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猫がミルクを舐めるように、ぴちゃぴちゃという水音をわざと立てられる。この音は卑猥だといつも真理は思うが、やめさせることができない。
しかも今日は、ことのほか執拗だ。
アレックスが耳朶の熱傷を舌先で舐める。
ピリッとした痛みが走って、思わず「んっ・・・」と声を漏らしてしまった。
こうなってしまったのは、仕方がない。
感の良いテッドに自分を囮にしたか?と尋ねられて、どうしても犯人を知りたくて、自分から路地に誘い込んだことを洗いざらい白状させられた。
その時のアレックスとテッドの反応たるや・・・。
そして、当然ながらテッドが応接室を出た後、そのままソファーに身体を沈められた。
ここはプライベートスペースじゃない、第二王子の執務スペースなのに、アレックスは止まらなかった。
抵抗する真理に、かなり怒った目で「熱傷を全部確認させろ」と、強要したのだ。
化学薬品による熱傷はたくさん薬品を浴びてしまうと取り返しのつかない大怪我になるが、今回は幸いにも飛沫に触れた程度だった。
すぐに水で徹底的に薬品を洗い流したことが幸いして、今は赤みと軽い腫れ程度。水泡やただれにはならなさそうとの診断だった。
医師の処置も感染症と炎症を起こさないための薬の内服と、熱傷に軟膏を塗るようにとのことだった。
何を思ったのか分からないが、アレックスはその熱傷を全て唇で辿っている。
Tシャツを捲り上げられて右の脇腹の小さな腫れに啄ばむようなキスをし、スカートをずりあげては、太ももの赤みを吸い上げる。
左手の指先は少し皮が剥けたところをしゃぶられ、そして左の耳朶は何度も赤みを舐めあげる。
一度で終わらないそれは、真理の身体を抱きしめて何度も続いた。
セクシャルな愛撫とは違うそれに、はじめは戸惑ったが、やっと熱傷の確認に気が済んだのか、アレックスが身体を起こして、真理の肩に顔を埋めた時に、あぁと真理は納得した。
心配をかけ過ぎてしまったのだ。
熱傷を癒すように舐めることが、どうして、その心配を払拭することに繋がるのかは分からないが、彼なりの心のバランスの取り方なのかもしれない、と感じた。
壊れ物を扱うかのように、そっと抱きしめられる。
アレックスは、やっと顔を上げると唇を合わせて来た。
優しく頬を撫でられながら唇をちゅっちゅっと啄ばまれる。真理が耐えきれず口を開けると、今度は急くように荒々しく舌が入ってきて、あっという間に絡め取られた。
舌を吸われて口蓋を擽られて、閉じた瞼の裏がジンと濡れてくる。気持ち良すぎるキスに眦から生理的な涙が溢れると、アレックスはキスを解いて、その涙を吸い取った。
「ごめん、ごめん。真理」
彼の口調が震えてて、本当に真理は後悔した。
自分もアレックスの背に腕を回し、柔らかく抱きしめると彼は顔を起こす。
「私が悪いの。勝手なことしてごめんなさい」
そう返すと、彼は真っ直ぐに真理を見つめて。
違うと頭を左右に振った。
「俺は凄く矛盾しているし情けない」
言いながら頬を撫でられる。真理はすりっとその手に、自分の指を添えた。
「君を守るといいながら、危険な目に合わせてばかりで・・・自由にしろ、行動は縛らない・・・そう言いながら、君を束縛したくて堪らない」
じっと彼を見つめて続きを待つ。苦しそうなアレックスの顔にただただ、ごめんなさい、と思う。
もう今までの自分ではいけないのだ、そう気がついた。
自分を取り巻く環境は少しづつ変わっている。
「君はたった一人でタフな世界で生きてきて、俺の助けなんか必要ないのは分かってる・・・でも・・・俺の世界は君にとっては危険過ぎて・・・俺のせいで君が傷つけられるのは嫌なんだ、だから俺は君を守りたくて・・・閉じ込めてしまいたい」
君を危険に晒したくない・・・切なく呟かれて、また唇を奪われる。
ひとしきりのキスの後、眼を開けて彼を見れば、酷く苦しそうな顔で。
真理はもう一度ごめんなさい、と囁くと、また謝るな、違うと言われて。
「真理は自由でいいんだ、ただ・・・俺に守らせて・・・無茶してまで・・・自分を傷つけてまで・・・自分を犠牲にしてまで・・・なにもかも解決しようとするな。ほんの少しで良いから、俺を頼ってほしい」
——君が少しでも傷つくのは耐えられない—-
狂おしく乞われて、真理は頷いて彼の頬に触れた。
真っ直ぐに彼を見る。
お互いに謝ってばかりではいけないと思うから、自分の気持ちを伝えたい。
「私のことを大切にしてくれてありがとう、アレク。自分の好きなようにするけど、これからは私も気をつける。私を守ってくれる人がいるから、無茶はしないと約束するし、貴方もテッド様も護衛の方も、何かあったら必ず相談する。だからアレクも私を守れないと自分を責めるのはやめて」
そう言うとアレックスが息を一瞬飲んで、そしてホッとしたように笑んだ。
「ありがとう、真理。俺も気をつける」
身体を起こしてソファーに座りなおすと真理も抱き起こされる。乱された洋服を直す彼の手に触れて、真理はくすくすと笑った。
「アレク、私達、いつもお互いに謝ってばかりだわ。守れなくてごめん、私もごめんなさい、そう言ってばかり。謝るのではなく、お互いに感謝しましょう」
真理はそう言ってアレックスの手をギュッと握ったのだった。