63.額にキス…?
(このひと、自分がイケメンだってわかっているわよね。笑顔が破壊力だもの)
「あの、ありがとうございます。有吉さんのおかげです」
「たいしたことはしていないから、礼なんていいよ。発売日が楽しみだね」
なぜか有吉はエレベーターに乗らず、自動的に扉が閉まってしまった。
目線が合うくらいのところまで戻ってきたら、首を傾げてちひろにこう問いかける。
「そうだ。食事に行こうっていう約束。いつにしようか?」
そういえば、そんな話をしたと思い出す。
「私、ちょっと金欠なので、もうちょっと待ってもらってもいいですか?」
「いや、ちひろちゃんに奢ってもらうつもりは……」
「来月のお給料日あとなら大丈夫です。タマゴサンド、楽しみですね」
有吉が目を泳がしたまま、無言になる。
(あれ? タマゴサンド、嫌いなのかな?)
しばらく謎の間ができて、どうしたものかなと思っていると、オフィスの扉が開いて低い声が割って入ってきた。
「こんなところで何をしている。もう気の早い奴から、フィッティングレポートが出始めたぞ」
逢坂が現れ、ちひろと有吉を交互に見る。
「あ、はい! すみません! じゃあ有吉さん。ほかに食べたいものがあったら教えてくださいね」
「……いいよ。じゃあ。営業に行ってきます」
有吉は苦笑いと浮かべて、片手を上げた。
背を向けて、エレベータに乗り込む。
有吉の姿が見えなくなると、逢坂が面白そうな顔で、くっくっくっと喉を震わせ笑っていた。
ちひろは何ごとかと逢坂の顔を見る。
「あの有吉もかたなしだな」
「どういう意味ですか?」
意味がわからずキョトンとするちひろに、逢坂は楽しそうに笑う。
(逢坂社長、笑うとなんだか……)
間近で彼の端正な顔を見ると、あの日のイケオジを彷彿としてしまう。
サングラスを取って無精ヒゲを剃れば、もしかしたら赤い薔薇のおじさま以上に格好よくなるのではなかろうか。
(あれ以上格好良くってのは難しいかな。でも逢坂社長は逢坂社長で、すっごくイケオジなんだよね)
意識せず彼をじーっと見つめていると、逢坂の顔が突然近づいてきた。
(え……?)
ちひろの額に、彼の形のいい唇が触れた。
無精ヒゲも一緒に掠めてくるから、くすぐったくて肩をすくめてしまう。
(額にキス……?)
一瞬何をされたのか理解できなかった。
額とはいえ、なぜ彼にキスされるのかさっぱりわからない。
放心状態で逢坂の顔を見ていると、彼は特段何もないといった顔で、ちひろの頭をポンポンと叩いてきた。
「……行くか。次は販売促進計画だ。これをしくじると売れるものも売れなくなる。気を引き締めてかかれよ」
「は、はい……」
いつもの厳しい逢坂に戻ってしまい、ちひろは残念に思う。
(当たっただけとか? ええ……?)
釈然としないというか、曖昧としているというか。
どっちかつかずになってしまい、ちひろの脳内がモヤモヤしてしまう。
(なぜキスしたんですか? なんて訊いたら自意識過剰だって言われるかな? 恥ずかしくて訊くに訊けない……)
逢坂の広い背中についていくが、心に沸き上がる疑問はちひろひとりでは解消できそうになかった。