(16)折り入って2
周囲の人が出払った隙を見て、次長のデスクに近づいた。
「あの」
「どうした?」
パソコンの画面を睨みつけていたような視線が、柔和なものに変わってこちらに向けられた。
失礼ながら、特筆すべきほどのイケメンというわけではない。仕事振りや人柄が男振りを上げているタイプだ。
表面上は感情の起伏が乏しいようにも見える。それが時々冷淡な印象を与えることもあるけれど、しばらく一緒に仕事をすれば、その印象が間違いであることが分かる。総じて穏やかではあるが、熱い思いも兼ね備えた人だ。
仕事はできる。決断も早い。なのに、ばりばり仕事をこなすというタイプではない。次長は気配りの人だと思う。上司と部下の
次長という肩書がどれほどのものかはよく分からないけれど、個人的な好感度と出世に相関関係はない。信用できる人だと認識していたし、好意のようなものを抱いている自覚もあった。恋愛対象にならなかったのは、単に出会った順序の問題だったのだろうか。
各務次長がはじめから直属の上司だったら、部長との関係も始まってはいなかったかもしれない。次長ならわたしの
最近の思考はタラレバが多い。いくら考えても仕方のないことを、ついつい考えてしまう。
結果論だけでいうならば、次長とそういう関係にならなくてよかった。次長や次長の家族をわたしのわがままな恋愛に巻き込まなくてよかった。
それが本心だった。
「折り入ってご相談、というかお話というか」
内緒話をするかのように声のトーンを落とした。
そんな慣用句のような台詞を自分が吐くことになろうとは、思ってもみなかった。
「折り入って?」
何故か次長の方も小声で繰り返した。
少し顔を近づけて、さらに小声で返した。
「そう。折り入って、です」
「折り入ってって、どういう意味?」
「……」
そこはどうでもいいように思えて、答えに詰まった。
「まあ、いいや。会議室でも行く?」
次長はすぐにでも行こうというように腰を浮かせた。
「あの、もしご迷惑でなければ、社外の方が……」
もちろん会議室で何の問題もないし、むしろそうすべきなのは分かってはいたけれど、これは最後の我儘のつもりだった。彼にそっけない態度を取られた分の埋め合わせを次長に求めていたのかもしれない。筋違いにもほどがある。
けれど次長は何も言わず座り直して、スマホを取り出した。何かを調べて、机の上にあったメモ用紙に書き記した。
差し出されたメモを受け取って見ると、時間と住所、店名らしきものが書いてある。
この時間にここに来いということだと理解した。
「大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
席には戻らず、トイレに入った。
書かれている店名を検索してみる。
すぐにヒットはしたけれど、有名なグルメサイトにも住所と電話番号程度の情報しか出ていない。
次長とは一度二人でゆっくりと話してみたいと思っていた。何か美味しいものでも食べながら、あるいはお酒でも飲みながら。
それが最後の最後に、こんな形で実現するなんて。
もっと楽しい話題で実現すればよかったのに。
せめて次長の前で醜態だけは晒さないようにしよう。
そう自分に言い聞かせた。