三章の四 研修先は、一華2。
今日も一華が、文花の研修の受け入れ先になっている。技能部転写デザイン課の課長、阪口からは、「とりあえず三日間だけ面倒を見てやって」と、両手を合わせてお願いされたのだ。
作業場では、うっすらと音楽が聞けた。経営者に先進性があるのだろうか。作業効率をよくするために、有線が流れている。しかし、女性アイドルグループ、男性アイドルグループの楽曲が続いて、少しげんなりすることもあった。
「そういやあ、さっき、阪口の課長さんがやってきて、蔦はどうか? って聞いていったよ」
皿に転写紙貼りをしながら、左隣の文花に会話を仕掛けた。
「それで、なんて言ったの?」
文花が、少々不安そうに返してくる。一華は、茶化すように笑う。
「前に来た奴よりも、倍は仕事ができる、って言っといたよ」
「前の人って?」
「そっちに、転写デザイン課にいるでしょ。ガリガリの黒縁メガネを掛けている奴」
名前が思い出せない。陰気くさく、人を小馬鹿にするような奴だった。確か二年前に、文花と同じように、一華の下で研修をした。
「倍って、さすがに大袈裟じゃない?」
文花は謙遜していたが、実際には、最初の頃よりも三倍は速くなっている。なによりも、一華と会話しながら手を動かす器用さも身につけていた。
「いや、倍だって。あのガリガリは、ちっとも上手くならなかったし、私が年下だからだろうね。アドバイスも聞かなかったからね」
一華の中で、胸糞悪い記憶が蘇る。
「まあ、文花は、いつまでもこんなところに、いたら駄目だよ。私からも、阪口に言っとくからさ」
話を変えて、胸糞悪い記憶を払いのけようとした。
「ありがとう。一華ちゃんには、なんかお礼をしなくちゃいけないね」
文花は、急に改まる。
「お礼なら、別にいいよ。それよりも帰ったら、あのガリガリに一発、入れといてよ」
人に褒められたり、感謝されたりすると、一華は照れくさくなる。結局、自分で話を戻して、悪ぶった。まだ、胸糞悪いほうが気楽に思えた。
「一華ちゃんが言うほど、悪い人ではない気がするんだけど……」
文花は不思議そうな面持ちで、今までの一華の話に同意してくれなかった。
「それは、文花だからだよ」
一華は、瞬時に笑ってみせた。引き続き文花は、不思議そうにする。
「ありゃあ、絶対、文花で変なことをしているよ」
言った一華自身が可笑しくなって、馬鹿笑いした。
「もお、やめてよね」
一華の言った意味を理解したのだろう。文花は気持ち悪がった。で、それならばと一華は、仕切り直しをする。
「もしかして、転写デザイン課の文花の席って、あのガリガリの向かいなの?」
「どうして知っているの?」
文花は、霊能者でも見るかのように不思議がる。
「え、そうなんだ」
また一華は笑う。「なになに?」と文花が、一華の笑いに詰め寄る。
「あのガリガリ。デスクの向こうで、きっと変なことをしているぞ」
一華はまた、馬鹿笑いした。
「もお、最低!」
文花は再度、気持ち悪がった。
その後の十三時からの昼休みも、文花と一緒に昼食を摂った。
食堂内のテレビは点いておらず、BGMで有線が流れている。今日は尾藤公季の唄は流れてこなかった。
いつもの席に一華は座り、合わせるように文花も、左隣に座る。いつもの美味くもなく不味くもない仕出し弁当を食い終えた二人の前には、湯飲み茶碗が並んでいた。
「そういえば、さっきのお礼の話だけど。要らないって言ったけど、もしくれるんだったら、何をくれる予定だったの?」
下ネタを言い出した辺りから、一華は、ずけずけと遠慮がなくなった。
「そういうのって、普通は聞かないよね」
二人して、鼻から噴き出して笑う。
「そうだなあ。ご飯でも、食べに行くっていうのは、どう?」
文花は視線を合わせてくる。
「うそ。肉、奢ってくれるの?」
一華のずけずけは、止まらない。
「お肉が食べたいの? いいよ。行こうか」
軽く了承した文花をよそに、一華はガッツポーズする勢いで喜んだ。
「ちゃんとした外食なんて、いつ以来だろう……」
文花が、ぽつっと呟く。急に、空気が淀んだ。
「誰かと、行ってないの?」
一華は、横目で聞いた。
「かれこれ、三ヶ月は行ってないなあ……」
文花は俯きだした。空気がいっそう淀む。一華は、間合いを適度にとるために、言葉を選ぶ。
「そうか。彼氏と、上手くいっていなかったね……」
言葉を選んだつもりだったが、巡り巡って、結果的にズバリと聞いていた。
「一方的に別れを告げられてから、もう三ヶ月かあ……」
文花は顔を上げ、無理に笑顔を作ろうとする。一華は手持ち無沙汰で、
「もうね。どうしていいか、分からないんだよね」
文花は、やけに話したがる。一華は、周りをきょろきょろと警戒した。
「ここでする話題じゃないようだね」
一華の視線には、食堂出入口からやってくる次朗の姿がある。
「おまえ、本当にタイミングの悪い奴だな」
一華は、次朗に嫌悪感をぶち当てた。次朗は、何の話か分からずじまいのはずなのに、とにかく「すいません」と口ずさんだ。