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真理が嘶く馬の鼻先を撫でて笑うのをみると、アレックスもニコニコしてしまう。
ガンバレン国の停戦合意の拒否を受けて、アレックスはもちろん、世界中が静かに、だが慌ただしく動き始めた。
アレックスも国境警備の交代部隊と一緒にウクィーナ国へ出発することが決まった。
出発前の最後のデートにとアレックスは彼女を王室騎兵隊の練習用の馬場に連れ出したのだ。
襲撃事件以降、自分に気を使ってか、あまり外出しなくなった彼女の気分転換も兼ねてだ。
真理はそんなことはない、WEBプログラミングの仕事が立て込んでいるからだ、と言い張るが、アレックスは真理のほんの少しの変化も気になってしまう。
真理を襲った犯人は、自分単独の犯行だと言い張り、彼女がただアジア人だから狙ったという、人種差別を動機とした通り魔的な犯行を自供した。
ヘルストン警視庁もかなり追求したが、結局それ以上は何も材料は出てこず、アレックスもテッドも釈然としないながらも、単独犯の傷害事件としての起訴で終了した。
「アレク!可愛い!鼻を擦り寄せてくれるのね!」
真理は馬の鼻面に頬を寄せながら、はしゃいだ声を上げた。
その姿に頬を緩める。
アレックスは乗馬が得意だ。幼少の頃から乗馬をはじめ、障害競技やポロをするぐらいの腕前だ。
軍人になろうと思ったきっかけは、王室騎兵隊に入隊したいと思ったのも理由の1つだった。
幼い頃に母親と一緒に競馬を観てから、走る馬の美しさに魅入られて、ねだりにねだって、ポニーを8歳の誕生日プレゼントにもらって以来、乗馬に夢中になった。
「俺が18の時から乗ってる相棒のウィンザーノットだ。騎兵馬としては引退してるが、新人の訓練などにはまだ協力してもらってるんだ」
「そうなのね、とても賢くて優秀なのね」
真理は、綺麗なたてがみと言いながら、愛でるようにたてがみから首すじにかけて撫でてやると、王子の相棒は嬉しそうにブルルッと鼻を鳴らした。
ウィンザーノットはアレックス自慢の軍馬だ。漆黒の毛艶に逞しい骨格で、走る姿は優雅で美しい。ここ数年はたまにしか駆ることが出来ないが、自分の大事な相棒だ。
アレックスは黒髪に漆黒の瞳を持つ恋人と愛馬をニヤニヤしながら見つめて、さて、と真理の肩を抱き寄せる。
「真理、今日は一緒に乗馬しよう」
その言葉に好奇心旺盛な彼女は眼を輝かせた。
ラクダと象とダチョウは観光がてら乗ったことがあるが、馬は初めてという真理。
もちろんアレックスは下心ありありで選んだデートだ。
二人乗り用の鞍を付けたウィンザーノットに颯爽と跨ると、真理はほぉっと目をキラキラさせる。
恋人からそんな風に見られると、ちょっと得意げになってしまうのは止められない。
「はい、俺の手に掴まって、その鐙に片足をかけるんだ」
言って手を差し出す。
彼女がその通りにやったのを確認すると、アレックスは真理の身体を軽々と引き上げ、自分の前に座らせた。
ウィンザーノットは慣れたもので大人しくしている。
「うわぁ、高い!アレク、風景が違うわ!」
真理がはしゃいで振り返って自分を仰ぎ見るから、アレックスも嬉しくなってしまう。
愛らしい唇にチュッとキスをすると、途端に赤くなった。
「真理、可愛すぎ。ほら、前のこれをしっかり握って。怖くないか?」
「全然、アレク。すごい!」
アレックスは、真理の背中をしっかり自分の胸の中に囲うと手綱を握った。
「OK、じゃ歩くよ。ウィンザーノット、行くぞ」
アレックスの合図に馬がゆっくり歩き出す。
「姿勢は真っ直ぐ、坐骨の中央に真っ直ぐ腰を落としてるイメージで。肩の力は抜いて。俺がいるから大丈夫だから」
カポッ、カポッとゆっくり歩きだして程なく、アレックスは真理がセンスが良いのに気づいた。
「君は上手いな。今度はすこしスピード出すから、身体が揺れるリズムをウィンザーノットに合わせて」
真理が楽しそうに、はい、と頷いたのを合図に、アレックスは馬の歩を早めた。
自分の胸の中で、真理がはしゃいでいるのが愛しい。
爽やかな青空の下で二人で、頬に触れる風の心地良さを堪能し、遠くに見える風景を眺めて、たくさんの他愛もない話をしながら、乗馬を楽しんだ。
馬場を何周かした後、馬の体力を気遣って馬から降りると、真理はありがとう、とウィンザーノットの首筋にキスをする。
途端、ウィンザーノットが嬉しそうに大きく嘶いて、アレックスも笑ってしまった。どうやら彼も真理に恋したようだ。
「アレク、人参はあげなくて良いの?」
真理は馬から離れがたいようで、鼻先を撫でながらそんなことを聞く。
少々ムカついたのは気のせいか・・・人参は夕飯だからまだ早い、と言って、真理の手を引いてウィンザーノットから引き離してしまった。
そして、晴れ晴れとした彼女の笑顔に堪らず、抱きしめると、耳元で甘く呟いた。
「楽しんでくれて良かった。今夜、復習だからな」
「えっ???」
言われた意味が分からず、キョトンとした真理にアレックスはうっそりと笑った。
男なんて不埒な生き物なんだ、と思いながら。