23.社長自らコーヒーですか?
社長室が別にあったようだが、ここにあるデスクは彼の仕事用だろうか。
「君の席はそこだ」
ちひろは、指示された席に視線を移した。
彼のデスクが中央にあり、残りの机は向かい合わせで一列に並ぶような配置になっている。
ちひろのデスクは、ちょうど逢坂の手前だ。
ピカピカのデスクに新品の椅子。
最新のノートパソコンがデスクの上に置かれていた。
(もしかして私のために新しく用意してくれたの? 嬉しい……)
これまで誰かのおさがりパソコンしか与えてもらわなかったちひろは、この配慮に心が高揚するのを感じた。
椅子に座り、温かいコーヒーを一口すする。
ほろ苦いアロマが口腔内に広がり、なんとも言えない気持ちになる。
(おーいしーい。……あ、でも待って……)
ちひろはどうしても気になったことがあり、立ち上がると逢坂のデスクの前に立った。
彼はコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。
デスクの上にはたくさんの新聞があり、その中には英字の新聞もあった。
「あの……」
「どうした?」
「こういうお茶出しって、新人の女性がする仕事ではないんですか? 社長が淹れてくれるなんて驚きです」
ちひろは真剣に問うたのだが、当の逢坂は、くっくっくっ……と喉を震わせて笑うだけだ。
(なぜ笑うの? そんなにヘンなこと訊いたかな?)
逢坂は新聞をバサリと折り畳み、デスクの上に置いてから答えた。
「掃除やお茶出しが女性の仕事なんて、いつの時代の話だ。君が以前勤めていた会社は、昭和の香りがするようだな。もう令和だぞ? 切り替えてくれないか」
令和の年号になったことくらい、ちひろだって知っている。
それも平成を通り越し、昭和の香りなどと言われるなんて心外だ。
しかし逢坂は、ちひろの面食らった顔など気に留めず言葉を続けた。
「男だろうが女だろうが、自分の飲み物は自分で用意する。うちの会社は八割が女性。管理職も女性だ。数少ない男にお茶出しのサービスをするくらいなら、仕事をしてくたほうが何倍も助かる」
「管理職も女性……ですか?」
やけに女性の多い会社だなとは思ったが、管理職まで女性なんて驚愕するしかない。
そのような会社だというのなら、郷に入っては郷に従え、そのとおりにすべきだろう。
「……はい。わかりました。失礼します」
ちひろは大人しくデスクに戻って、温かいコーヒーを飲んだ。
自動販売機で買う甘ったるいコーヒーや、粉っぽいインスタントコーヒーとは違う、酸味と渋みが折り重なった深い味。
このコーヒーは、ちひろには少し早いような気がした。