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『浅野さんを幸せにする』ということは言葉にすれば簡単だけど難しい。幸せの定義は人それぞれなのだけど、浅野さんに関しては分からないことが多すぎる。趣味は読書かもしれないと分かっただけで、仕事も順調だし自分でも恵まれてると言う浅野さんの望むこととは何だろう。
「日曜に会ってくれませんか」と言えばしばらく新店の準備で休日も忙しいと返され、退社後に食事に誘えば優磨くんのいるブックカフェでならと言われてしまう。

「小説の続きが読みたいし、カフェのご飯なら奢るよ」

無表情でエレベーターのボタンを押す浅野さんは少しは私の顔を見てくれるようになった。

「なら結構です」

「今夜はカルボナーラだって。女の子は好きでしょ? パスタ系が」

淡々とした会話でも前よりは進展した。ただの上司と部下よりも。

「あのカフェには行けません。優磨くんにも会いません」

どの面下げて会えばいいというのだ。美麗さんの弟で、好きな人の友人なのに。

「へー、この間は僕の知らないうちに行ったのに?」

優磨くんから聞いたのだろう。浅野さんと優磨くんは何でも話してしまう仲ということだ。
エレベーターのドアが開いて浅野さんは乗り込んだ。

「どうせなら優磨も手に入れようってこと?」

「は!? 違います!」

浅野さんの言葉に一気に頭に血が上った。何てことを言うのだ。この人はどこまで私を怒らせるのだろう。

「あの日はたまたま会っただけで……」

偶然です、と言いかけてエレベーターのドアが閉まった。私に最後まで言わせてくれないでいつだって逃げる。目の前で閉められたドアに心の中で悪態をつくと、浅野さんを追いかけるためにボタンを押した。急いでデスクに引き返し下に置いたカバンを取って再びエレベーターホールに戻り、ちょうど開いたドアに体を押し込めるように乗った。

玄関ホールには既に浅野さんの姿はなく、小走りで会社を出たところで浅野さんに追いついた。

「浅野さん!」

呼び止める声に浅野さんは振り返った。その顔はしつこく追いかけてくる私を煩わしくさえ思っているかのようだ。

「私は優磨くんとどうにかなりたいなんて思ってない!」

思わず叫んだ。浅野さんは私の言動全てを撥ね付ける。普通なら諦めるのかもしれないけれど、もう意地だ。

「ご存知でしょうけど私一途なんです。浅野さんに気持ちを伝えた以上、優磨くんに気を持たせたくないから会ったりしない!」

そう簡単に諦められない。誤解をされたくない。

「足立さん、ここは会社の前だよ。そんな話は場所を考えないと」

いつかと同じようなセリフを吐いて話を終わらせようとする。

「じゃあお店に入りましょう。ブックカフェでもいいですから。別にもう優磨くんが目の前にいても構いません!」

浅野さんは無表情で私を見て、私は浅野さんを睨んでいるといっていい。そんな二人を通行人やすれ違う社員が不思議そうに見て行った。

「君は本当にしつこいね」

自分でもそう思う。逆の立場ならうんざりしているかもしれない。でも……。

「それだけ本気なんです」

「僕よりも優磨といた方が楽しいと思うよ。年も近いしね」

「それは私が決めることです。それに浅野さんこそ。優磨くんに何も言わないんですか? 私の気持ちを」

「優磨が傷つくことは言わないよ」

伏し目になった浅野さんに「そんなのひどい」と呟いた。優磨くんといた方がいいと言って、私が浅野さんを好きだということを優磨くんには言わない。浅野さんと優磨くんの関係が壊れるようなことをあえて言わないのだろうけど、私の気持ちを受け流して、優磨くんを傷つけることを恐れる浅野さんは間違っている。

「そんなの卑怯です」

きっぱり言い切った。上司に言うべき言葉じゃないのに。最近の私は浅野さんに生意気なことばかり言っている。

「ふっ……」

浅野さんが滅多に見せない笑顔をまた向ける。呆れたような少しだけバカにしたような微笑みを。

「じゃあ行こうか」

「え?」

「ご飯食べに行くんでしょ? 僕お腹すいたし」

「はい!!」

嬉しくていつも以上に大きな声が出てしまい、慌てて口を手で押さえた。そんな私に浅野さんはまた笑ったように見えたけれど、一瞬でまた無表情に戻ってしまう。でももう前とは明らかに違う。こうやって少しずつ笑顔を増やしてほしい。



浅野さんと駅前の居酒屋に入ったけれど、私の話に対して「ああ」「ふーん」「そう」としか返事してくれないことに寂しく感じ始めていた。おまけに始終スマートフォンを気にして私の話を聞いていないことがある。望んでいたデートなのに緊張して顔色を窺うばかりで話しが盛り上がらない。不貞腐れて必要以上に酔った私はこの後のことを考えていた。
私がこのまま酔いつぶれたら浅野さんはどうするだろう。今度こそこの人と一晩を過ごせないだろうか。そして今の関係がどうにかなったりしないかな……。今夜は邪魔者はいないし、駅の向こうにはホテル街があるし……。
軽いと思われるかもしれないけど、もうきっかけはどんなことだっていい。この人に近づけるなら。



居酒屋を出て少し歩くと浅野さんがビルの前で止まった。

「足立さん、ちょっとここに寄ってもいい?」

どうやって酔った演技を始めるか考えていたところを中断される。浅野さんが指したビルは目の前の階段を上がるとCDショップが入っている。

「いいですよ。何か買われるんですか?」

「うん。まあ見たいものがあって」

浅野さんの好きな音楽を知れる機会かもしれない。私は先に階段を上り始めた浅野さんについていく。
CDショップのガラスのドアを開けて中に入ると私の足は止まった。入って右を見た目の前にはKILIN-ERRORのCDが並べられた特設コーナーがあった。最新シングルとアルバムがズラリと並び、プラスチックケースの中に入ったメンバーの写真が大勢正面に立つ私を見ている。
動けなくなった私に気づかず、浅野さんはどんどん奥に歩いていってしまう。このコーナーの前を通ったはずなのに、何事もないように。
私はCDジャケットを睨みつけて浅野さんを探した。追いつくと彼はまたスマートフォンを操作していた。

「何か探し物ですか?」

声をかけるとポケットにスマートフォンをしまい、ラックの前で一枚のシングルCDを手に取った。女性シンガーのその曲は恋愛映画の主題歌になり、今公開中の映画と共にヒットしているものだ。

「このCDを買われるんですか?」

「ああ……優磨が」

「優磨くん?」

「優磨が好きなんだ。この曲が」

「だから買ってあげるんですか?」

「いや、あいつが自分で買うと思う。もう発売してるよって教えてあげるだけ」

私は呆れた。浅野さんは仕事の話か、それ以外のときは優磨くんのことしか話さない。これだから男性が好きなのではと勘違いされるのだ。私をあしらうのも、もしかしたら本当に女に興味がなくて優磨くんのことが……なんて考えてしまう。このままでは優磨くんにまで嫉妬してしまいそうだ。

浅野さんのスマートフォンが鳴った。

「ちょっとごめんね」

そう言って浅野さんはCDをラックに戻し、私から少し離れてスマートフォンを耳に当てた。

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