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「お見合いですか?」
「そうなの……親がそうしろって」
大学に程近いカフェで美麗さんは深刻な顔をしてコーヒーカップに口をつけた。
「何とかっていう会社の御曹司らしいよ」
「何とかって何ですか?」
「さあ」
美麗さんは相手自体に興味はないのか、年齢も知らないし写真すらも見たことがないという。お見合いしなければいけないという現実に困惑しているようだ。
「お見合いしたらその人と絶対に結婚しなきゃいけないんですか?」
「100パーセント結婚だね」
形だけのお見合いをする。でも実際は断ることなどできない決められた縁談だそうだ。
美麗さんが結婚する。私だって驚いている。遊びまくっている美麗さんが家庭に入るなんて似合わなすぎて笑ってしまいそうだ。
「いつかはこうなるって分かってたんだけど……」
「嫌なんですか?」
「当たり前でしょ」
裕福なお嬢様が親の決めた相手と結婚する。よくある話だ。美麗さんが受け入れようと受け入れまいと。
「美麗さんってほんとワガママですよね」
私は美麗さんに遠まわしなことは言わない。この人には本音でぶつかった方が好かれるのだ。
「だって不細工だったらどうする?」
「顔なんてどうでもいいじゃないですか。相手もお金持ちですよ。これからも変わらず遊んで暮らせます」
「でも結婚する相手くらい自分で選びたい」
「選びたいって……」
何を言っているのだこのワガママお嬢様は。いつだって自分のやりたいようにやってきたのだから、お金を出してくれている親の決めた結婚くらい受け入れてもいいものだろう。深いことは知らないけれど、今までの男関係も派手なようだし。
「美麗さん、今までずっと好き勝手やってきたのに」
「それも反抗だったんだよね」
「え?」
「城藤に生まれた女はみんなそう。だいぶ前から政略結婚は決まってたの。それに高校も大学も進路はいつだって決まってた」
美麗さんの話にイラつく。私がどれだけ頑張ってこの大学に入ったと思っているのだ。努力もしないで遊んでいるだけの能天気なお嬢様を心の中で罵った。
「親の決めたことにずっと従ってきたけど、少しでも困らせたくて親のお金で豪遊してみたりさ」
やっぱり美麗さんは私とは様々な価値観が違う。生きている世界が違う。
「でも結婚は好きな男としたいじゃん。親の決めた相手は嫌なの」
美麗さんは全てを持っている。手に入れられないものはない。だから美麗さんの望む相手だってきっと手に入れる。
「じゃあこの間言ってた会社員ならいいんですか? ケイタでしたっけ?」
最近美麗さんの口からよく聞く名前だ。
「そう慶太。……あの人なら……」
珍しく美麗さんの方から気に入ったと言っていた会社員がいる。今までは寄ってくる男を都合よく相手にしていたのに、いつの間にか美麗さんは慶太の話ばかりするようになった。その男にだけは美麗さんのワガママが通用しないのだ。
「ねえ美紗ちゃん、煮物って作れる?」
「まあ、作れますけど……肉じゃがとかですか?」
「ちく……ぜん……に?」
「ああ、はい。作れますけどそれがどうしたんです?」
「作ってあげたくて……」
蚊の鳴くような声で顔を赤くした美麗さんは普通の女の子と変わらない、恋をする女の子の顔だった。
「仕事でずっと洋食しか食べてないから和食が食べたいんだって。でも美麗は料理なんてしたことないし……」
今まで美麗さんが男のために何かをしたいだなんて言ったことがなかった。それほどにその慶太は美麗さんの心を掴んだのだろう。慶太の方だって美麗さんの容姿と財力に惹かれないわけがない。
「じゃあ今度うちに来てください。作り方を見せながら教えますから」
「ありがとう美紗ちゃん!」
この綺麗な笑顔を向けられたら落ちない男なんていない。煮物を上手く作ろうが失敗しようが、男にとっては美麗さんを可愛く見せる要素に変わりはない。
美麗さんは全てを持っている。手に入れられないものはないのだから。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
美麗さんは親が決めた縁談を無視して食品会社に勤務する慶太と付き合うようになったのだという。その男は役職がついているわけでもなければ御曹司でもない。一般家庭で育ったごく普通の男だ。一体どうやて知り合ったのかはわからないけれど、いつの間にか美麗さんはその男に夢中で、初めて自分の思い通りにならない態度に翻弄されていた。
煮物を作ると言って一緒に買い物に行ったスーパーで野菜の質も値段も見ないで手当たり次第に買おうとする美麗さんに「君は世間知らずなのか?」と男は言ったのだそうだ。
お嬢様の美麗さんが服以外の買い物をまともにできるわけがない。肩書きも環境も関係なく本音を言う男に美麗さんは依存した。美麗さんに遠慮せず本音を言う同性の私と同じだけ、気を遣わず接する慶太にどんどん夢中になっていった。
美麗さんが慶太と呼ぶその男には会ったことがない。一度美麗さんと別れた後に迎えに来たところを見ただけだ。
別れた道路の向こうに止められた車から出てきた慶太は美麗さんと並ぶと『普通』だった。背はヒールを履いた美麗さんの方が高くなってしまうし、車だって高級車などではなく街に溶け込む普通の乗用車。量販店で揃えたような服を着ている。イケメンと呼ばれる方だと思うけれど美麗さんとは釣り合わない。そんな印象を受けた。
彼だって美麗さんとは違う世界、こちら側の人間だ。今まで似たような男が美麗さんに近づいてこなかったわけじゃない。それでも慶太が他の男と違うのは美麗さんを『城藤』の人間ではなく一人の女性として接しているから。美麗さんに本音でぶつかり、ワガママも全て包み込むような優しい笑顔を向けるから慶太は美麗さんを落とせたのだ。誠実で、美麗さんを大事にしている。美麗さんの財力を狙っての演技かもしれないけれど、少なくとも慶太は他の男よりは美麗さんを理解している。
美麗さんを通して聞いた慶太の印象は私にとっても好ましいものだった。
道路を挟んで距離が離れていても私からは彼の笑顔が目に焼きついた。彼のような男に触れられて、彼のような男のそばに居られる美麗さんが羨ましかった。
慶太との結婚を望む美麗さんは両親を説得した。城藤の人間が平凡な男と結婚するなど有り得ないことなのだろうが、美麗さんは御曹司とのお見合いをすっぽかし、慶太と結婚できないなら死ぬと騒いだそうだ。
美麗さんがお見合いを拒否したことによって城藤の会社にはダメージがあったようだが、美麗さんはこれだけは譲らなかった。
「慶太は美麗のお金になんて全然興味ないんだって。結婚したら慶太の会社の近くに住もうって言ってくれたの」
「美麗さんの性格を好きになるなんて慶太っていい人ですね。心が広いのか、もしかして鈍感?」
「もうっ! 美紗ちゃん辛口」
「慶太は美麗さんのどこを好きになったんでしょうね」
「んー……美麗が慶太を大好きなところじゃない?」
「なんですかそれ」
惚気に顔をしかめつつ、一生働かなくてもいい環境を捨てて慶太を選んだことを尊敬した。慶太が美麗さんを選んでくれたことが嬉しかった。
慶太を認めず反対していた美麗さんの父親もついに折れて慶太と会うと、その人柄を気に入って結婚を許した。そこからはあっという間に式の日取りも会場も決まっていった。
「婚約指輪見せてくださいよ」
「まだ買ってないの。美麗が欲しいのは慶太のお給料じゃ買えないし」
私は呆れたけれど美麗さんが羨ましかった。
「美麗さんは結婚しない方がいいと思います」
「何それひどい」
「だって美麗さんが主婦になるなんて想像できない。慶太は絶対苦労する」
「もうほんと美紗ちゃんってひどいよね」
美麗さんは笑うけれど、私が言ったことは冗談ではない。今まではどうでもいと思っていた美麗さんの結婚にだんだん反対するようになった。大学卒業と同時に行う式の準備が順調に進んでいた頃、美麗さんの態度に疑問を抱くようになったからだ。慶太の話が減っていき、結婚式のことをどうでもいいという態度になった。そして何よりも関係を疑う男の存在があったから。その事を直球で指摘した私に美麗さんはあっさりと白状した。「ちょっと他の男と遊んでみたくなった」と。
KILIN-ERRORというバンドでボーカルをやっている男と信じられないことにいつの間にかできていた。美麗さんが出入りするライブハウスで知り合ったようだ。
私をボーカルの匠に紹介したいとライブハウスや駅前の路上ライブに何度も連れていって当たり前のように他のメンバーまで紹介された。
「慶太は美麗さんが真面目に大学に行ってるって思ってるんですよね? こんなところにいていいんですか?」
「大丈夫。匠と遊ぶのはほんの息抜きだから」
駅前で熱唱する匠という男は、慶太に比べたら更に平凡だった。ライブがないときは何をしているのか分からない、職に就いているのかも分からない男だ。年は美麗さんや私と同じくらいだけど慶太と比べるとあらゆる面で見劣りする。その平凡男を見つめる美麗さんは満足そうな顔をしている。それは結婚を控えた女の顔ではなかった。
「美麗のために歌を作ってくれたの」
曲作りも担当している匠は美麗さんに捧げる歌を作り、ライブで披露しているのだ。
今匠が抱えて弾いているギターは美麗さんが買い与えたものだ。ギターだけではない。恐らく他のメンバーのベースやキーボードだってそうだ。最初に見たときよりも新しくなっている。
このバンドのメンバー全員が美麗さんのステータスにすがっている。
「このバンド絶対に売れると思わない?」
私の横に並んで立つ美麗さんはキラキラした目で匠を見ている。風が吹いてなびいた長い髪の隙間から首に赤いあざがあるのが見えた。『ほんの息抜き』で婚約者以外の男と寝るなんて、美麗さんはそこまで貞操のない女なのかと驚いた。慶太が大好きだと言っていたではないか。
「美麗さん……あの……」
「匠には美麗がこんな風に感じるんだって。照れるよね」
匠の口から出る言葉は美麗さんへの想いが溢れていた。好きな女が自分を好いてくれたことは奇跡だという歌詞に私は吐き気を覚えた。
慶太は美麗さんの浮気に気づいているのだろうか。そうじゃなくても美麗さんと結婚して本当にいいのだろうか。世間知らずで料理も出来ないし、ワガママで不誠実なのに。
でもそれは美麗さんだけが悪いわけじゃない。世の中を知らずに育てられてまともな生き方ができるわけがない。『友人』も『使用人』も『浮気相手』もみんな美麗さんのご機嫌をとって背後の城藤を利用している。
美麗さんは可哀想な女だった。そしてそんな女と行動を共にしている私も同じレベルなのかもしれない。
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