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「浅野さんももっとソフトな言い方にしてくれたら少しはモテそうなのにね」

本当にそうだ。ルックスも悪くないし仕事もできる。なのに人を寄せ付けない冷たい態度は浅野さんの印象を悪く見せる。

「だけど浅野さんが冷たいのって女性にだけって気づいてた?」

「え?」

「男性には上司も後輩も関係なくフランクに接するんだよ。でも女性には上司であろうと後輩だろうと一線引くところがあると思うんだよね」

「………」

潮見の指摘には思い当たることがある。確かに浅野さんは男性同士であれば笑顔も見せるし、相手も浅野さんに気軽に話しかける。でも女性には会話を長引かせないように切り上げて離れようとする。仕事で妥協はしないから男女関係なく指示したり従ったりするけれど、女性には特に目が厳しいように感じる。先ほどの今江さんへの指導も新人だから厳しいことを言ったというだけではない。

「噂じゃ恋愛対象は男性だって言われているらしいよ」

「え!? ごほっ!」

大きな声を出したら思わず口に入れたカレーにむせてしまった。

「大丈夫?」

「けほっ、うん……」

浅野さんは男性が好き。そんなことを言われるくらい女性が嫌いと思われているのか……。

「男が好きだなんて有り得ないって……」

「美紗ちゃんは浅野さんのファンだもんね。ショックだよね」

「ファンじゃないよ……」

「違うの? だっていっつも浅野さんを庇うじゃん。そんなことないよ、そんな人じゃないよって」

「………」

そう。私は浅野さんが誰かに冷たく接する時、いつも浅野さんを庇ってしまう。

「美紗ちゃんは浅野さんが好きなのかなーって」

潮見は探るように私を見てきた。

「ち、違うって! 確かに庇うけど、それは新人の頃にお世話になったから恩を感じてるというか……上司を悪く言いたくないというか……」

「はいはい。そういうことにしとこうね」

潮見にはお見通しなようだ。けれどそれ以上何と誤魔化せばいいのか分からない。入社当時浅野さんにお世話になったのは本当だけど、庇う理由はそんなことじゃない。
それに浅野さんが男の人が好きというのも事実じゃない。だって過去に結婚しようとしていた相手は間違いなく女性だったから。トラウマで女性が苦手になったということは十分考えられるけれど。もしもそれが本当だとしたら、私は余計に苦しくなる。

「まあ私も浅野さんが男性が好きっていうのは嘘だと思うけど」

潮見はカレーを頬張りながら言った。

「そう……だよね」

「だってヤリ逃げの常習犯でもあるらしいし」

「はぁ!?」

またも大きな声を出してしまった。

「美紗ちゃん声……」

「何? どういうこと?」

前屈みで潮見に詰め寄った。

「浅野さんが実は女癖が悪いかもってこと」

「え……」

「この間うちの店舗管理課の男性と、他社の女性で飲み会したんだって」

「へー……」

突然出た飲み会の話と浅野さんが結びつかなくて私は首を傾げた。

「それで、たまたまその他社の女の子の中に私の友達がいてね、友達が言うには浅野さんが他の女の子をお持ち帰りしたらしいよ」

「………」

「でもその子と付き合ってるわけじゃないらしいの。一晩だけの関係だったって」

「………」

言葉を失った。浅野さんが女の子と二人になったその後の展開が私を混乱させた。

「これも噂なんだけど……」

潮見は呆然としている私には気づかずに話を進めた。

「社内の女の子には手を出さないけど、プライベートでは女の子と結構遊んでるって聞くよ」

これには更に驚いた。浅野さんはもうそういうことに縁遠くなったと勝手に思い込んでいた。本当に、私の勝手な思いなのだけど。

「私もそれを聞いた時はショックだったな……あの仕事ではストイックな浅野さんが」

潮見がショックを受ける以上に私には重たい現実だ。

「噂ばっかりでどれも全部信憑性がないよ」

「まあそうなんだよね」

潮見は困った顔をして笑う。
私の知る過去の浅野さんはそんな人ではなかった。入社して3年間近くで見てきたけれど女癖が悪い印象はない。でも私は浅野さんの全てを知っているわけじゃない。

「本当のことは分かんないけどね。でも浅野さんって社内じゃ浮いた話ないよね。飲み会も女の子と距離おくかすぐに帰っちゃうし」

浅野さんは飲み会でも二次会まで居るのは稀だった。

「もったいないよね。他の部署では人気あるのに」

社内で隠れファンが居るのも知っている。浅野さんの評判をよく知らない人にはクールな人に見えるのかもしれない。

「本当はどうなんだろうね。男性が好きなのか、遊び人なのか、どっちもただの噂なのか」

「全部噂ってところがなにも信じられない」

自分に言い聞かせる。浅野さんは噂になるような人じゃない。

「美紗ちゃんもがんばってね」

「何が?」

「浅野さんを落とすの」

「だから違うって」

「惚れさせたら真面目に付き合ってくれるかもね」

潮見は私が浅野さんを好きだと完全に決めつけているようだ。

もしも浅野さんが噂通り女性と適当な付き合いをする人なら心を入れ替えてもらいたい。だって本当の浅野さんは誠実な人だから。女性関係が乱れているのはきっとトラウマのせいなんだから。



私が入社してしばらくたった頃、新商品のメニュー表の印刷を発注する際に間違った数字のデータを業者に送ってしまったことがあった。間違った理由は単純に数字の見間違いだ。店舗管理課の字の汚い社員が急いで書いた1や2や7を間違って解釈しそのまま入力した。書いた本人に確認しないで送ってしまったのだ。印刷発注後、明らかにおかしい数字に印刷業者から確認の電話が来た。そこでミスが分かって混乱はしなかったものの、私は浅野さんに怒られた。自社のメニューの価格を間違っているのではと印刷業者に気づいてもらうなんて恥ずかしいことだと。
私自身も深く反省した。もう新人だからと許される段階ではない頃だ。入社してから初めて仕事を任されるようになって自分の力で頑張ろうって焦っていた。それが悪い結果になって情けなかった。字が汚くて読めなかったとの言い訳に浅野さんは私が怯えるほど冷たい顔をした。

「管理部門としての自覚が足りない。このミスが店舗やお客様に迷惑をかけるところだった」

冷たい声で、冷たい目をして浅野さんは私を叱った。

「君の判断で大事になるかもしれなかった」

その言葉に私は心臓がギュッと締め付けられたような感覚に陥った。私の言葉が、私の行動が、人の人生を変えてしまうことがある。それは痛いほど分かっていたのに、あの頃の私には社会人としての自覚も人としての常識も考えが至らないことばかりだった。
浅野さんは私が過去を知っていることに気づいていないはず。それでも過去の罪も含めて責められているように感じた。私は浅野さんに責められて当然の人間だから。

当時の課長にもお叱りを頂いた。すると「申し訳ありません」と浅野さんが一緒に頭を下げてくれた。増々私は自分を責めた。

ミスを引きずってロビーで落ち着くまでぼーっとしていた私に浅野さんは缶コーヒーを差し入れてくれた。

「足立さんの良いところは冷静に物事を考えられるところなんだよ。だから落ち着いて向き合えば大丈夫」

そう言った顔は優しかった。滅多に見ることができない貴重な笑顔。その顔を見た瞬間、私は確信した。今までの私の行動理由とモヤモヤした心の正体を。

「もしブラックが好きだったらごめんね。勝手に選んじゃった」

差し入れの缶コーヒーには砂糖とミルクが入っている。私はブラックでは飲めないからこれが嬉しかった。

いつも話しかけにくい雰囲気を纏っていて、個人的感情を考慮しない冷たい人だと思っていた。私がそうさせてしまったと思っていた。でも違った。
よく観察したら先輩後輩関係なく回りを自然にフォローしていた。今も私を叱ったあとで励ましてくれる。
本当は優しい。優しいまま変わらないでいてくれた。
そんな浅野さんの様子に私の心は少しだけ救われる。
私は知っている。浅野さんの過去も、人柄も、優しいことも、仕事に厳しいけど助けてくれることも。そして女を見る目がないことも。
私だけは知っている。

それ以来浅野さんの陰ながら人を気遣うところや言動全てが私の心を捉えて離さない。結婚が破談になって深く傷ついたはず。だから女性には特に冷たくて、不誠実な付き合いをしているのかもしれない。
でもきっと変わらないところだってあるはずだから。
滅多に見せない笑顔は、悲しい顔と同じだけ私の頭から離れない。
ずっと浅野さんのことを考えている。何年もずっと……。時間の経過で私は理解した。浅野さんの結婚を必死に壊そうとした気持ちが何だったのか。
浅野慶太のことが好きなんだと。
この気持ちに気づくのには遅すぎてしまったのだけれど。



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