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七十一話 血脈

 遠くで名を呼ばれた気がして、重い瞼を持ち上げた。それでもまだどこか夢見心地で、自分は死んだのではなかったかなどと、ぼんやりと考える。
 視界に揺れる炎が映った。火のついた蝋燭が刺さった燭台が二本、正面に置かれている。無駄に広い部屋の床板に座らせられているようだ。手は後ろ手に、足は胡座をかいた状態で縛られている。
声をだそうとしたが出ない。喉に布が巻かれているようだが、猿轡をされているわけでもない。なのにどうして? ……ああ、出せる訳がなかった。声は自ら捨てたのだから。
 生野は、揺れる炎を見ているうちに、次第に意識がはっきりとしてきた。体の熱はかなり引いている。限界を越えて『呪言』の力を用いたのに、熱が引いているということは、誰かが生野の体を外から冷やしたのだ。それ以外にない。
 ところで、あの女はどこだ? 闇の中にじっと目を凝らし目的の相手を探す。お礼を殺した相手だ。切り札の『呪言』を使い、命の灯が消えかかっていたお礼が、いかに興奮状態に陥っていようと、貴重な時間を割いてまで、無力な女を襲っていた訳がない。
 お礼はあの女が危険な存在だと判断したのだ。おそらく、あの本丸の屋根の細工を考えたり、狂節の呪いの対策を施したりして、自分たちの邪魔をし続けたのはあの女に違いない。
 なによりあの女は、数年ぶりに友の手を掴んだこの右手を斬りつけたのだ。背中に回されているので眼で確認することはできないが、自分の右手の甲に軽い痛みがあるのと、両手の指を動かせないように、布により手を握った状態で固定されているのを感じる。
 結果的に裏切ることになってしまった友、風魔の煎十郎。やっとの思いで掴んだ友の手を、手を傷つけられたせいで放してしまったのだ。信じられぬものを見たような顔をして落ちていく友の顔が、いまもはっきりと思い出せる。
 悔やんでも悔やみきれない。小田原攻略が失敗したいま、まだ命があるうちに、あの女だけでも殺したい。
 そう念じる生野の前に姿を現したのは、あの女ではなかった。壮年とは思えるのに、それでもなお美しい男。


「いや久しぶりだな、生野殿。確信はしておったが、見事に美しく成長なされた」


 思いがけない言葉に、生野は相手の顔をまじまじと見つめる。そう言われると確かにどこかであった気はするが、思い出せない。


「わからぬかな。まあ、もう十年になるからな。憶えていなくともしかたないかもしれぬ」


 そう言われて、生野はようやく目の前の顔の記憶に思い至った。
 行商人だ。京で生野が入りこんだ家に、商品を売り込みに来ていた、生野が八犬家に愛着を持てるきっかけを作った、あの行商人だ。
 生野の表情で思い出したことを悟ったのだろう、男がとても嬉しそうな顔をする。


「おお。思い出してくれたようだな。……さて、思い出してくれたところで、貴殿のいまの状況や、拙者とその一族が貴殿の戦いにどう関わったのか話したいのだが、構わないかね? おそらく貴殿がくびり殺したいと考えている娘のことにも大きくふれることなんだがね」


 男を睨みつつも生野は頷いた。どちらにしろ自由を奪われているうえに、生野自身が口をきけないとあっては、相手の話を聞く以外になにもできない。


「まず、名乗っておこう。拙者のいまの名は一夜幻之丞。聞いたことはないと思うが、一夜と言う忍びの一族を束ねる者だ。乱波と呼ばれている風魔とはまったくの別物と考えて頂きたい。もっとも、拙者らのやっていることは商人と呼ぶ方が近いかもしれんがね」


 幻之丞は自嘲するような笑みを見せる。


「さて、なにから話そうか。……そうだな。まずは、我ら一夜衆が八犬士と北条家との争いに関わることになった経緯から話そう。そして貴殿の眼の届かぬ所で起きた出来事もな」


 幻之丞はできるだけ簡潔に、一夜が八犬士の戦いに参加した経緯や他の八犬士の身に起きたこと。派遣した乙霧が生野を一夜の里に連れてきたことなどを、自分で見てきたかのように話して聞かせた。
 生野は他の八犬士の死に様を聞かされた時には、涙を流してしまいそうになるのを懸命に耐えながら、幻之丞の話を最後まで聞いた。


「貴殿にも疑問や質問があるだろうが、貴殿は話せぬし、手を自由にさせるのも不安だ。こちらで勝手に聞きたいことを推測させてもらおう」


 生野は顔を背ける。疑問に思うことは確かにあるが、一番の目的である一族の立場回復を果たしたからには、他のことなど聞かなくともよい。小田原を落せず残された者たちの立場を固められなかったのは残念だが、あとは彼ら自身がなんとかするであろう。いまは、一刻も早く最後の八犬士として、あの女にけじめを取らせた上で、先に死んだ仲間の元へと旅立ちたいという想いだけ。


「そうつれなくするな。我ら一夜は八犬士の小田原攻略は邪魔したが、替わりに里見家での立場回復には力を貸したのだぞ」


 生野は驚きのあまり顔を幻之丞に戻した。


「貴殿ほどの者なら、疑問に思っているだろう。義弘様が条件付きとはいえ、貴殿らが小田原攻略の下準備しかしていないうちに、八犬家の解放を決断したのはなぜかと。
 里見家の三船山での勝利。義弘殿の奇襲が決め手であった。その奇襲を成功させるために必要な情報を、我ら一夜が売ったのだ。求めた対価は八犬家の解放。
 ちなみに家名を変えさせることを提案したのも我らであるし、義堯様の反対を抑えるために、義堯様の側に侍る者に口添えをさせもした。一族の解放ということに関しては、恩人と感謝してもらっても良いくらいだ」


 生野は眉をしかめて、幻之丞の目を直視する。嘘を言っても見抜く。目がそう言っていた。


「信じられぬか。そうであろうな。少なくとも貴殿らに我らに助けられるような理由はない。だが、我らには助ける理由がある」


 幻之丞が遠くを見た。


「八犬家の初代が里見の姫を嫁として以降、二代目から四代目まで、ほとんどの場合家督を継ぐ者は八犬家の中から嫁をとった。四代目からは女子に限りがあったから、貴殿の母のように複数の家の子を産んだ者もいる。どちらにしろ八犬家の血の繋がりが強まったことには変わりはない。だが、そんな中で唯一の例外があった」


 幻之丞は笑顔で生野を見る。生野の顔が青ざめていた。


「どうやら、知っておるようだな。そう貴殿の犬坂家だ。二代目の犬坂毛野(けの)胤才(たねかど)。彼だけは、八犬家の外から嫁をとった。その娘はたいそう美しい女子であった。
 さて時は流れ、犬坂家の三代目には女子が一人しか生まれなかった。貴殿と貴殿の妹同様、子供の時分から美しく周囲を惹きつける魅力を持っていたが、悲しきことに五歳の時に神隠しにあった。その娘が驚いたことに十数年後に戻ってきた。わざわざ八犬家が監禁されたあとにだ。美しさと魅力に磨きをかけ、さらには腹に子供を身籠った状態でな」


 幻之丞が大げさに両腕を広げる。


「よくぞ戻った。お智予(ちよ)の息子よ。本来ならば貴殿と貴殿の妹も、子供のうちに一夜の里に迎えたかったが、お主は八犬士の血が濃く現れすぎ、妹は警備が厳重すぎたのだ。情報程度は出せても、お主以外の子供を外に出すのには無理があった……許せ」


 生野はあまりにも突拍子もない話に眼が回る思いであった。

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