二章の七 文花のアルバムの感想。
週のはじめの月曜日。
この日も一華は、十三時に昼休憩を摂り、文花は追いかけるように合わせた。
五月下旬から製造部へ研修に来ており、一華のスケジュールは容易に把握できた。
十二時から休憩を摂っていた、一華の同僚、木内幸子と西谷浩美が、入れ違いになる。
「一華ちゃん、また後でね。文花ちゃんもね」
木内幸子が、一華のついでではあったが、文花にも声を掛けてくれる。西谷浩美も、「じゃあね」と幸子に歩調を合わせてくれた。
文花の狙いどおり、盾が機能した。一華が一目置かれていたから、一華の仲間と見なされて保護されたのだ。
この食堂に来るまでも、いろいろな人間に声を掛けてもらった。以前のように、遠目で得体の知れない者を観察するような輩は、随分と減ってきた。
実感すればするほど、依存するしかない。一華には、嫌われるわけにはいかなくなった。
いつものように一華は、食堂の奥から数えて最後列の、右端に腰を下ろした。文花も倣って、一華の左隣に席をとる。二人の前には、美味くも不味くもない仕出し弁当が並ぶ。
「今日は、いい天気だね」
文花は、無難な会話を仕掛けた。ただ、これまでの経験上、一華の返答には一貫性がない。無難な話題でも、先の読めないところがあった。
「そう? さっき曇ってたけど」
今日は、細かい。「そうだね」でいいはずのところ、ケチをつけているようにも聞こえる。
そもそも梅雨の時季で、雨の日が多かったから、雨が降らなくて日差しが出ていれば「いい天気」で済まして欲しい。
文花は、一華の機嫌を「普通」よりも若干だが悪い、「やや不機嫌」と認識する。少々気難しい一華だから、機嫌の良し悪しで対応を考えた。
「尾藤公季のCD、少しだけ聞いたよ」
一華の機嫌を判断し、早めに仕掛ける。正直に、「少しだけ」とも添えた。
「少しだけ?」
一華からは、純粋な疑問口調が聞けて、怒っているようには見えなかった。なによりも、いつの間にか弁当の蓋を開け、一品二品を口の中に放り込んでいた。
「三曲目でね。なんか、重苦しくなっちゃってね」
文花は、話の先々を匂わせる。事前に、なるであろう流れに持っていけた。
「三曲目って、なんだっけ?」
一華の、口の中をもぐもぐしながらの返答は、文花にとって計算違いだった。
「『いつも探してる』っていう楽曲だよね?」
(あれ、ファンじゃないのか?)と文花は、違和感を持つ。でも、自らが設定した流れに逸れたくなかったから、スルーした。
「あっ、そうだっけ。まあいいや。で、何が重苦しいの?」
文花の流れのとおりになっていたが、なんだか一華の態度が妙に軽い。
「あの三曲目の内容がね。今の私にはね……」
たっぷりと匂わせながらも、軽々しい一華の様子を窺う。
「あれって、片想いとか失恋の唄だよね。文花には関係ないんじゃないの?」
文花にとって、あまり、いい返答ではない。ただ、世間一般の人間が、そう思うだろうとは、理解できた。
「うん、まあいいや。ここでするような話じゃなさそうだけど、とにかく飯を食ってからにしよう」
箸の進んでない文花に、一華は顎を向けて「早く食いな」と示す。そうした一華は、弁当の半分を既に食していた。
文花は、一華に追いつこうと、箸を動かす。一華は、アドバンテージを守り、さっさと平らげた。
先に弁当を片づけ始めた一華は「お茶、要るでしょ」と、食堂の奥に向い、二つの湯飲み茶碗を両手で持ってくると、一生懸命に食している文花の脇に、そっとお茶を運んだ。で、一華もそのまま席に戻る。
文花が食べ終わるまで、一華は黙って待ってくれた。気が付けば食堂内は、有線に切り替わっている。ちょうど国民的バンドの新曲が流れ始めた。
文花は、口に急いで押し込んだものを、一華が用意したお茶で流し込んだ。
口の周りが汚れた。構わず、右手の甲で拭う。今まで振る舞っていた上品さを、自らがぶち壊した。
「私ね、今年の四月に別れたの」
弁当を食している間、言おう言おうと考えに考えた台詞が飛び出す。
見境もなく、周りも気にしなかった。むしろ、聞き役の一華が、周辺をキョロキョロして、誰にも聞かれていないか、確認をする。
幸いにも、この時間帯の食堂は、人が疎らだ。一番近くの人間は、四列前に座って、机に伏せて寝ている男ぐらいだ。
「ずっと付き合っていたんだけどね。六年だよ、六年。だけど理由も言わずに、
話せば話すほど、文花は、しんみりしていった。
当初は、今年の四月に失恋して、『いつも探してる』っていう唄と自分が似通っていて、だから途中でCDを聞くのがしんどくなったと、一華用の理由にしようとした。だけれども、雪崩のごとく口を突く。で、結局のところ泣きそうになっていた。
文花は「お茶のお代わり、いるでしょ?」と席を立つ。一華が頷く前から、湯飲み茶碗を奪い取り、食堂奥へと歩いて行った。
なんとか、泣きべそを掻かずに済んだ。戻ったら、どこまで話そうかと、お茶を酌みながら考える。
席に戻ると、次朗がやってきた。
「おまえ、本当にタイミングの悪い奴だな。今日は昼飯抜きだ。さっさと仕事に戻れ!」
一華が次朗に向けて、口汚く罵った。いつもの文花であれば、そこまで言わなくても、と次朗を擁護する。だが今日は、大きく深く、頷いた。