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 CDも発売日前日にフライングゲットできるのが常で、仕事終わりに新宿のタワレコに寄った。
 CDが売れない時代なのか初回限定盤A、初回限定盤B、通常盤と三形態で発売されるパターンが多く、今回も例にもれず三形態、各二枚ずつを予約している。
 今回のシングルはヒロくんの映画の主題歌ともあって彼のソロパートが多い。
 キャッチ―で胸が弾むようなラブソングは既にファンの心をがっちり掴んでいた。
 それに運命の相手を想う歌詞が最高にロマンチックだ。
 発売が楽しみで楽しみで、どんなにこの日が待ち遠しかったか。
 レジでCDを受け取ると、とてつもない高揚感で胸がいっぱいになった。
 大切な宝物でも扱うように、丁寧に仕事用のバッグにしまう。
 早く帰ってCDをPCに取り込みながら、特典のDVDを観よう。
 このために今日は仕事を早く切り上げたのだ。
 ウキウキしながら下りエスカレーターでJR新宿駅への連絡階まで下りる。
 気持ちが焦る。自宅までは電車で三十分ほど。
 早く観たい。早く聴きたい。特典映像には新曲のMVも含まれていて、ソロパートの多さからヒロくんが多く映っているだろうと予想できた。
 あと一階。
 目の前で女子高生三人が、新作のプチプラリップを見て帰ろうと話し合っている。
 年甲斐もなく、そわそわした。
 彼女たちの脇を抜けてエスカレーターを歩いて下りようか考えていると、隣を斜めに上階に上がっていくエスカレーターに見知った顔を見付けた。

「麗香さん!」

 私が声を上げるより一瞬早く、すれ違いざまに蜂谷さんのハスキーボイスが私の名を呼んだ。
 ――なんで、名前。この前は苗字だったのに。
 偶然会った驚きをも凌駕する驚きに、私は口をぱくぱくさせた。

「ちょっと!ちょっと待っててください!」

 彼はこちらを向いてそう言うと、エスカレーターを上っていった。
 この前の映画館といい、今日といい、よく会うなぁ。
 呆然と前を向くと、女子高生たちも驚いて私を見ていた。
 一瞬で頬が熱くなる。
 ――注目するな! 恥ずかしい!
 すると、先頭の子がエスカレーターの終点に気付かず、足をもつれさせた。
 後ろの子が「ちょっとしっかりしてよ」と彼女を支え、三人で笑い合うと何事もなかったかのように腕を組み合いながら去っていった。
 
 前髪をかきあげて息を吐く。気持ちを落ち着かせてエスカレーターを降りた。
 後ろを見やると、数人の利用者の後ろから蜂谷さんがひょこっと顔を出して此方に手を振っていた。
 苦笑しながら、私も小さく手を振り返す。
 第一印象は『落ち着いていそうな人』だったのに、案外、子供っぽいところがあるんだな。
 それよりもさっきはなんで突然、名前なんて……。

「良かった、待っててくれた」

 エスカレーターから降りるやいなや、蜂谷さんはそう言って笑った。

「こんばんは」
「あ、こんばんは。呼び止めてしまって、すみません。よくお会いしますね」
「ですね」
「タワレコですか?」
「はい。予約してたので受け取りに。蜂谷さんも?」

 彼は頷いて、右手の指を三本立てて見せた。

「僕もここのタワレコでよく予約してるんです。やっぱり三枚ですか?」

 三枚とは三形態を一枚ずつで三枚ということだろう。
 ――う。引かれるかな。
 いやいや、同じファンじゃないの。何も恥ずかしいことじゃないって。

「……各二枚ずつで、六枚です。保存用と観賞用で」
「おぉー!ファンの鑑!僕は三枚なんですけど、やっぱり明日もう三枚買い足そうかな。売り上げ貢献のためにも」
「そんな、私に合わせなくても」
「いや、初週売上七十万枚はいかせてあげたいじゃないですか」

 彼のその言葉を聞いて、鳥肌がたった。
 ――私と同じだ。蜂谷さんは私と同じ感覚をもっている。

「わ、分かる! 私も、むしろ通常盤だけあと何枚か買おうかと思ってたんです!」

 出会ったあの日と同じように、前のめりになって蜂谷さんの手を握りそうになってしまった自分に気付いて、ハッとする、
 危ない、今度は無事になんとか踏みとどまることができた。
 この十年間、身近にヒロくんやカラストのファンだという友人が一人もおらず、こんな風にファン心理を共有できるのはSNSのコミュニティーの中だけだった。
 SNSには自分のいる世界が嘘のようにたくさんのファンがいたし、そこで交流をもった人たちとヒロくんのことを語り合うのは楽しかった。
 テレビ番組に出れば実況しながら観たし、新曲が出るという発表があればファン仲間みんなが沸いていた。
 ネット上の付き合いでも、気の合う仲間を見つけて騒げて楽しかった。
 なかには気の合う仲間たちで実際に会ったりすることもあるようで、ミュージックビデオのロケ地への聖地巡礼に誘われたこともある。
 でも私はインターネットという実態の見えない世界で出会った人たちと現実世界で顔を合わせるのがなんとなく怖くて、踏み出したことはなかった。
 そんな私を考えが古いと笑う人もなかにはいたけれど、世の中には色んな人間がいるのだ。
 だから蜂谷さんが貴重な男性ファンというだけでも嬉しかったのに、こんな風に一緒になって「売り上げに貢献したい」とか映画の感想とかファンとしての気持ちを共有できることが本当に嬉しかった。
 それだけで蜂谷さんとの距離が急速に縮まっていく気がする。

 勝手な男たちとの色恋沙汰に疲れ、ヒロくんにのめり込んでからは仕事以外で異性と交流をもたないようにしていた。 
 それなのに、蜂谷さんだけは同じファンというだけで、幾分か心がオープンになってしまうような気がする。
 さすがに春ちゃんの言うようなことにはならないだろうけれど、今だってもうすっかり下の名前で呼ばれたことなんてどうでもよくなってしまっている。
 これが他の男だったら、それはもうしつこく追及し苗字に訂正させていただろう。
 ヒロくんの力って偉大だ。
 だからだろうか?
「当落、楽しみですね」と蜂谷さんが去っていく後ろ姿を、名残惜しいと思ったのは。
 もっと彼とヒロくんやカラストの話がしたい。
 彼がヒロくんのファンになった経緯や、どんな風に今まで過ごしてきたのか聞いてみたい。
 カラストのCDのために先ほどまで早く帰りたくて堪らなかったのが嘘のように、今はその場から移動するのが躊躇われた。
 このまま追いかけて一緒に帰ることだってできるんだよなぁ。
 ――いや、さすがに怖いか。ただでさえ偶然が重なって、こうしてばったり会っているのに。 それを追いかけて「一緒に帰りませんか?」って、ストーカーかなんかだと思われても困る。
 やっぱりなんとなく後ろ髪を引かれたけれど、私は改札の方向へ足を踏み出した。


「はぁぁぁぁぁぁぁ……」
「酒井さん、そんなこの世の終わりみたいなため息つかないでくださいよ」
「そうですよー。幸せが逃げちゃいますよ」
「私のことなんて放っておいて。逃げだす幸せすら持ってないから」

 デスクに突っ伏して魂が抜け出るようなため息をついた私に、春ちゃんと町田くんが顔を見合わせて肩をすくめた。
 私のもとに幸せはやってこなかった。
 スマホにはさっき届いたばかりのコンサートの当落結果のメールが表示されていて、結果は落選とある。
 ヒロくんに会えない夏なんて夏じゃない。

「日本から夏が無くなりますように」
「コンサートに落選したくらいで日本の四季を呪わないでください」
「高坂さんは良いですよねぇ。ペットと二人仲良く楽しい夏をお過ごしになるんでしょうから」
「ちょっ、酒井さん、なにを」

 思わぬ反撃にあった春ちゃんは慌てふためいて、周りに聞かれていないか気になる様子で辺りを見回している。
 いやいや、それで君たちが付き合っていることが分かる人はそういないって。
 町田くんはそんな春ちゃんはのほほんと微笑みながら見つめていて、なんだか幸せオーラにあてられる。
 彼氏はいらないけれど、ヒロくんには会いたかった。コンサートには行きたかった。
 私の心の支えが……。
 でもカラストがもっと人気になったら、こうも言っていられないんだろうとは思う。
 紗栄子の好きなアメイズは四年に一度しかコンサートが当選しないというくらいだ。
 もっと大きくなってほしいような、遠くにいってほしくないような。
 複雑な乙女心、もといファン心理である。

「はあぁぁぁぁぁぁぁ」

 また世界のすべてを呪うかのようなため息を吐き出した時、落選メールを確認してからデスクの上に放り出してあったスマホが震えた。
 ディスプレイにはLINEのメッセージの通知が表示されている。
 蜂谷さんからだ。

『こんにちは。当落、どうでしたか?』

 連絡先を交換してから初めてのメッセージ。
 初めてがヒロくんの話題なんて、私たちらしいかも。

『ダメでした。行きたかった。私には夏は来ないようです』

 私がどんよりしながら返したメッセージにはすぐに既読のマークがついた。

『残念でしたね。僕は横アリはダメだったんですが、大阪は当たりました。もしよかったら大阪公演、一緒に行きませんか?』

 ――え。
 大阪公演、一緒に行きませんか?
 思ってもみなかった突然の救いの手に、私の頭はフリーズした。
 行きたい! 行きたい!行きたいに決まってる! 喉から手が出るくらいチケットが欲しい。ヒロくんに会いたい。
 年齢のせいか番組の観覧もなかなか当たらないし、大晦日に事務所のタレント全員総出で行うカウントダウンライブだって激戦だ。
 これを逃したら、今年は生のヒロくんには会えないかもしれない。
 歌って踊って笑うヒロくんが見たい。
 でも。
 恋人でもない、友達でもない異性と一緒に大阪だなんて。
 意識しすぎ?
 既読をつけてしまったから、すぐに返信をしないことは憚られたけれど即答はできなかった。

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