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「優磨くんに鍵を預かってます。あと今江さんから入館証も」

「……じゃあ入ってきて」

「え? いいんですか?」

「そこまで来てて追い返すほど鬼じゃないから。僕今起き上がれそうにないんだ」

「分かりました……」

電話を切ると目の前のドアに鍵を差し込んで開けた。

「おじゃまします……」

声をかけても返事がない。靴を脱いで中に入るとリビングの横にある寝室のドアは少しだけ開いていた。そのまま寝室のドアをノックした。

「浅野さん……」

「入っていいよ」

中から聞こえた声を合図にドアを開けた。浅野さんはベッドの上で横になっている。

「大丈夫ですか?」

ゆっくりとベッドまで近づいた。浅野さんはスマートフォンを握った手をベッドの端から床にだらしなく垂らし、顔面蒼白で呼吸もまだ荒かった。

「なんで君が鍵を持ってるの?」

「下で優磨くんに会ったんです。私は今江さんから預かった入館証を渡しに来ました」

「そう……」

目を閉じてしまったけれど眠る様子はない。

「ここに置いておきますね」

ベッドサイドボードに鍵と入館証を置いた。

「それじゃあ、お邪魔しました」

「仮眠室で……最初に来たのが君だと思ったんだ……」

部屋を出ていこうとする私を引き留めるように浅野さんは小さな声で言った。

「本当は今江さんだったのに、君がペットボトルを持ってきてくれたと思うなんて熱のせいだね……」

私はベッドの横に膝をついた。浅野さんの些細な一言も聞き漏らさないように。

「今江さんを私だと思ってどうしたんですか?」

浅野さんは目を開けて私を見た。

「あの、今江さんの様子がおかしかったので……」

ただ単に飲み物を持っていっただけとは思えない。今江さんは浅野さんに好意を持っていたのだから。

「別に。お礼を言っただけだよ」

「そうですか……」

今江さんが焦っていた理由は分からないままだ。

「私が来たとき、どう思いました? 嫌でしたか? それとも……」

今江さんを私だと勘違いしたほど、来るのを待っていてくれたと思ってもいいですか?

「………」

浅野さんは何も答えなかった。仕方がない。私は悪者なのだから。

「じゃあ失礼します……」

立ち上がりかけた私の手を浅野さんの垂れた腕がつかんだ。彼が握っていたスマートフォンが床に落ちた。

「本当は、君が来たと思ったら嬉しかった……」

「本心ですか?」

「じゃなかったら今江さんにあんなことしないよ」

「あんなこと?」

浅野さんは私の手を強く引いた。とても弱っているとは思えないほどの力で。胸の上に倒れこむように私の上半身が覆い被さった。

「こんなことだよ」

浅野さんに体が密着する。着ている服の上からでも分かるほど体が熱い。

「本当にこんなことをしたんですか?」

「したよ」

浅野さんは私の腕を掴んだ反対の手で頭を撫でて髪をすいた。頭を少し上げて私の額にキスをした。

「こんなこともしたんですか?」

「そうだよ」

これではまるで付き合っていた頃と変わらない触れ合いだ。

「君の名前を呼んでも反応が薄いから、よく見たら今江さんだったんだ」

意識が朦朧とするとは恐ろしい。

「今江さんも抵抗しなかったからね……あの子も意外と大胆だよ」

「そんなの、抵抗しないに決まってます」

今江さんもその状況を狙って行ったのかもしれないのに。

「浅野さんからも私にこんなことをするんですね」

「………」

「私の優しさが苦しいなんて言っておきながら、私が来るのを待っていたんですか?」

「消えないんだよ。君のことが頭から離れない」

荒い息と共に苦しそうに言葉を吐き出した。

「君を憎めたらどんなに良かったか……」

「憎まれて当然です……」

ほんの一時の間好かれたことだけでも奇跡だった。

「だめだった……どんな女の子と会っても、足立さんが頭に浮かんじゃう……」

「またセフレと付き合ってるんですか?」

「僕には軽い付き合いがお似合いなんだよ……」

「バカみたい」

私は浅野さんの胸の上で呟いた。

「浅野さんに本気で思いを寄せる子がいたら、自分とそんな付き合い方をされたら傷つきます。みんながみんな美麗さんのように軽い女だと思わないでください」

「………」

「浅野さんも自分を卑下しないで。もっと自分を大切にしてください」

もう一度真剣に誰かと向き合って。身体だけ、上辺だけの付き合いをするなんて浅野さんには不釣り合い。本当は愛情深い人だって私は知ってるから。

「仕事も、無理しすぎです。だから倒れるんですよ」

「本当に君は……」

浅野さんの両腕が私を抱いた。

「その真っ直ぐで一途な所に惹かれたんだよ」

その言葉を聞いて浅野さんのシャツをぎゅっと握った。

「浅野さんは私を振り回しすぎです……」

「それは僕のセリフだよ。君には振り回されっぱなしだ」

浅野さんが深く息を吐いたから胸が上下する。

「君のせいで怖いんだ」

「え?」

「好きになりすぎて離れてしまうのが怖い。またいつか僕は捨てられるんじゃないかって……」

見つめた浅野さんは不安そうな顔をして私を見つめ返す。

「何度も言いましたよ。私は絶対に浅野さんから離れない」

二人で過ごしてきた時間は幸せだったから。ずっとこれからも変わらずそばにいたい。

「私はずっと浅野さんが好きだった。入社したときよりも前から。婚約されていた頃から……」

あなたと美麗さんが結婚してしまうのが辛かった。だから結婚式を壊してしまった。

「ごめんなさい……もしも……もしも、許してくださるなら、私はずっと浅野さんのそばに……」

「美麗が僕を捨てたのは君のせいじゃないよ」

浅野さんは私の言葉を遮って話始めた。

「君が何もしなくても、美麗とはきっと長くなかった。子供ができたことだって、いずれ僕の子じゃないことはわかるから。君は自分が結婚式を壊したと思っているかもしれないけど、最終的に僕じゃない男を選んだのは美麗だよ」

淡々と語る浅野さんの胸に顔を押し付けた。

「それでも、ごめんなさい……」

「あの男が式に乗り込んできても、美麗は僕の手を放さないこともできたんだ。でも放した……」

そう。あの時の美麗さんは匠のもとに迷わずに行った。

「もう君が苦しむ必要はない」

涙が溢れた。ずっと許されないと思っていたから。

「私なら……浅野さんを絶対に悲しませない……」

「うん、信じるよ。今度こそ」

浅野さんの手が私の頭を再び撫で、髪を指ですいた。そのくすぐったさに頭を更に浅野さんにグリグリと押し付けた。

「浅野さんからもちゃんと言ってくれないと、私はまだ他の女の子と同じになっちゃいます」

子供っぽく僻んでみせると浅野さんの腕が私の体を引き上げて、浅野さんの体を跨ぐ格好になった。見下ろす浅野さんの顔は熱のせいなのか緊張のせいなのか赤く、荒い呼吸で私まで緊張してきた。

「足立さんを愛してる」

「愛ですか?」

「愛だよ」

『好き』じゃなくて『愛してる』の言葉に胸が締め付けられる。やっとこの人が誰かを愛することができたんだって。それが私で本当に嬉しい。

「おいで」

優しい声で私を呼ぶから、前屈みになって浅野さんの顔に近づいて唇を重ねた。
熱を持った唇に角度を変えて何度も口づける。
浅野さんが苦しそうに息を吐いた頃にやっと風邪を引いていることを思い出した。そうして二人で見つめ合って笑った。

「休んでください。浅野さんが寝るまでいますから」

「……ずっといてよ」

「え?」

「今夜はそばにいて」

珍しく甘えてくる浅野さんのお願いを断ることなんてできそうにない。

「分かりました。お粥か何か作りますか?」

「いらないよ……食欲ないから。足立さんがいてくれたらそれでいい」

素直に甘えてくるなんてやっぱり体調が悪いんだ。

「大丈夫ですよ。浅野さんのそばからずっと離れませんから」

「その言葉を疑ったりはしないよ」

そう言って目を閉じた浅野さんが眠るまでベッドの横に座っていた。掛け布団から出た浅野さんの左手は私の右手を放すことなく、眠るまでずっと握り続けていた。

「私はあなたの前から消えたりしない」

眠る浅野さんに囁いた。

だからもう安心してくださいね。










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