12.慌てて高級ホテルから逃げ出しちゃいました
「私、シ、シちゃった…の? 酔っぱらって全然記憶がないんだけど……」
ギシ……と何かが軋む音がして、ちひろの身体がビクッと飛び跳ねる。
イケオジがベッドで寝返りを打った音だ。しかし彼は起き上がることなく、そのまま寝息を立てる。
「どうしよう。覚えていないのに、恥ずかしい……」
ちひろはベッドの脇に落ちている下着や衣類を拾い上げ、慌てて身につけた。
(やっぱり可愛くないパンツだわ。こんなのおじさまに見られちゃうなんて……)
ちひろは物音を立てないように、こそーっと部屋から出て行く。
そのままエレベーターに乗り込み、エントランスを抜けてホテルをあとにした。
しばらく歩くと、ピタリと足を止める。
大事なことに気がついて、勢いよく振り向いた。
夕日を背にして高くそびえる高級ホテルを見上げる。
「酔ってクダを巻いたのは私……おじさまは慰めてくれただけだし、愚痴もいっぱい聞いてきれた。それに……」
彼も失恋したばかりだというのに、ちひろにばかり優しくしてくれた。
それなのに、逃げるようにして出てきてしまってもいいのだろうか?
「戻って連絡先聞いたほうがいいかな。バーの飲み代どころか、ホテル代も置いてこなかったもの。これじゃああんまりだわ。非常識だと思われてしまう……」
ちひろは、たった今歩いてきた道を戻ろうとして、ピタリと足を止める。
「散々妙なこと叫んじゃったし……恥ずかしくて、おじさまの顔を見られないわ。会いたいけど会いたくない……。どうしよう……!」
ちひろはその場にしゃがみ込み、ああだこうだと唸り出す。
通りすがる人たちに怪訝な顔で見られても、ちひろは頭を抱えるしかなかった。
§§§
結局のところホテルに戻る勇気はなく、ちひろはそのままとぼとぼとアパートへと戻った。
しばらく抜け殻みたいにボーッとしてしまう。
時々、ステキなバーで優しいおじさまと過ごした夢のようなときを思い出して、ニヤニヤしたり反省したりを繰り返す。
そんな日々を過ごしていたが、翌週、地の底まで落ち込む事実が判明した。
どんなに待っても、ボーナスどころか一円たりとも給与が振り込まれないのである。
ようやく社長に騙されていたのだと確信し、ちひろはドン底まで気が滅入ってしまう。
(もう何もやる気がでない……騙されるのってダメージ大きすぎる……)
つまりは無一文で無職な状態へと突入してしまったのである。
ちょうどその頃、元同僚の女性からメッセージチャットに連絡があった。
【ちひろ、ハローワークに行った?】
【まだ行っていません。行かないととわかってるんですけど、なかなか仕事を探す気になれないんです……】
そう返すと、すぐさまお怒りスタンプとともに返事がきた。
【失業保険の手続きはしたの?】
【えっ? 失業保険?】
【どうやって暮らしていくつもりなのよ。すぐに申請しなさい】
親切な同僚から、これからの手続きのことなどを聞いて、やっと自分の今の状況が飲み込めた。
(そうだわ。落ち込んでなんていられない。新しい仕事を探さなくちゃ)
失業保険をもらいながら、早く次の仕事を探さなければ、生活費があっという間に底をついてしまう。
【明日の月曜、必ず行きなさいよ! もしかしたら、失業保険が貰えない可能性もあるみたいだから】
【どういう意味ですか?】
【あのね……どうも一部の社員が、失業保険を貰えないみたいなの】