(18)折り入って4
カウンタは広々と六席あった。その端の二席に並んで座った。
「ここでよかったかな?」
「はい。もちろんです。我儘言ってすみません。お疲れのところ」
「堅苦しくしなくていいよ。そう思ってこの店にしたんだから」
女将の人柄が現れているのだろうか。何故かほっとさせる雰囲気を持った店だった。
「お酒は飲めるよね? とりあえずビールでいいかな。あと好き嫌いもなさそうだよね。立花さんて、飲み会でもよく飲んでよく食べてるイメージだから」
「わたしってそんな大酒飲みで大食いのイメージですか? ちょっとショックです」
「いや。いい意味でだよ。ねえ、女将、しっかり飲んでしっかり食べる女性は好感度高いよね」
「もちろんです」
グラスが二つ出されて、次長がビール瓶を女将の手から受け取った。
先に次長のグラスに注ごうとしたが、やんわりと拒絶されて、仕方なく両手でグラスを持った。
「そりゃお店にしてみれば、よく食べてよく飲むお客さんの方が好感度高いんでしょうけど、男性目線では微妙じゃないですか」
「そんなことないよ。しっかり食べる女性は見ていて気持ちがいいもんだよ」
そんなフォローを真に受けたわけではないけれど、それ以上追及してもいいことはなさそうだと判断した。
きれいに泡の立ったグラスを置いて瓶に持ち替え、次長のグラスに注ぎ返す。
最初に勢いをつけ過ぎたせいで、少し泡が多くなってしまった。お酒が上手に注げる大人になりたいものだ。
「じゃ、とりあえず乾杯。おつかれさま」
「おつかれさまです」
グラスを合わせることなく、軽く掲げて目を合わせるだけの乾杯をした。
何か食べたいものはあるかと聞かれたので、何でもいただきますのでと少し拗ねたように言ってみた。
女将は小さく笑ってくれたけど、次長はノーリアクションのまま、適当にお任せしますと大人な発注をした。そしてすぐに思い出したように、出汁巻き玉子と付け加えた。
彼も出し巻き玉子が好物だ。
次長と彼の好みが似ていることを、嬉しく感じてしまった。
「どう、仕事の方は? 何か、困ったことない?」
いきなり核心に入るものいかがなものか。
もう少しくらい、この和やかな雰囲気を楽しませてもらいたい。
そんなことを思って、口ごもってしまう。
「ああ、そうか。何かあるから、折り入ってなんだよな。ごめんごめん」
「あ、いえ。そういうわけでは」
そういうわけではないわけではないから、最後まで言えずにまた口ごもる。
覚悟を決めた。
ここまで来て甘えたことを言っても始まらない。彼に別れを告げたときと同じように、単刀直入に伝えることにした。
「わたし、会社を辞めようと思います」
グラスの中のビールを見つめていた次長が、少しだけ目を見開いたような気がした。
そりゃあ驚くだろう。今までそんな素振りは一切見せて来なかったつもりだし、まさに青天の
理由を訊かれたら何と答えようか。
ビールがまだ八割方残ったグラスを見下ろしながら、この期に及んでそんなことで悩んでいた。
「もう決めちゃったの? それとも、辞めようかどうしようか悩んでいますっていう相談?」
「あ。いえ。……はい。もう、辞めることは決めました」
「何か問題でもあった? 仮にそれが解決できれば勤務を続けられたりはしない?」
問題はある。だが、解決は不可能だ。
いいえ、としか答えられない。
「そうか……。で、辞めてどうするの?」
「東京で働いている友達から誘ってもらってて……」
「そうなんだ。ふーん……」
別れを告げたときの彼の反応に共通するものがあった。
もっと何か違う反応を期待していた自分。でも、それは結局、自分が甘えていただけなのか。
——こんなところまで似てなくてもいいのに。
残っていたビールを一気に飲み干した。
( 折り入って —— 終 )