(3) 雨宿りから3
傘半分?
そんなことを言う男は嫌いだった、――はずだった。
でも、お言葉に甘えた。
チャラそうではあったけれど、悪い人間ではなさそうだったから。
男の人と相合傘なんて、いつ以来だっただろう。
胸の前で両手をぎゅっと握り締めて、俯き加減のまま無言で歩いた。
「エレベータの前とかで、ほら、一階のエントランスで、何度か見かけたことがあったんですよ」
「そうですか」
こちらには見覚えはなかった。
多くの企業が入居しているオフィスビルだ。会社の垣根を越えて合コンなどをしている社員もいるようだけれど、参加したことはない。他社の人との交流は皆無だった。
「で、チャンスだと思って」
「はい?」
思わず左上を見上げた。
傘を持つ太い腕の向こうに横顔があった。
日焼けした顔の中で、さらに耳を真っ赤にして、正面を見据えたまま歩いている。
「ずっと、話かける機会を窺っていたんだけど、なかなかなくて」
これはもしかして、今、口説かれているのか――?
彼の、傘を握る腕に異様な力が入っているのが分かった。
こちらの肩に腕が当たると、慌てて離れる。それでも傘は離れない。
ふいに恥ずかしさがこみ上げてきた。
自分の耳も真っ赤になっていたかもしれない。髪が長くてよかったと思った。
ビルに着いたとき、びしょ濡れだった彼の左肩を今でもよく覚えている。
ハンカチを出して、その肩を押さえるようにして拭いてあげたけれど、そんなものでは全然足りないほどの濡れようだった。
彼はとても恐縮した様子だったけれど、こちらこそ心底申し訳ない気持ちになった。
エレベータを待つ間に食事に誘われて、だめだと思いつつも、彼の濡れた肩を思い、一度きり食事をするくらいならと、つい承諾してしまったのが最初のデートだ。
その後、罪悪感を引き摺りながら、ずるずるとつき合いを続けてしまった。
学生風という第一印象も、歳上という第二印象も、どちらも間違ってはいなかった。
まだ大学に籍を置いたまま、先輩の会社でアルバイトだか契約社員だかよく分からない立場で仕事を手伝っているということだった。二浪して入った最初の大学を七年で卒業して、今の大学の大学院に進学して四年目らしい。
「現役で大学に入って、四年で卒業したとすると……、社会人九年目かな。わたしより四つ先輩ってことですかね」
「え?」
「何か?」
「いや。あの。何でもない」
「今の、明らかにわたしの年齢が想像と違ってたっていう反応ですよね。もっと若いと思っていたのか、もっと歳上だと思っていたのか、どっちです?」
「そんなこと、いや、えーっと……」
「どっちにしといた方がいいかシミュレーションしてます? してますよね?」
どちらにせよ女性に対して年齢の話題は振らない方が平和だと、このときの居酒屋のカウンタで学んだと、のちに彼は笑っていた。
彼は歳上とはいえ学生でもある。こちらはビニール傘一本買うのを躊躇する程度のOLだ。高い店には行けなかった。会社の近くでは人目が気になるということを遠回しに伝えて、少しだけ電車で移動することになった。割り勘でという約束で入ったのは、彼の大学の研究室の教授が焼酎をキープしているという居酒屋だった。