(1) 束の間の再会
法律上、歳を取るのは誕生日当日の午前零時ではなくて前日の午後十二時、つまり二十四時なのだそうだ。
当日の午前零時も前日の二十四時も同じではないかと言いたくなるが、この規定のおかげで二月二十九日生まれの人も四年に一回ではなく毎年公平に年齢を重ねるはめになっているらしい。
そう教えてくれたのは二月二十九日生まれの部下だ。彼女は、そんな法律がなかったら自分はまだ小学校低学年だったのにと愚痴ったので、それは違うだろうと突っ込んだ。
「仮に毎年でないにしても、四年に一回、まとめて四つ歳を取るだけなんじゃないのか」とも。
その彼女の担当先からのクレーム対応のフォローに手を取られ、ランチに出るのが遅れてしまった。この時間になると目ぼしい店はどこも行列の長さを競い合っている。通行人に片っ端から声を掛けている弁当屋にも気は進まない。
仕方ない。今日もコンビニで済ませるか——。
コンビニエンスストアの強みはこういうところだ。食べたいものが明確なときにコンビニに行けばあるというだけに留まらず、欲しいものが明確でない場合でも、行けば何かしら妥協点が見つかるだろうと当てにできてしまうところ。
人の存在価値にも似たような側面がある。障害や問題点が明確な場合に、的確なアドバイスや解決方法を与えてくれる人間は重宝される。が、何が問題なのかすら見えてこない状況下や問題の本質を見誤っているときに的を射てくれる人材は、さらに希少価値が高い。
「
昼休みのオフィス街の混沌とした雑踏の中、聞き覚えのある声に呼ばれて足を止めた。
女性から君付けで呼ばれたのはいつ以来だろう。その声と呼び方から、瞬時に思い浮かんだ人物が一人。
まさかと思いつつ振り向いた見知らぬ顔だらけの雑踏の中に、スポットライトを浴びたかのように浮かび上がる顔がひとつ。
筋肉がこわばるのが分かり、名前を呼び返そうにも声が出なかった。
「やっぱり。各務くんだ」
こちらの動揺など気に留める様子もなく、人違いでなかったことを喜ぶ子どものような屈託のない笑顔に、時間が一気に遡った気がした。
繊細なビードロのごとき透明感と深い奥行きを併せ持った茶色の瞳は、長い睫毛とはっきりとした二重瞼が相まって
淡い色の唇。口元の小さなほくろ。
ビルに反射した陽光が天使の輪を描く艶やかな栗色の髪をうしろに束ね、学生時代にはほとんど見せたことのなかった額を露出している。
ノーメイクのようなナチュラルさは、化粧が上手くなったということだろうか。
白いシャツに黒のパンツスーツ。飾り気のないネックレスが唯一のアクセサリ。
そして、会わなかった時間ずっと紫外線を避けて生きてきたかのように白い肌。
そんなものを瞬時に観察してしまったのは、目を背けたかったからもしれない。平等に歳月を重ねてきたことは間違いない。それでも、あの頃と全く変わらないものから。それは目に見える何かではなく、心の奥底に仕舞い込んでいた《《思い》》のようなものだ。
「ごめん。時間がなくなっちゃった」
口を挟む余地もなく、慌ただしく名刺とペンを取り出すと何かを書き込む。
見れば、裏に携帯電話の番号が記されていた。昔登録したままになっている番号は、もう変わってしまったということだろうか。
「またね」
こちらの反応など気に留める様子もなく、それだけ言うと足早に雑踏の中へ溶け込んでいく。
一方的なところも変わらないな——。
まるで
そのうしろ姿が完全に見えなくなると同時に、また時間が戻って来た。存在すら忘れられていたエキストラのような雑踏が、再び喧騒を取り戻す。
自分がひと言も発しなかったことに思い至り、長い歳月を経てなお彼女との間に生まれた新しい後悔を、小さなため息と共に吐き出した。
またね?
いやいや。そんな社交辞令に何かを期待してしまうのは中二レベルだぞ。それじゃああいつと初めて出会った頃よりもレベルが下がってしまっているじゃないか——。
苦笑しながら、自分も雑踏の一部に戻って歩き始める。
彼女と最後に会ったのは大学の卒業式だ。十五年振りの再会ということになる。
赤ん坊だって高校生になる歳月。それだけの時間を別々に歩いて来た。それに比べれば二人の歩みが重なっていた時間など、ほんの一瞬に感じられる。
だが、費やした時間の多寡が重さを決めるわけではない。無為に過ごした長い時間よりも、濃密に生きた一瞬の方が尊いはずだ。そして、その尊さは結果の如何にも左右はされないはずだった。
まあ、それは自分がそう思いたいだけのことかもしれないが——。
ちょうどコンビニの前に着いたとき、携帯電話に着信があった。
会社の番号だ。嫌な予感しかしない。
「はい。各務です」
かろうじて思い出の