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二章の六 文花、アルバム『想いのままに』を聴く。

 週末の金曜日。文花は昼休憩に、先週リリースされた尾藤公季のアルバム『想いのままに』を受け取った。
 授けた一華は「言っておくけど、私はファンじゃないから」と念を押し「返さなくていいから、感想を聞かせて」と、変な懇願をしてきた。
 で、翌日の、土曜日の朝を迎える。
 文花は、平日と変わらない時間に朝食を済ませた。朝食後は、食器に張り付ける転写紙のデザインを、最低でも五つは捻り出そうと机に向かう。
 毎週のノルマにしていた。会社では、まだまだデザインなど、やらせてくれない。
 この前のデザイン会議も、「まだ理解してないようだな」と、上司の阪口に一蹴された。

「あの変人阪口め」と、今度こそはの想いが、文花の原動力になっている。
 自室には、デスクトップパソコンがあり、隣のキャビネットにはスキャナー内蔵のプリンタ―もある。だがアイデアの段階では、スケッチブックに色鉛筆が必需品になった。
 文花は、アールヌーヴォー調のデザインを好んだ。オールドノリタケに憧れていたから、影響は否定できない。ただそうはいっても、今風のデザインも手掛けておきたい。
 一つデザインしたら、次はまったく別のデザインを、てな感じを心掛けた。いつもではないが、今日はうまく作用した。別々の風調が混りあい、思わぬ感性が生み出される。
 長くやっていれば、もちろん煮詰まった。自然と音楽に手が伸びる。やはり、想像を掻き立てる音楽が欲しい。
 今は、クラシックの気分だ。部屋の隅にあるCDラックに足を運ぶ。と、そこで嫌な物を思い出した。前日に受け取った『想いのままに』が、どうしたって頭の中をうろつく。

「もう、しょうがないなあ……」

 声が出ていた。クローゼットに、通勤用の会社の鞄がしまってある。『想いのままに』は、会社から帰ったまま、鞄の中で放置されていた。
 アルバム『想いのままに』を、さっさと聞いておこうと思い立つ。文花の性質上、嫌いなものを後回しにはしたくない。なによりも、一華の睨む顔が浮かんだ。
 CDコンポから、『想いのままに』の一曲目『文子』が流れ始めた。

(そうそう、これこれ)と、半笑いになる。文花にとって『文子』は、今や変なお笑い番組よりも笑えた。
 聞けば聞くほど、背筋が寒くなり、ぶるっと身震いでき、なおかつ変な笑いが込み上げてくる。よくよく考えてみると、なかなか巡り会えない楽曲に思えてきた。
 やっぱり「IN MY HEART」の部分が笑いをさそう。「IN MY HEART」というワードが出てくる度に、プッと吹き出た。
 アルバム『想いのままに』の一曲目『文子』は、あっという間に終わった。この頃は笑いの少ない生活だったから、もう一度リピートしてもよかった。

(IN MY HEARTの次は、何だ?)

 さっきまで流れていた『文子』を、文花は変な呼称、もしくは仇名で呼んでいた。作った者の考え、想いなどを嘲笑う、あまり褒められるべき言動ではない。
 二曲目は、シングル『文子』の、カップリング曲だから聞き覚えがなかった。『文子』の「IN MY HEART」ほどの、インパクトを受ける箇所もない。
 三曲目は、『文子』がヒットした後にリリースされたシングル『いつも探してる』で、これもラブソングだ。要は、どこに行っても、あなたの姿を探しているっていう趣旨の唄である。
 なによりも気が滅入る。片想いの唄ばかりで、三曲目は特に内容が内容なだけに、聞いていられなくなった。文花自身も、大別すれば、片想いしている側に分類される。
 恋人の高嶋仁志に別れ話を切り出されてから、かれこれ二ヶ月が経過していた。文花は、「絶対に別れないから」と突っぱねたが、その後の連絡は、まったくない。
 六年間も付き合っていた。思い出だってあるし、未練もある。こっちがあるのに、あっちがないなんて、不公平すぎる。
 結局のところ、『いつも探してる』が胸に響いていた。文花も、いつも探していた。
 昔のように、実家に訪ねてくるかも。街中で偶然、コンビニで偶然、ばったり会うかもしれない。会社の正門で、もしかしたら待ち伏せしてくれているのかも。
 独りよがりな想像ばかりが支配した。ここ二ヶ月、ずっと支配されている。『いつも探してる』が、不覚にもなぞってくれていた。
 文花はCDを止めた。これ以上は、間違いなく涙を流す羽目になる。実際は、既に左目から、ひとすじの涙が(こぼ)れていた。
 じっとは座っていられなくなった。いてもたってもいられない。デザインどころではなくなっていた。スマホでも(いじ)ろうか、と思い立つ。
 とにかく別の作業をして、平常心に戻したかった。
 なんでもよかったわけでもない。スマホの数ある機能の中で、文花は人と話したかった。大まかにすると、誰でもよい。
 電話帳でめぼしい人間を探した。ざっと見て、皆、気まずい。本当に電話をしたい人間は、高嶋仁志しかいなかった。
 仕方なく、あいうえお順で再度、探した。早い段階で、「市原弘子」の名が出た。
 こいつでいいや、と安易に思う。こいつしかいないのかと、心の片隅で思ったりもした。
 早速、電話を架けてみた。コールがあるうちに、何を話そうか悩んだ。
 まず、共通の友人であるはずの、福中(ふくなか)満月(みつき)の近況でも聞こうと、思い至る。
 後は、他にないかと考えていたら、すぐに電話に出られた。コール八回といったところだ。

「あれ、文花が私に架けてくるなんて、初めてじゃない?」

 弘子は、さらりと言ってのける。弘子も、文花が(かね)てから敬遠していたと、気づいていたのだろう。

「どうしているのかな? って思ってさ」

 自然と仕掛けたつもりだったが、すぐに「満月の近況だったら、知らないよ」と、どんぴしゃな返答が返ってくる。

「あ、そうか。同窓会の件だ。文花も、尾藤公季に会いたくなったんでしょう?」

 弘子は、先々の文花の心理を読もうとする。

「え、尾藤公季が、どうしたって?」

 耳慣れてきたワードに敏感になった。

「和菓子の名前じゃなかったでしょ?」

 弘子の茶化しなど、気にしなかった。ここいらでやっと、尾藤公季の存在を身近に感じた。

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