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三十八話 攻城準備

 せめて明日までもってくれれば……。
 小三治は明日の小田原城攻めに、必ずしも必要な『呪言』を使う八犬士ではない。それでも、いやだからこそ明日までは生き残り、皆が目的を果たせるように、皆を守りたいのだ。


「吉乃、もうすぐ城の北西にでる。ちゃんとついてこいよ」


 痛みをこらえ、今回の作戦で行動を共にしている吉乃に声をかけるが、返事が返ってこない。不思議に思って振り返ると、ついてきているはずの吉乃がいなかった。


「あの馬鹿!」


 小三治は慌てて、自分が踏み分けてきた来た草木をもう一度踏み荒らして引き返す。
 そう離れてはいない場所に吉乃はいた。月明かりに照らされる小田原城の天守閣を、ぼんやりと眺めている。
 大きくため息をつき歩み寄った小三治は、吉乃の腕を引く。


「こら吉乃。仕事を終える前に敵に見つかると面倒だろうがよ。そんな見晴らしのいい所にいるな」


 小三治が力を入れるが、吉乃はまったく動かない。顔は大きいが体は小さい小三治では、巨漢の吉乃を力ずくで動かすのは難しい。
 小三治は腕を引っ張るのをやめ、吉乃の尻を蹴りはじめた。


「もう少しなんだからよ。頼むからしっかりしてくれ。約束したじゃねえか。生まれてくる子供の為に、一緒に自由を手にいれてやろうってよ」


 小三治はぼろぼろと涙を流し訴える。小三治の姉はいま子供を身籠っている。吉乃の兄の子供だ。小三治の犬田家の男子は小三治一人だけだったが、姉が子供を二人産んでくれれば、一人が犬田家を継いでくれる。そう考え小三治はこの命を捨てる戦に参加したのだ。吉乃も未来を兄とその子供に託した。二人で誓ったのだ。一緒に産まれてくる子供の未来を勝ち取ろうと。


「呪いになんか負けんじゃねえ。頼むからよぉ」


 泣きながら吉乃の尻を蹴り続けていた小三治の頭に、大きな手が乗せられた。


「ずまん。待だぜだ」


 吉乃が笑顔でそういうと、小三治もつられて笑った。


「まったくだ。馬鹿野郎」


 小三治は、今度は吉乃の手をしっかりと引いて歩き出した。
 暗い山林の中、慎重に歩みを進めていた二人は、探し求めていたモノをみつけた。
 一本の木。幹に『犬』と掘られた大木。


「あった。これだ。お礼姐さんが言ってた木だ。吉乃、ちょっとそこで大人しく待ってろよ」


 小三治は吉乃の手を離し、目印のついた木の根元を見た。


「我、(だい)をつらぬくを、我が命を懸けて心に誓わん!」
 
 口を大きく開き、『悌』の半珠が照らすその口の奥深くに、小三治はためらいなく手を突っこむ。指先がちくりと痛み、口の中に嫌な臭いが充満する。吐き気がわき起こると同時に小三治は口から手を引き抜く。


「うげえ」


 木の根元に胃液が滝のように流れ落ちた。小三治の胃液を受け止めた地面が煙をだして溶けだし、拳ほどの大きさの穴ができる。
 小三治は穴の前に四つん這いになり、できた穴の中に直接胃液を流し込んでいく。煙が増え、穴が深くなっていく。
 穴がそれなりの深さになると、小三治は胃液をだすのをやめ、その場に仰向けにひっくり返る。


「だ、だいじょうぶが?」


 吉乃が寄ってきて、心配そうに小三治の顔を覗き込む。


「……ああ。ちょっと疲れただけだ。心配ねえよ。俺の胃袋は特別製だ。
 吉乃、俺のことより穴を見てろ。穴の中の煙が薄まっていたらもうだいじょうぶだからな。そうしたら残りの石棒を中に差し込め」

「わがっだ」


 吉乃は地面に這いつくばって穴を覗きこむ。早く煙を薄くしようというのか、穴にふうふうと息を吹き込んだりしている。
 意味のない行動ではあったが、小三治は苦笑まじりでその様子を黙って見ていた。


「おおう。穴の中真っ暗だ。白いの消えだぞ」

「よし。赤い方を上にして棒を差し込め」


 吉乃は小三治に言われた通りに、『孝』の半珠が中央で輝く石棒を、己の右腕から取り外し、赤色を上にして穴に差し込む。


「珠も土んなが入っぢまっだげど、いいのが?」

「ああ。かまわねえ。でもさきっぽを埋めちゃ駄目だぞ。動かないように周りを土で固めて、固定するだけにしとけって。生野がそう言ってた。……まあ、実際には書いてたんだけどな」

「……そうが。いぐのにぃやが言っだならそうなんだな。いぐのにぃやは、あだま良いがら」


 吉乃が嬉しそうにそう言い、突き出た石棒の周りに土を集め、その土を大きな手でたたいているのを見て、小三治は悲しくなった。


「お前だって、賢かったじゃねえか……」


 『呪言』の力で強化された胃液が体の内側を溶かし削っていく痛みよりも、かつては聡明だった吉乃が、そうではなくなってしまった今の姿を見る方がずっと痛い。
 吉乃は八犬家の五代目の子供たちの中でも年下ではあったが、知恵の利く子供だった。お礼の手先の器用さを見て、泥を使った偽装を進言し、整った顔立ちの子供達を、見張りの里見兵の欲望から守ったのは、まだ物心ついたばかりの吉乃だった。
 一年半程前に八犬家が自由を得る為の方策を手にいれた生野が、八犬家の屋敷へと戻る。
 生野は八犬家に『呪言』の力を授けた。吉乃の犬塚家に託されたのは、中央で赤と青に色がわかれる鉄を引き寄せる不思議な二本の石棒。その二本の棒に『孝』と『提』の半珠をそれぞれはめ込むことにより、二本の棒は強力な磁場を生み出す呪いを有した。
 しかし、呪いの力は強力であるがゆえに、その使用者への負担も甚大であった。二本の棒が作りだす磁界の中に、四六時中いることになる使用者の精神が壊れる。
 吉乃の祖父も父も発狂した。二人とも一命こそ取り留めたが、ずっと寝たきりの状態が続いている。食をとることも満足に適わなくなっているので、そう遠くないうちに彼らも命を落とすだろう。
 だが、吉乃は耐えた。聡明さこそ失われたが、指示をこなせるぐらいの知性は残った。
 それでもやはり小三治は悲しい。家族として、かつての吉乃が失われたことはとても辛いのだ。
 もっとも生野を責める気持ちはない。共に生活した時間は短くとも彼もまた家族。十年以上も里の外にいて、苦しいだけの生活の場に彼は帰ってきたのだ。自分ならば帰ってこないと小三治は思う。心根の優しい男だ。『呪言』の力を八犬家にもたらすことを悩んだだろうし、いまもなお苦しんでいる。


「ごさんじ」


 吉乃の声で小三治は思考をとめる。


「どうした?」

「みんなのとこにがえろ」

「……ああ、そうだな。帰ろう。家族の所に」


 小三治は吉乃の助けを借りて立ちあがった。

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