サルバドール
けど、女の子にも、そりゃ人気だろうなぁ、と思わずにはいられなかった。
壁に描かれたブルースリーとパンダが対峙しているグラフィティを通り過ぎると、細い階段があった。
その一区画は取り壊されているようで、ここぞとばかりになのか、数多くのグラフィティが描かれていた。
「階段横の壁は絵を描かれがち説」
「あるなー」
カズナリ君の説には説得力があった。さっきサクレクール寺院に向かった時の細い階段の壁も、グラフィティが満載だった。
階段を上がりきって、道なりに坂道を歩くと、さらに細い階段が上へと続いていた。
「行きますか?」
「もちろん」
日本でならふくらはぎはすでに限界に達していただろうが、モンマルトル・ハイだったので、迷わず決断した。それに、この階段はたしか知っている気がした。
さっきの階段より長くて一苦労だったけど、私たちは登りきった。
登った先には、ちょっとした広場があって、緑が広がっていた。一気に開けたような印象を受ける。目の前の家には蔦植物が繁茂して、ホビット族でも住んでいそうな趣だった。
「あっ、やっぱり」
私は左手に向かった。そこには有名なカフェがあった。藤という紫色の花を咲かす植物が、グルグルとうねって伸びて、天然の日差しよけみたいになっていた。
残念ながら、花は咲いていなかったけど、それでも良い雰囲気を感じた。
「入る?」
カズナリ君に聞かれたけど「さっきケバブ食べたし、いいかな」と言った。この緑の庇の影に入れただけで満足だった。観光本に載っていたのと同じところにいた。
カフェを通り過ぎると、カズナリ君が「あっ、ダリだ」と言った。
あまり自己主張しない感じでサルバドール・ダリの美術館があった。おヒゲがピンと立ったダリの写真とDALIという看板が壁に貼ってあるだけだった。
「ああ、観光本に美術館あるって載ってたな。ダリ好きなの?」
「うん。結構、好き」
「入ってみようか?」
「うん」
私はあまりダリのことを知らないが、中々楽しめた。チーズのように溶けた時計や足の長い象などの、私でも知っているおなじみの作品があった。
カズナリ君はどれも興味深げに見ていた。
「美術とか詳しいの?」
ならば、ルーヴル美術館に行かない手はないと思った。
「いや、全然。体系的な知識とかはゼロだね」
けれど、そうじゃないらしい。
「ふーん、ダリのどういうところが好きなの?」
「派手なところ」
「うすっ」
私達は笑った。
「ダリって、パリでアリクイ散歩させてたらしいよ」
「なにそれ?」
「ペットにアリクイいたんだってさ。パリの人たちが驚いている写真が残っているよ」
「へー」
カズナリ君のダリの話を聞きながら、美術館を巡った。
「・・・ダリの名前って、サルバドールって言うんだけど、父親も死んだ兄も同じ名前なんだって」
「えっ、そうなの?」
「うん。サルバドールは救い主って意味で、確か兄は早くに死んで、それでダリにもサルバドールって名前が付けられたんだ」
「・・・なんかあまり良いこととは思えないね」
「うん。実際、大人になってからの派手なイメージとは違って、とても繊細な子どもだったらしい。きっと自己プロデュースした結果、あのおヒゲとかになっていったんだろうね。そういう屈折したところも好きなんだ」
「ふーん」
「ガラっていう、年上の女性をずっとミューズとして愛した。ガラの顔をしたマリア様の絵なんかも描いているしね」
「ミューズって?」
「創作の源泉になるような女性って意味かな。多分元々はギリシャ神話の神様だと思うけど」
「そうなんだ」
「うん」
珍しく、ずいぶん能弁じゃないか。
「・・・もしかしてカズナリ君、薄いって言ったの気にしてる?」
「アハハ、そんなまさか」
プイッと顔を逸らされる。
「だよね。まさか一人で薄くなくなろうなんて、してないよね?」
私が腕をガシッとつかむと、カズナリ君は身を引きながら、残った手で払うような仕草をした。
「よしてくれないか、キミ。薄いのがうつる」
「まぁ!」
酷薄な表情で言ったカズナリ君の腕を決して離さず「薄くなれ薄くなれ薄くなれ」と私は唱えた。
「うう、呪われる!ハゲる!」
「ステイサムみたいになるのよ」
「それはカッコいい」
バカなことをしながら、私達は美術館を出た。