三章の七 車内で文花情報を提供2。
文花と焼肉に行ってから、一週間後。またもや一華は、自宅近くの公園に、公季を呼び出していた。
前々回、前回に続いて、公季は、スズキの軽自動車でやってきた。
今回も、誰が見ているわけでもないのに、一華は他人目を忍んで後部座席に飛び乗る。
「きーちゃんさあ、暇なの? 私が呼んだら、すぐ来るじゃない」
一華は第一声から、呆れた口調で問い詰める。
「忙しくない、わけじゃないけどね……」
公季は歯切れが悪い。
「あのさあ。本当に売れているの? 事務所がCDを買っている、ってわけじゃないよね?」
一華は、疑いの目を強めた。公季は後部座席に振り向いて、不機嫌な顔で、きっぱりと否定する。
「あのねえ。そんな荒技、うちの弱小事務所には、できないよ」
「じゃあ、売れていたとしても、印税とか、事務所に取られているんじゃないの?」
一華の疑念は止まらない。公季は、子供っぽく膨れた。
「なんで、そんなに疑うの?」
「だって売れてから、身なりとか全然、変わらないでしょう。よくドラマとかだと、悪い奴って、金を持つと、急に羽振りが良くなったりして、それで足が付いたりするでしょ」
一華は、分かりにくい
「そりゃあ、派手になる人もいるだろうけどさ……」
公季は運転席側に向き直し、やんわりと否定した。
「本当に、ちゃんと食べている? 見栄を張ってご飯に誘ってくれなくても、平気だよ」
一華は、本当に親身になった。まるで、母親みたいな物言いをする。
「もういいよ。俺だって、いろいろ考えているんだよ……」
バックミラー越しに、公季の表情を確認できた。子供扱いは
「これ、蔦文花の資料ね」
急遽一華は、運転席へ、勢いよくA4サイズのものを差し出した。やはり、「蔦文花」のワードを出したときに、変な雰囲気になる。
少し、沈黙が続いた。一華は、バックミラーの公季を盗み見る。時折ちらっと見せる顰めっ面が真剣そのもので、さっきまでのなよなよ感は消え失せている。
「これ、よく撮ったねえ。全部寝ているときみたいだけど……」
やっぱり公季は、写真に関心を示した。
「興信所の人も、大変だったらしいよ。さすがに、希望していた全部のアングルは難しかったらしいけど」
一華は、変な嘘をつく。焼き肉店で、べろんべろんになった文花を介抱する際、自分の携帯で写真を撮っていた。
「興信所の人が言うには、失恋後に撮影した貴重なショットらしいよ」
ここまでの話の流れでは「興信所の人」という架空の人物を作るしかなかった。
「起きてるときの写真が見たかったけどね」
公季は、ぼそっと呟いた。
「なんで、起きてるときの写真が欲しいのよ……」
いつもの切れぎみも、勢いがない。バックミラー越しの公季の顔を垣間見たから、大半は仕事の意味なのだろうと解釈するまでになっていた。
「寝ている姿だけでは、イメージが入ってこないでしょ」
調査書を見ながら、公季は最低限の音量で返してくる。
「やっぱり、あの娘は被写体になるの?」
一華も、公季に合わせて、声のボリュームを下げた。
「モデルになっているかどうかは分からない」
バックミラーの公季は俯いて、表情が見えなかった。
「今、何を書いていいのか分からないんだ。書きたいものはあっても、何が支持されるのかが、分からない。だから、『文子』が売れた今は、『文子』関連の唄を書くしかないんじゃないのかな」
一華は、バックミラーの公季から目を背けた。
「ジンクスの問題なんだよ。今まで、自分がいいと思ってきた唄が、うまくいかなかった。何を書いても売れなかったんだから」
一華にとっては、弁解を重ねているようにしか思えない。
「この元彼氏の名前、なんていうんだろう?」
急に公季が、声のトーンを上げる。車内の雰囲気が一気に明るくなった。
「なんて言ってたかなあ……。じゃなくて、なんで知りたいのよ」
一華も、公季に合わせてトーンが高くなった。
「やっぱり、元彼氏の名前が分かっているほうが、イメージも湧いてくるでしょ」
なんだか公季は、半笑いになっている。
「確か、ヒトシ、だったと思う……。確認しとくよ。他は?」
仕方なく、ていう感じで、一華は引き受けた。
「画材屋さんでは、ショパンが流れていたらしいけど、何の曲だろう?」
やはり公季は、
「幻想なんちゃらが、ずっと耳に残っているって、言ってた気がする」
一華も、興信所の人が言うには、っていう回りくどい言い方はしなくなっていた。
「画材屋さんって、なんていう店?」
「調べとく」
最終的に一華は、自分が調査していると白状していた。
「前の調査書にあったデザイナーって、なんのデザイナーなの?」
「ちょっと、それは……。調べとくよ」
さすがに、同じ会社に勤めている、とは暴露できなかった。
思えば高校のときも、こんな感じだったな、と記憶が蘇ってくる。
他に誰もいない教室で、二人で面白がっていた。マイノリティー側から、きらきら光っている文花を肴にして、即興で唄を作っていた。公季だって、思い出していたはずだ。高校時代が、決して嫌な出来事ばかりではなかった、と。