一章の十 食堂内にて、文花の接触3。
入社してから二ヶ月が経過した、ある日のこと。文花は昼休み前に、技能部転写デザイン課の課長の阪口慶二に呼ばれた。
「おう、来たか」
阪口のデスクは、あまり物が置かれていない。他のデスクと比べると、歴然としている。
技能部転写デザイン課の一室は、奥に阪口のデスクがあり、阪口の向かいに、文花のデスクを含む、四つ囲むデスクがあった。文花以外のデスクの主たちは、今、昼休憩を摂っている。
文花は、阪口のデスクの前に来ていた。阪口は、パソコンに集中して、文花を相手にしていないような態度をとる。
入社して二ヶ月ちょっと。文花にも、阪口の人となりは伝わっていた。とはいうものの、聞く人間で評価が分かれた。悪く言う者が多数で、良い言い方をする者は、とにかく仕事熱心と口を揃える。
悪く言う者も、仕事ができないという評価はしなかった。トータルの評価は、一言でいえば変人に近い。
「どうだ。今日で、ひととおり技能部巡りが終わったと思うが」
阪口は、パソコンのモニターを見たままだ。相変わらず、顔を合わせて話をするつもりが一切ないらしい。
「明日からは、製造部での研修予定です」
阪口が立てた計画の概要を、文花は当てつけを含めて言い放つ。
「そうか……」
少しの沈黙があった。そのうち、パソコンのキーボードの音が、カタカタ聞こえてくる。
「まあ、そうカリカリするなよ」
ここで、ようやく阪口は、パソコン・モニターから視線を外し、文花の様子を窺ってきた。
「明日、デザイン会議をやる。アンタ、出られるか?」
阪口は、含み笑いをすると、パソコン・モニターに視線を戻す。
「明日ですか、もちろんです!」
文花は、思わず声が大きくなった。
「大型新人と誉れ高いアンタだ。
阪口は、随分と意地悪い言い方をしてくる。
「もちろんです。満足していただけるはずです」
新人らしからぬ、大型新人の台詞を吐く。ただ、それほど自信はない。変人の阪口好みに、台詞を用意しただけだ。
「アンタ、おもしろいな」
文花の狙いどおり、お褒めの言葉を頂いた。
「明日の二時からだから、忘れるなよ」
パソコン・モニターを隔てていながらも、阪口の言葉には温かみが加わっていた。
ここ数か月の我慢が報われた気がして、食堂に向かう足が軽かった。
食堂内に入ると、疎らに退出する者とすれ違う。ニヤニヤして全身を舐め回すように見てくる者もいれば、目を逸らしたかと思ったらチラチラ見てくる者もいる。同性であれば、急に笑顔を消す者や、不機嫌な顔でじっと眺めてくる者もいた。
食堂内全体からも、視線を感じる。さすがに、入社してから二ヶ月も経つのだから、いい加減、少しは慣れて欲しい。
文花は、特別な外見を持つ者の宿命だと、物心ついた頃から心得ていた。とにかく、こういった場合、何でもない素振りをするしか手はない。
毎日の食堂の仕出し弁当は、残念ながら
入口から食堂奥へ、弁当が積まれている会議用テーブルに向い、弁当を手にしてからは、対角線上の様子が気になった。
文花は、自らが思い浮かべる「盾」候補、谷脇一華を確認した。今日も、この時間帯に、食堂で
一華が、深谷次朗の体に打撃を加えている。見るからに楽しそうな奴らで、じゃれ方に年季が入っていた。
「何だよ、姉ちゃん。いい加減に、上腕二頭筋にパンチ入れるの、やめろよな。この前、風呂場で見たら、
文花は、次朗の左隣の席に到着した。次朗は、文花に背を向けて、一華に抗議している。
「次朗君は、お姉ちゃんに似てないね」
文花が席に座ると、次朗がビクッとして振り返ってくる。文花はニコッと微笑んだが、次朗は正面に向き直して俯いた。
「痛っい」
次朗の悲痛な声が響く。次朗の右隣りから、一華が打撃を加えたようだ。
「だから言っただろうが。姉ちゃん姉ちゃんって言うから、勘違いされるじゃねえかよ」
一華の野太い声が聞こえた。次朗は上腕二頭筋をさすりながら、
文花は、一華たちを横目にして楽しんだ。
「じゃあ、自分は仕事があるんで」
ぎこちない流れで、次朗は退席していき、いつもと同じ行動をした。文花の中で次朗は、典型的な「緊張君」だ。よほど親しくならない限り、文花のような特殊な外見の持ち主とは、お喋りできない。
「明日から、製造部周りになるから、そちらに出向く回数が増えるかも。よろしくね」
文花は、弁当箱を開けながら挨拶した。次朗退席による空席が良い距離になっている。
「ふーん。そうなんだ」
一華からは、たいして興味ない、というニュアンスで返ってくる。
「ねえ。ここの弁当、美味しい?」
近頃やっと、一華から話しかけてくれるようになる。思えば、随分と時間が掛かった。
「不味くはないと思うけど……」
文花は、遠慮しながら返答をする。
「美味しくもないでしょ」
一華が、絶妙のタイミングで返してきた。文花は、一華と一緒になって笑った。