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駅での出来事以降、警察官に会うために駅前交番に通うようになったのは私だけではなかった。
ホームでのことをクラスメートに話すと若い警察官を見てみたいという友人が増え、今まで素通りしていた交番には女子高校生が遊びに行くようになってしまった。
「シバケンって彼女いるの?」
「いないよ」
私がなかなか話しかけられないでいるうちに友人は気安く話しかけるようになっている。ぎゃあぎゃあと騒ぐ友人の端っこで私は何も言えないまま会話に溶け込みたくて笑っていた。
「うっそー、ほんとにいないの? シバケン可愛いのにね」
「可愛いってなんだよ、君たちもう帰れよ」
シバケンはそんな私たちに呆れながらも笑顔だった。
柴田健人。それがあのとき守ってくれたこの若い警察官の名前だ。いつの間にか誰かが名前を聞き出して、そのうち『シバケン』なんて呼ぶようになっていた。年齢は23歳で彼女がいないということが今わかった。もちろん名前や年齢などの情報は私が直接得たものではない。
この駅前交番にはシバケンの他にも二十代の若い警察官は何人かいた。それでもシバケンは人気者だった。年が一番近くて、笑うと目尻が垂れて、名前の通り柴犬みたいだった。顔だって整っている。恋愛経験の少ない女子高生には必要以上にかっこよく見えた。芸能人よりも現実に近づくことのできるイケメンだ。からかうと照れる反応が見たくてみんなシバケンに話しかける。
けれど私は積極的に話すことはなかった。年上の社会人なのに親しみやすいシバケンともっと近くなりたい。そう思っていたけれど、仕事中にこんな風に気安く話しかけるのは迷惑じゃないだろうかと不安にも思ってしまう。シバケンに鬱陶しがられることは嫌だった。
あのとき助けられたのは私ともう一人の友人だけなのに、関係ない子たちまでもシバケンに気安いのはいい気持ちではなかった。
学校帰りに交番の前を通るときは自然とシバケンを探してしまうようになった。彼がいたからといって私一人のときに話しかける勇気なんてなかったけれど。交番を横切る私に気づいたシバケンは軽く手を上げて挨拶してくれた。
「あれ、今日は一人なの?」
「はい……」
イスに座っていたのにわざわざ立ち上がって交番の外に出てきてくれた。その姿に気持ちが高揚する。
「少し落ち着いた?」
「え?」
シバケンの質問の意味が分からなくて聞き返した。
「駅で怖い思いしてたから、落ち着いたかなと思って」
ホームで酔っ払いのおじさんに絡まれたことを言っているのだと気がついた。
「覚えててくれたんですか?」
「そりゃそうでしょ。ほとんど毎日ここに来てるから顔も覚えるよ」
そう言ってシバケンは笑った。
「また何かあったら言ってきなよ」
「はい、ありがとうございます!」
嬉しかった。私の顔を覚えていてくれたこと、気遣ってくれたことが。
「かっこいいですね……」
思わず声に出た。シバケンはきょとんとして私の目を真っ直ぐに見返した。
「あ、あの、警察官ってかっこいいですね!」
慌てて言い直した。警察官はもちろんかっこいい。けれど今の私の発言は『警察官』に向けてではなく『柴田健人』に向けての言葉だったから。
思ったことをつい言ってしまった。恥ずかしさのあまり私は下を向いた。
「はは……ありがとう」
シバケンは笑った。少しだけ照れているようにも感じた。
「じゃ、じゃあ失礼します……」
「気をつけて帰ってね」
早足になる私の背中にシバケンの言葉が向けられる。そうして最後まで笑顔で見送ってくれた。その笑顔が私の頭の中をますます侵食する。
大人なのに女子高生をまともに相手してくれる優しいシバケンに憧れた。彼の影響で警察に密着したテレビ番組や事件の報道も積極的に見るようになった。シバケンに出会ってシバケン本人にはもちろん、警察組織自体にも憧れるようになった。
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3月になると交番にシバケンの姿がなくなってしまった。授業もほとんどなく学校に行く機会もなくなったから会う確率が減ってしまったせいだと思った。でもそうではなかった。他の警察官に聞くとシバケンは別の交番に異動になってしまったそうだ。
高校生の私には社会の仕組みや警察組織のことなどまだ分からない。シバケンの異動がいいことなのかそうじゃないのかは分からないけれど、私にとってシバケンと会えなくなることは大きなダメージだった。
3年生になっても他に顔見知りの警察官がいるうちは交番の前を通るたびに挨拶はしていた。その内徐々に交番を意識することも少なくなって、友人との間でシバケンの話題もしなくなると卒業を迎えた。けれど私の中でシバケンの存在はいつまでも大きくて、憧れを持ったまま霞むことはなかった。