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潮見から受け取った新店のメニュー写真をパソコンに取り込んだ。販促商品は冬を意識したシナモンのドリンクだ。
「ん?」
画面に開かれた写真の明らかなミスに気がついた。そうして上司である浅野さんに確認するために立ち上がった。
潮見との話の内容が衝撃的で話しかけるのは緊張してしまうけれど頭の隅に追いやって、私は数メートル離れた席に座る浅野さんに声をかけた。
「すみません、浅野さん……」
「何?」
浅野さんはちらっと私を見るとすぐにパソコンに視線を向けてしまった。
ほらやっぱり、人を避けている。
素っ気ない浅野さんが気になるけれど、今は仕事に集中しなきゃ。
「メニューの写真のシナモンロールラテなんですけど、確か写真撮影はガラスのカップでしたよね?」
「そうだけど」
「でも潮見が撮った画像を見たら陶器の白いカップで撮影されてます」
「ほんとに?」
私の報告に浅野さんは目を見開いた。
「さっき潮見はまた外出してしまって確認が出来ないんですがどうしましょう」
「分かった。僕が確認してみるね」
そう言うと浅野さんはスマートフォンで電話をかけ始めた。
「店舗管理課の浅野です……お疲れ様です」
相手は恐らく新店の店長だ。
通常は陶器のカップで提供するシナモンロールラテは、ポスターやメニューの写真のみ見映えを良くするためにガラスのカップで撮影することになっていた。それなのに潮見が撮影した写真は陶器のカップで写っている。
私は浅野さんの電話が終わるのを横で待っていた。自分のデスクに戻ろうか、ここで待っていようか迷いながら。
電話をする浅野さんの斜め後ろで私は浅野さんを観察していた。
浅野さんって何が好きなんだろう。休日って何してるのかな。きっと綺麗好きだな。部屋はシンプルに片付いていそう。
デスクは整理整頓され、書類や資料はきちんとスタンドに立ててある。今は取り掛かっている案件の資料数枚と缶コーヒーが置いてあるだけの殺風景なデスクだ。
「分かりました。はい、お疲れ様」
スマートフォンを置くと浅野さんは私を見た。
「勘違いだったって。通常通りに陶器カップで撮っちゃったみたい。また撮り直すから」
「そうですか……」
「メニュー写真を間違えるなんてあっちゃならないミスだったよ。足立さんで止めてくれたからよかったけど」
浅野さんは伏し目になって溜め息をもらす。
「足立さんありがとう」
「いえ……」
お礼を言われて嬉しいはずなのに、抑揚のない浅野さんの声で言われる感謝の言葉は私には響かない。今もこの人は無表情だけれどきっと内心怒っている。だって目がとても冷たい。
「潮見さんにも店長にも僕から言っておくから」
あ、まただ。
「意識が足りないし確認不足」
また浅野さんは冷たい声と冷たい態度で叱責するのだ。潮見や店長を、今江さんと同じように。前にもあった。同じような言葉を聞いた。浅野さんが新人だった私に冷たく言った言葉が頭の中で蘇る。
「あんまり責めないであげて……」
思ったことが思わず口から出た。
「え?」
浅野さんは不思議そうな顔で私を見た。
「あ、あの……」
意識せずに言葉が出てしまったことに焦った。
「あんまり責めないであげてください……」
一度言ってしまったことはしょうがない。始めてしまったら止まらない。
「確かにやってはいけないことかもしれませんが、完璧な人なんていないんです……」
「………」
だからこの際言ってしまおう。今まで言えなかった事を。
「今江さんにもそうです。彼女泣いてましたよ」
「え?」
「仕事に対して甘くしろとは言いません……もう少し言い方を柔らかくして頂けませんか?」
「………」
浅野さんは目を丸くして私から視線を逸らさない。何も言わずにじっと見つめられる。初めて浅野さんとこんなに近くで見つめ合って、緊張で眩暈がする。その視線に耐えられそうにない。
「す、すみません!!」
私は慌てて謝った。上司に言うセリフじゃない。私はとんでもなく失礼なことを言った。いくらなんでも言い過ぎだ。
でも伝えたかった。浅野さんの言葉に、態度に、傷つく人は必ずいる。そんな風に周りを、自分を、悪者にしないでほしい。
「そうだね」
ふっ、と浅野さんは優しく笑った。その顔に私は惚けた。
「足立さんの言う通りだね。言い方に思いやりがなかったよ」
「失礼なことを言ってすみません……」
私は頭を下げたけれど浅野さんは「いいから」と優しく言葉をかける。
「確認不足は僕にも責任があるよ。そっか……今江さんを泣かせちゃったのか……」
今度は困った顔をする。
「あのっ、本当にすみません!」
浅野さんに失礼なことを言って困らせた。生意気な部下と思われてしまった。
「足立さんにも怒ったことがあったのに、今度は僕が怒られるなんて情けないね」
「いえ……すみません」
何度も何度も謝る。浅野さんを困らせたかったわけじゃないのに。
「今江さんには僕がきちんとフォローするから。ありがとう」
「いえ……」
「写真は店長が撮り直して送ってくれることになったから」
「分かりました」
浅野さんは私から顔を背けてパソコンを向いた。その態度はこれで話は終わりだという合図だ。私はそっと離れた。フロアに残る数少ない社員の視線を感じながら。今のやり取りはフロア中に聞こえていたはず。恥ずかしいやら情けないやらで私も泣きそうだ。これ以上浅野さんが怒る姿を見たくない。困った顔をさせたくない。
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お昼前から降りだした大粒の雨は一時的なものだったようで、今では強い西日が窓から差し込みパソコンの画面が見づらくなっている。
雨が上がると店舗管理課の社員は外出してしまい、フロアには企画管理課のわずかな人数しか残っていない。
静かなフロアのドアが開いて席を外していた浅野さんが戻ってきた。その手には缶コーヒーが握られていた。
浅野さんはフロアをきょろきょろと見回すとホワイトボードに視線を移した。まるで誰かを探しているようだ。そうして再び目的の人を探してかフロアから出て行った。
ただの直感だけど、もしかしたら浅野さんは今江さんを探しているような気がした。
私はとっさに浅野さんを追った。どうしてそうしようと思ったのかは分からないけれど。
ドアを開けた先に浅野さんの姿は既になく、エレベーターが動いて下の階に移動していた。
私は止まった階を確認してエレベーターのボタンを押した。そうしてエレベーターに乗り込んで浅野さんが下りた階で私も下りた。
通路を右に曲がると前から浅野さんと今江さんの声が聞こえてきた。私は思わず足を止めた。先のロビーに二人がいるようだ。ここからでは壁に隠れて二人の姿は見えないし、私がいることも二人は気づいていない。
私は隠れたままそっと二人の様子をうかがった。ロビーのソファーで休憩する今江さんに浅野さんが缶コーヒーを渡しているようだ。
「さっきはきつく言いすぎちゃってごめんね」
「いえ……」
こんな二人のやり取りに覚えがある。
「もしブラックが好きだったらごめんね」
そう気遣う浅野さんの言葉にも。
懐かしくて大事な思い出。その思い出と今の二人の会話が重なって、私は堪らなく今江さんに嫉妬する。子供っぽいとは自覚している。けれど芽生えてしまった嫉妬心は抑えきれない。
私は足を動かした。壁の向こうの二人の空気に割って入るために。
「お疲れ様です」
そう言って二人の前に立った私は焦った。目の前には優しい笑顔を見せる浅野さんと、それを見て惚ける今江さんの顔。和やかな空間に私が入ってもそれは崩れなかった。