回も偶然に出会うなんて、まるで運命みたいじゃないですか」
「そんなんじゃありませんー。運命なんて信じてないし」

 ふんと鼻で笑うと「今回の新曲は運命がどうたらでロマンチックだって言ってたくせに!」と揚げ足をとられた。

「さ、早くお帰りになったら?町田くんが待ってるわよ。どうせこのあと、あんなことやそんなことをするんでしょ?それなのに独り寂しいアイドルオタクのおばさんをいじめるんじゃないわよ」
「セクハラで訴えますよ?!」
「……やめてよ、木原くんじゃないんだから」

 そんなことを言い合って、二人でめいっぱい笑った。
 楽しくて酔っ払った勢いに任せて『ぜひ、お願いします!』と蜂谷さんに返信した。
 どうやら神様はまだ私のことを見捨ててはいないらしい。
 長く恋愛を遠ざけて過ごしてきたせいで、蜂谷さんが異性だということを変に意識してしまっていただけだ。
 同じヒロくんファンとして、一緒に大阪に行くのはきっと楽しいだろう。
 なにより、彼のおかげでヒロくんに会えるのだ。
 お腹の底から、喜びが沸き上がる。

「よぉぉし、今日は飲むわよ!」
「酒井さん、今日は、じゃないでしょ。今日も、でしょ」なんて源ちゃんにつっこまれながら、おおいに楽しく夜を過ごしたのであった。
 
 ライブ当日。
 昼のうちに蜂谷さんと東京駅で待ち合わせをして、新大阪行きの新幹線に乗り込んだ。
 映画館で隣に座ったこともあるし、その夜だって一緒にお酒を飲んだのに、新幹線の座席に並んで座ると、どうにもそわそわした。
 距離が近い。
 八月の熱気でやられて駅までの道中、かなり汗をかいたことを思い出す。
 ――汗臭くないかな。あぁ、蜂谷さん、なんでそんな汗ひとつかきませんみたいな顔してるの。色白いな。
 そんな私に気付いているのかいないのか、蜂谷さんは物販で何を買うかとか、SNSで仕入れたというセットリストのことを楽し気に話している。

「デビュー曲、今年もやってくれるみたいですね!」
「わぁ、あれ、一番好きなんですよね」
「私もです!良いですよね!アイドル感全開で!名曲だし、デビュー曲はファンにとっても特別だから、いつまでも大切にしていってほしいですよね!」

 つい急に熱が入る私に、蜂谷さんはうんうんと頷いてくれる。
 いつもの穏やかで優しそうな瞳が、今日はなんだか嬉々として輝いているように見えた。
 蜂谷さんも、それだけヒロくんのことが好きなんだ。
 彼が私と同じファンなのだということを改めて再確認した。
 ――嬉しい。
 十年前から恋を手放して、ヒロくんを一人で応援してきた。
 こんな風に異性と気持ちを分かち合えること。
 こんなこと、久しく無かった。
 なんだ。別に恋をしないからって異性を避けることないじゃん。
 恋人がいらないからと「良い人、紹介しようか」とか「合コンしようよ」なんて言葉を断って、異性と距離を詰め過ぎないようにしてきたけれど。
 蜂谷さんとヒロくんの話で盛り上がるのは楽しくて、気持ちが高揚した。
 緊張もとけて、コンサートへの期待感も戻ってくる。

「今日はありがとうございます。誘って頂けて、良かった。二枚チケット取ってたなんて、誰か一緒に行きたい人がいたんじゃないですか?」
「あぁ、姉がね、好きなんで。でも姉もチケット当選したって言うし、そうしたら麗香さんの顔が浮かんで。麗香さんに会いたいな。麗香さんと行きたいなって思ったんです」

 本屋のレジカウンター越しに出会ったあの日のように、彼の言葉に時が止まる。
 彼にとって、その言葉にきっと特別な意味なんてない。
 別に、ファン仲間として。ただ、それだけ。
 そう思うのに、それなのに。
 心拍数が跳ね上がった。
 顔が赤くなっていないだろうか。
 こんな、たった一言に動揺しているだなんて、悟られてはいないだろうか。
 ダメだ。異性との交流が久しぶりだから耐性がない。

「あ、ありがとうございます」

 動揺を悟られないように、なんとかぎこちなく返す。
 すると蜂谷さんはふわりと、それこそ蜂蜜の香りがするのではなかろうかと思うような甘い笑みを浮かべた。

「ライブ、楽しみましょう!」
「は、はい!」

 私は頬の火照りを冷ますように、ドリンクホルダーに置いたままになっていたペットボトルに口をつけた。


 大阪城ホール前も若い女性たちで溢れていたし、物販にも長蛇の列ができていた。
 人混みから真夏のアスファルトの照り返し以上の熱気が立ち上っているようにすら感じる。
 みんな小型の扇風機やうちわで扇いでいるけれど、そんなの熱気が拡散されるだけのような気がした。
 暑い。
 私たちもその列に並んで、予想していたよりは早い一時間でなんとか買い物を終えた。
 そうこうしているうちに開場時間も目前となり、今度はまた入場待ちの列に並んだ。
 スマホのファンクラブサイトからデジタルチケットを表示させて入場する。
 ヒロくんがデビューする前と比べると随分ハイテクになりましたよね、なんておばさんくさいことを蜂谷さんと言いながら席まで移動する。
 席番号を見て、なんとなくそうなんじゃないかと思っていたけれど。
 今日の座席はデビュー以来、初めてと言っていいほどの神席だった。

「うそ……」

 そんな言葉が口から洩れてしまうほどには。
 メインステージにも近い、アリーナ席。左手に伸びる、花道の真横。
 そう、まるで、ヒロくんを初めて見たあの日のようだ。
 あの時の紗栄子のように「神席……死んじゃうかもしれない」なんて呟いてしまった。

「思い出すなぁ。大翔くんのファンになった時も、こんな席でした」

 蜂谷さんが花道を眺めながら、目を細めた。

「蜂谷さんもですか?私もなんです。すごい、こんな席」
「幸運ですね」
「本当に。蜂谷さんはコンサートがきっかけでファンになったんですか?」

 彼は穏やかな表情で頷いた。

「前にバツイチって言いましたよね。二十代の前半で結婚して、十年前に離婚することになって」
「……聞いていいのか分からないんですけど、お子さんは?」
「いません。妻は不倫して、その相手と再婚したいと」
「そんな」

 まずいこと、聞いちゃったかな。
 私が表情を変えたことに気付いて、蜂谷さんが微笑んだ。

「気にしないでください。今は全然、元気です。でも当時はかなり落ち込んで。そんな時、姉がアメイズのコンサートに僕を連れて行ってくれました。楽しいからって元気づけようと思ったんでしょうね」
「良いお姉さん」
「自分の趣味のコンサートに連れていくことで元気が出ると思っていたと考えると、ちょっと押しつけがましいような気もしますけどね」

 冗談めかして笑う彼は、重い話題を聞いたことを私に気にさせないようにしているようだった。

「それが、東京ドームのちょうどこんな、アリーナ席の左の花道の真横で。アメイズのバックについていた大翔くんと出会いました。花道をメンバーについて移動してきて、僕の目の前で踊って。……男でこんなことを思うのも変かもしれませんが、彼は輝いていた。かっこよかった。必死に踊る姿は、前向きに生きていく力を思い出させてくれた気がしました。あまりに熱心に僕が見つめていたせいか、去り際に目が合って手を振ってくれました」

 あの日の思い出がフラッシュバックして。
 蜂谷さんの口から語られるその思い出が、まるで自分のもののように記憶と重なる。
 懐かしい。もう十年か。
 ん……?
 十年?

「その時に思ったんです。女性や恋愛は裏切るけど、アイドルは」
「「裏切らない」」

 蜂谷さんと私の声が重なって、自然と二人で顔を見合わせた。
 まただ。時間が止まる。
 十年前。アメイズのコンサート。東京ドーム。

「ねぇ、蜂谷さん」

 頭の中で、何かが繋がりそうでゆっくりと言葉を区切りながら問いかける。

「それって十年前のアメイズのドームツアーですよね?七月下旬の週末に三日間あった」
「そうです、そうです。ちょうど十年前、二千××年の七月」
「何日目ですか?」
「え?」
「何日目か覚えてますか?」
「初日の昼公演です」

 まさか。
 まさか。あの日。
 あの場所に、蜂谷さんも?
 同じ時、同じ場所で、同じヒロくんを見て、同じ気持ちになっていたの?
 怪訝そうな顔で私を見つめる蜂谷さんに、春ちゃんの「まるで運命みたいじゃないですか」という声が重なる。
 半開きになった口がからからに乾いていく。
 蜂谷さんが何か言おうと、その薄い唇を開いた。
 そこで会場が暗転し、正面のモニターにオープニング映像が表示され割れんばかりの歓声が轟いた。
 蜂谷さんが前を向く。
 ヒロくんの。
 ヒロくんの大事なコンサートなのに。
 しばらくぶりに生で見れるのに。
 それなのに。
 蜂谷さんの横顔から目が離せない。
 私は運命とかジューンブライドなんて、迷信めいた不確かなものは信じていない。
 だけど、これは。
 これは、もしかしたら。

 そこであの、運命の相手を歌う新曲のイントロが大音量で流れ始めた。
 メインステージに床下の装置から押し出され、飛ぶようにして登場したカラストのメンバーが歌い始める。

『もしも運命というものがあるのなら これがきっとそう。
 僕と君は似ているね。 ずっと探していたような気がする』

 ヒロくんの歌声にのるその歌詞が、春ちゃんの言葉が、積み重なった偶然が。私の心臓をぎゅっと掴んだ。
 蜂谷さんの横顔を見つめる。穏やかな目元が、いつもよりちょっと輝いて白い頬が紅潮している。
 大きな音楽に負けない程、激しい鼓動が耳の奥に響いた。

「あぁ……」

 諦めにも、感嘆にも似た声が唇を滑り落ちていく。
 もしも、運命というものがあるのなら。
 きっと、もうすぐ。
 この人と。
 蜂谷さんと、何かが始まる、予感がする。

 もしも運命というものがあるのなら。 

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